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文体を使い分ける

さて皆さん、物語は使えていますか。今回の物語講座は文体の見直しです。

 🙌 🙌 🙌

とはいえ、私流の文体論です。

たぶん一般では通用しないと思います。どうやら、フツーの文体論ではないようです。

 🌋 🌋 🌋

私は平成元1989年から進学塾の講師です。

今は個別指導ですが、四十代まで集団授業とクラス運営を担当しておりました。

同僚講師から言われたことがございます。

「フジ先生はテスト返却の時、三十人の生徒に三十通りの話し方をしてましたね。スゴイですよ。あれは私、真似できません」

 🍄 🍄 🍄

自覚がなかったのです。

三十人に三十通りの話し方なんて当たり前でしょ。どこがスゴいのさ。フツーじゃん。

文体を変えるだけ

そう思っておりました。

最近、もしかしてフツーじゃないかもと疑い始めております。オレのやり方ヘン

なら、自分流の文体づくりをお伝えするのもありかな。そう考えました。

 🗿 🗿 🗿

まず生徒と向き合います。

成績表を手渡すのです。

─この子は何を言ってほしいだろう─

自分に尋ねます

アタマやココロじゃありません。自分の中心=仙骨を意識します。自分の奥深くへスッと入り込んでしまうのです。

自分の中心から入って、生徒の中心へアクセスしていくような感じでしょうか。

 🔮 🔮 🔮

中心同士は異次元で繋がっている。

そう理解する私です。

自分と相手の中心を意識すれば一体感が取れます。自他の区別はなくなるのです。

すると、中心の仙骨から、震えのような流れが微かに湧き上がって参ります。

波動というかエネルギーというか──

 🚀 🚀 🚀

その波動は、ココロで思いに変換されます。アタマが言葉を検索してくれるのです。

私は思いに包まれ、言葉を紡いでいきます。

私という個人が消えて、思いと言葉の流れ出ていく通路になったような気分です。

 🍈 🍈 🍈

でもまぁ、同じ現代の日本語ですから、言葉遣いや表現のクセは、外からご覧になれば、さほど変わらないかもしれません。

ところが、伝えているそれぞれの私はまるで別人なのです。

違う文体=語り口で伝え始めますと、感性や思考過程や目指す方向性までが異なります。

これって多重人格❓

かもしれません。

 🐶 🐱 🐴

文体は変えられる。

そう思えば変わります。外から見て変わらなくとも、私たちが変わったと感じられたら、それでよいと思うのです。

やはり在り方💗

文体なんて変えられないから一つの文体を追求する在り方も、変えられるけど敢えて変えない在り方もまたあってよいでしょう。


ではまた💚





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