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師匠と弟子と継承について

ブラウンスイス牛の肉まん。
岡山の吉田牧場さんで8年で2産したウグイスというなの経産牛です。すでに肉となり完売しているのですが、東京夜市の平野さんが肉まんにして届けてくれました。具がギッシリ詰まっていておいしかったです。

弟子。

(師を父兄とみたてていう語) 師について個人的なつながりを持って仕えながら、学問や技芸などの教えを受ける人。職人の徒弟。学問や技芸の教えを受ける人。門人。門弟。また、徒弟。ていし。「内弟子」「直じき弟子」

といったところでしょうか。

僕に近いところだと、お友達の林家木久蔵さんの師匠は林家木久扇さん、蝶花楼桃花さんの師匠は春風亭小朝さんとかね。芸人さんの師匠と弟子の関係をみると分かりやすいと思います。

さて、肉屋の世界で師匠だ弟子だはあまり聞いたことはないのですが、創業明治何年とか、歴史ある肉屋は、後継ぎというか、代々継いでいく習わしがあるところも。

とはいうものの、僕に弟子はいるのかとよく聞かれます。その前に、僕に師匠と呼べる人がいません。もちろん19歳で肉屋に勤めたときに、当時の板場さん(いまでいう店長みたいな立場)が師匠といえば師匠になるのかな。

で、本題の僕に弟子はいるのか、ですが、いないです。いまうちで店長やってる楠本が弟子と言えば弟子なのですが、僕の考え方は技術を学んだ人を師匠、教えた子を弟子という認識ではなく、心の継承にかなり重きを置いています。

だから、技術は教えられても、心の部分は誰にも継承できないと思うのです。僕の友人で、京都の和食屋さんがおりまして、創業昭和三年でいま三代目として現場に立っています。僕よりひとつ年下で今年還暦。僕もそうですが、いつまで元気でやれるか正直不安です。

先日、跡継ぎはどうするんですか、とお聞きしたところ、「私の代で終わりです」とのこと。

もったいないと言う声が大半だと思いますが、技術は継げても、人間力、パフォーマンス、心は継げない。ならば良いときに幕を引こう。それも考え方のひとつです。下手に代変わりすると店の形が変わります。名前は残りますが望んでいない方向へ行く可能性もあるわけです。継承することだけが責任ではなく、閉じることも責任だと思います。

企業はどうかわかりませんが、我々のような小さな個店は、肉屋はにしろ、魚屋にしろ、着物も、陶器も、労働時間に縛られれば技術は衰退し、仕事の在り方を伝えることは難しくなっていくのかなと。これも時代だと言う人もいますが、なんだか寂しいですね。

ありがとうございます!