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昭和のええとこ

私は昭和38年生まれ。
小学校の低学年のころだから…
昭和45年くらいまでかな、大阪の南河内と呼ばれるところに住んでいた。

ホルモン焼きの匂いが漂い、「おんどりゃ〜」とか、のぶちゃんのお父さんが折り箱を作りながら(家業)怒鳴っている。

ケーキはバタークリームで、モコモコアイスが販売された時は、家族で買いに行った。

トイレだって汲み取り式、洗濯機は二層でローラーが付いていたように思う。

お向かいの毛糸屋さんにはコトちゃんって言う小型犬がいて、子供がいないそのおばちゃんの家にはいつも遊びに行っていた。

その隣はヤマザキパン。
駄菓子も売っていた。
母に10円もらうと、オブラートに包んだキャラメルが10個買える。

近くの府営住宅は一戸建てで庭があり、バラを育てておられるお庭でかくれんぼしながらその香りを楽しんだ。 缶けりもよくした。

衣替えの時期には、おばあちゃんが手伝いに来てくれた。
私はすぐに大きくなるタイプだったので、(小6でほぼ今の身長)前年の服はもう着られない。
てんとう虫の柄の、お母さんが作ってくれたワンピースが着られなくなったことが悲しかった。

2段ベッドの、確か上が私で下が姉ちゃん。(きっと私が上がいいとごねたのだろう)
カーテンは母のお手製で、フェルトでチューリップが付いている。

姉ちゃんをそそのかして、日曜日におばあちゃんの家まで歩いて行き、両親を心配させたこともあった。
(朝から夕方まで歩いた)

春には畑にレンゲが咲き、その中を走り回り、近くの浮島に探検に行く。

神社で遊んでいると、鎌を持った人に追いかけられたこともあったっけ。

今の時代ならありえないことが、日々展開していた。
時間も今よりゆっくり流れていたように思う。(子供だったからかな)

あの風景は、今でも私の中にしっかりと残っている。

ええとこか悪いとこかは分からないけど、これが私の昭和の風景だ。

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