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#09.『父の誕生日プレゼント』 けじそんゲーム
このnoteは、人を尊重できるようになっていくために「決断・実行・尊重ゲーム」、略して「けじそんゲーム」に本気で取り組み、その内容を実況をするようにnoteを50日間書くことにしました。
今日で9日目。
今日のけじそんゲームは、こちら↓↓
【父の誕生日プレゼント】
今日は、父の誕生日だ。
70歳、古希になる。
妻と娘は、手紙を書いてくれたり、プレゼントを折り紙で作ってくれたりしてくれている。僕よりも、お祝いしてくれようとしている。
そんな中、プレゼントを作るための折り紙が足りないから、買いに行こうという提案を妻がしてくれた。
その提案に乗り、買いに行くことにした。
提案に乗るという、決断をしたのだ。
買い物に行き、折り紙を買ったりしながら、靴下もプレゼントしようということになった。
そこで、父の足のサイズを聞かれたが、
さっぱり分からなかったのだ。
自分より、大きかったような気がする。
それくらい曖昧だった。
親の足のサイズを知らない。
それは、もしかしたら、普通なのかもしれない。
けれど、意識的に父の服のサイズや足のサイズを知ろうとしてこなかった自分がいることに気付いた。
父が僕の足のサイズを知っているかは、分からない。
では、自分は、娘の足のサイズを知っているだろうか。
最近、一緒に靴を買いに行ったから、20cmだと知っているが、
これが2週間前に聞かれたら、曖昧だった、分からなかっただろう。
しかも、娘の靴を買いに行こうと、言ってくれたのは妻だ。
娘の足が大きくなり、これまで履いていた靴が小さくなったことを娘と話して知っていて、買い物に行こうと言ってくれたのだ。
普段から、妻が娘の服や足のサイズの変化を見てくれている。
だから、僕は、知らないでやっていけている。
娘の身体の成長だけでなく、娘の学校の行事の把握など、日々娘は変化している。
遠足があれば、そのための弁当づくりなどもある。
そういう行事が近づいてくると、お弁当の準備のための買い物などの計画も妻がしてくれている。
当たり前に、娘との生活、娘の成長、娘が変化している中で家族として生きていけているのは、妻のおかげだ。
そして、今回、父の足のサイズを知らなかった。
これも、父がいるのは当たり前だった。
父がいることで、自分の生活が成り立っていることに、気付いていなかった。
いて当たり前、あって当たり前であること、そのありがたさに気付いていない自分がいるのだ。
昔から自分は、親のありがたさに気付いていなかった。
他の友人や漫画の中に出てくる家族と比べて、自分の家族への不満を持っていたように今なら思う。
今、娘の子育てをしていて、改めて『親』というのは大変だなと思っている。
いろんなことを、妻に任せているにも関わらずだ。
これだけ、大変なことを、ずっと自分が子供の頃から大人になるまで、いや大人になっても親として様々なことをしてくれていることに、ようやく最近気づいてきている。
親への感謝の気持ちを、改めて感じた。
今回、父のプレゼントを買いに行くことを妻が提案してくれて、その提案に乗るという『決断』をして、買い物いくという『実行』をすると、
妻がどれだけ娘への子育てをしてくれているか
自分の父や母が、親として子供の頃からたくさんのことをしてくれていたことに気づいた。
そして、いま仲間たちは、絶賛子育て中だったりするが、その子育ての中、仕事も両立しようと、自分なりの仕事と生活のバランスを取ろうとしているのがどれだけ大変なのか、それは男性の自分以上に大変だろうと思った。
子育てを終えている仲間もいるが、その仲間は親へ関わる姿勢が自分とは全く違う。とても親を尊重している関わりをしていると感じている。これも、その仲間が子育ての大変さを実感しているからこそ、親への関わりに対して、尊重しているのだと思った。
妻や両親、そして仲間たち、さらには、子育てしている親の大変さを少し想像することができて、もっと『尊重』したいと思った。
この気持ちを持って、身近な人や、いろんな人に関わっていきたいと思うよ。
読んでいただきありがとうございます。もし心に残る言葉があれば、サポートしていただけると嬉しいです。今後も応援を励みに書いていきます。