見出し画像

お見送りについて

久しぶりに京都で外食した。やっぱり友人たちとの食事は楽しい。なによりもレストランに活気があるのが嬉しい。細い路地を歩きながら振り返ると、大将と女将さんが深々と頭を下げている。しばらく歩いて振り返ると、まだ見送ってくれている。僕たちはしだいに歩く速度を早めた。こんなときに限って曲がり角がない。

お見送りはありがたいのだが、すごく気を使う。なにもないのも寂しが、このあたりのタイミングは難しい。かと言って義務的なお見送りやお辞儀はすぐにわかってしまう。

昨夜、録画してあった番組を観た。あるレストランの特集だった。シェフが常連のお客様をお見送りしている姿にものすごく違和感を感じた。適当なお辞儀に心のなさを感じた。

いま、本を読んでいる。そのなかに僕の肉を使ってもらっているシェフの話が書かれている。

『それぞれが食事を終えて帰るとき、彼はそのたびに厨房から飛び出して、その夜のお客様全員に頭を下げていた。

ありがとうございます。楽しんでもらえましたか?

そのお辞儀は、まるで空手のようにビシッと型が決まっている。誰に対しても崩さないし、流されない。出勤前、毎日神棚に手を合わせるそうだが、たぶんそれと同じくらいの気合いを入れているのだろうと想像される。』

人の内面は顔にでる。悪いやつは悪い顔をしている。いくら口で良いこと言っててもまったく響かない人がいる。僕の偏見かも知れないが、そんな人の顔はやっぱり悪い。

テレビのシェフがどうこうではないが、自分に言い聞かせて何事にも心を込めたい。



ありがとうございます!