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水民マガジン 夜郎自大サップ 年を取るということ

昨日より風が弱い分 暖かい といえる
とはいえ 空気は冷たく まだ 春というほどではない
若葉が色々と芽吹いてくると 春が感じられるのだろう
などと 季節の変わり目に敏感になったという事は その分年をとったような自覚がある
若い頃は そんな事 ほぼ考えなかった
という事は 年を取ると 身体が衰えるのが当然なのだが 自然に対する感性は 意外にも鋭くなるのかも知れない
今まで 目にもとめなかった自然の ちょっとした存在や変化が 気になるのだ
いやいや 子どもの方が 遥かに感性は豊かで・・・
とおっしゃる方もいるだろうが 子どもの場合は 目に入るものの多くが 未知の存在であり そういったものを認知する ソシュール的に言えば 名づけることで 分節し 存在ならしめる といった作業に忙しいのだろう しかし 年を取ると 多くの物を名づけ 分節し終わっているような錯覚に 特に中年ぐらいになると そのような作業が すべて終わっているかのように 勘違いするのだが 身体が衰え のんびりと自然の事物に耳を傾け 見つめていくと 名づけ 分節し終わっていないものの存在が まだ無数にあることに気づくのである

まあ 能書きをクドクドと述べたが サップを少々
いかに身体を動かさずに ボードを動かすか?
世の中のサップ乗りの人たちは いかに身体を動かすか そんな事ばかり 考えておられるのではあるまいか?
年を取ると 身体を動かすにあたって 常に『費用対効果』を考えないといけないのである

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