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罪悪感と無価値感にまつわる、人間関係で生じやすい問題について考えたこと。

ブログで書いた「アスペル・カノジョ」の記事に関連して、罪悪感についてと罪悪感と表裏一体の無価値感についての「自分の個人的な考え」をまとめたい。

自己肯定感の低下は、「罪悪感の高まり」もしくは「無価値(無力)感の高まり」を源泉にして起きやすい。
罪悪感と無価値感は感覚として両極にあるもので、コインの裏表になっている。

◆罪悪感が高じて起こる支配パターン→「価値の搾取」

罪悪感は「自分は力があるから責任がある」という感覚から生じやすい。
自分は力があるのに、なすべきことをやっていない。
周りの人が不幸そうなのは、すべて自分に責任がある。→自分が何とかしなくてはいけない。
こういう発想に囚われやすい。

「信仰型恋愛」では、なぜ男→女性という類型が圧倒的に多いかというと、罪悪感自体が相対的に強者になりやすい男に生じやすいからだ。

「自分は男という強者だから、弱者である女性や子供が幸福であるように努めなければいけない。彼女たちが不幸であればそれは自分の責任なのだ」
もちろん個人差はあるが、男はこういう感覚が女性よりも圧倒的にベースに生じやすい。
その感覚を払拭するために、「何か出来ること」「力になれる対象」を探す。

これが高じてこじらせると、「出来ること」を作るために相手を「無力な状態」「困難な状態」に閉じ込めてしまう。
相手が困っているから助けるのではなく、助けたいから無力な状態におくという逆転の減少が起こってしまう。
自分の罪悪感を払拭するために(万能感を得るために)、相手に無能感、無力感を与えるという「価値の搾取」が起こる。

これが「罪悪感を持つ人が、相手を無価値(無能)な状態を強いる」「価値の搾取」という支配パターン。

「夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない」は、親から子への「価値の搾取」を描いている。
家族の中で「無力(無能)な人」を一人作ることで、かろうじて家族が保たれている、という話だ。

(引用元:「夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない」 宮崎夏次系 講談社)

みんなのために「無力さ」を引き受ける人は、人の気持ちがよくわかる人が多い。
辛い話である。


◆無価値感が高じて起こる支配パターン→「罪悪感コントロール」

逆に、自分の無力さを逆手に取って、相手の罪悪感を突いて支配するパターンもある。
「罪悪感コントロール」と呼んでいて、前からたまに批判している。

「鬼滅の刃」の猗窩座は、このパターンにハマった典型である。
恋雪の母親は恋雪が回復しないことに絶望して死んでいる。
恋雪の症状を見ているだけしかない母親の罪悪感。
自分のせいで母親が自殺した恋雪の罪悪感。
二人を助けることが出来なかった恋雪の父親の罪悪感。
猗窩座は元々、父親の死に対する罪悪感に加えて、恋雪一家の中で雪だるま式に膨らんだ罪悪感も、狛犬に例えて恋雪の父親から背負わされている。
その状態で父親と恋雪が殺される、という罪悪感がさらに加わる。

普通に考えれば、父親と恋雪が死んだのは猗窩座のせいでも何でもない。自分がいない間に毒を盛られて、というのはどう考えても防ぎようがない。
ところが「どう考えても防ぎようがないこと」でも、自分の弱さのせいになってしまうのだ。
周りの人が不幸になるのはすべて自分の責任だ、と思わされてしまう。
「自分は罪深い悪い人間だ」という発想が極まった結果、本当に「罪深い悪い人間=鬼」になる。

猗窩座のように、罪悪感ドミノを食い止めようとしておかしくなってしまう人は、根は真面目で優しい人が多い。
周りから見て「この人は、強いから大丈夫そう(そしてある程度は確かに強い)」と思われているため、みんな遠慮会釈なく責任を負わせ、強者=悪者にする。
その上で「こっちは弱いのに被害者なのに、こういうことをするなんて、してくれないなんてひどい。悪者だ」と弱さ(無力さ)を盾にして、罪悪感をつついてコントロールする。

これが「罪悪感コントロール」というパターン。

◆自分が内部にいると気付きにくい問題も、創作で見るとわかりやすい。

こういうのは、自分がその内部にいると気付きにくい。周囲もやっているほうも気づかない場合が多い。(むしろいいこと、当然のことと思ってやっている場合もある)
その気持ちが高じている人もそこにたどり着くまでにその状態が普通だと思わされ、結果的に支配する側に回り外側から見れば苦しんでいることも多い。(ドミノ構造になっている)

創作はこういうものの構図やつながりを可視化することができ、現実ではやってはいけないことを描くことで気持ちを回復させることができる。
その気持ちを思う存分晴らす、克服する、解決できないまま全員不幸になる。色々なパターンが、気持ちの赴くままに描ける。
「アスペル・カノジョ」は、その構図に無自覚なところが自分には合わなかったが、色々な話があっていいとは思うのだ。

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