#17.『ゆうちょに行く』 けじそんゲーム実況
このnoteは、1日の中で自分で『決断』して、『実行』して、そこでの気づきから、人への『尊重』が生まれた流れをゲーム実況のように50日間書くことにしました。
「けじそんゲーム」とは、『決断:け』、『実行:じ』、『尊重:そん』の頭文字をとった名前です。
17日目のけじそんゲームは、こちら↓↓
【ゆうちょへ行く】
今日は、ゆうちょ銀行での手続きのために郵便局に、妻のおつかいで行った。
せっかくだから、ただおつかいするだけでなく、このおつかいから何かを学ぼう、そう『決断』して出かけた。
そうすると、郵便局で待っている間に、たくさんのメモを取ることがあった。
まず、自分の中でゆうちょは、使っていないから、もう多くの人は使っていないくらいの認識でいたが、そんなことはなかった。
平日の午前、たくさんの人が手続に来ていたのだ。
かなり待たなければいけないくらいだった。
自分が使わないからといって、世の中に必要とされていないわけではないのだ。
自分の価値観で、そのサービスを勝手に判断してしまっていたのだ。
まだ多くの人が使っている。
確かに、年齢層は高めで、70-80代が多かった。
どこを対象にサービスを行っているか、その違いなのかもしれないと思ったのだ。
そして、耳が遠い人に対して、何度も繰り返し伝えたり、理解が難しい利用者に対して、何度も丁寧に説明している郵便局の職員がいて、若い人から高齢者まで、さまざまな人に対して関わることの大変さを垣間見た。
他にも、高齢の夫婦が、貯金を下ろす手続に来ていたが、かなり高額だったために、そこまでの現金は今ないために後日また来て欲しいというやりとりが耳に入ってきた。
当たり前なのだが、貯金の残高が、そのままいつでも自由に現金として下ろせるわけではないのだ。
ゆうちょも、他の銀行も、お金を預けて、そのお金を運用して、循環をしているのだ。その場にただ置いておくわけではなく、お金を動かすための仕組みや場なのだと気づいた。
ゆうちょには、ゆうちょの役割があるのだ。
対象は一定の人かもしれない。
今日、三井住友銀行にも行ったが、対象が限られているのは、他の銀行も同じだ。
その対象の人に対して、一生懸命サービスをしているし、その対象を増やそうとしたり、新たな取り組みもたくさんしようとしていることが、郵便局でも、三井住友銀行でも感じたのだ。
手続きで分からないことを聞けば、答えてくれる。
すごく当たり前だが、銀行として必要な役割をしてくれているのだ。
この一連の出来事を通して、僕がしてきた仕事、僕が受けてきた研修、いろんな過去の出来事や、今の仕事や活動とつながった感じがしたのだ。
僕自身は、今はゆうちょ銀行を使用していない。
けれど、他の多くの人はゆうちょ銀行を今でも使用している。
これと同じように、
僕自身は、今は精神科の病院で働いていない。
けれど、精神科の病院で働いている人もいれば、入院や通院している人もいる。
一時期参加していた先生の研修に今は参加していないけど
今もその先生の研修に参加している人がいる。
これは、とても当たり前のことだが、
自分が関わる頻度が減ったからといって、なくなったり、世の中に必要がなくなったりしているわけではない。
自分の関わりのあることだけで、世界を見がちな自分がいることに気づいた。
社会や世の中は、自分が関わっていない人が大勢いる。
全てのことを知ることは、もちろん無理だが、本当に多くの人がいて、多くの人のおかげで世の中は回っているのだ。
何かを選べば、何かを得られない。
そして、何を選ぶかも、人の自由だ。
自分がどんな人と関わるか、どんなサービスと関わるか
自分で決めているのだと改めて思った。
けれど、自分が何かを選ぶことができるのは、その選択肢を出してくれている人たちがいるからなのだ。
その選択肢を提供している人たちのおかげで、自分は選ぶことができている。
そんな当たり前なことに気づいた。
日々の生活は、当たり前ではなく、誰かによって当たり前にあるように見えているだけだ。その当たり前を維持したり、作ってくれたりしている人たちに対して、感謝の気持ちが生まれた。
ゆうちょへのおつかいから何かを学ぼうと『決断』して、学べることを探すことを『実行』したことで、いろんな人に対しての感謝の気持ちや敬意が生まれて、もっと『尊重』して関わっていきたい、そう思ったよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
これからも、いろんな『決断・実行・尊重』したことを書いていこうと思います。
よかったら、また見てみてくださいね🍀
SAKAMO / 坂本岳之
読んでいただきありがとうございます。もし心に残る言葉があれば、サポートしていただけると嬉しいです。今後も応援を励みに書いていきます。