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【エルデンリングDLC感想】必要なのは「優しい神」ではない。「人を尊重する王」なのだ。

※本記事には「エルデンリングDLC」のネタバレが含まれています。

 まだラストまでプレイしていないので考察というより希望的推測。

「種の保管庫」でアンスバッハが言った台詞が、DLCのストーリーがどういうものかを表しているのかなと思った。

 魂など必要なく、ただ空っぽの肉体だけを求めるとは。ああ、けれどミケラ様は、それが辱めであるとは、想像もされないでしょう。

(エルデンリングDLC「SHADOW OF THE ERDTREE EDITION」©フロムソフトウェア)

 アンスバッハは傷つけられたモーグの尊厳を回復するためにミケラに立ち向かうが、作内でアンスバッハが尊重するのはモーグだけではない。
 ミケラに心酔して自分を粛清しようとするレダには「あなたらしい」と言い、ティエリエのことを見損なっていたと知ると「自分の愚かしい偏見だった」と認める。

「エルデンリング」における「主(王)」は世界を構成する「律」であり、「律」はその人が信じる世界、認識、価値観(魂)である。
 現代に例えると、アンスバッハは「自分とは違う価値観を尊重する人」だ。
 結果的には相容れなくとも、自分とは違う他人、「自分とは異なる意見、認識」を貶めることはしない。

 モーグ(モーグウィン王朝)は、元々善悪のジャッジをせずに何でも受け入れる「律」だったのではないか(※)
 だから強さを求めて修羅になった翁も竜血に魅せられたエレオノーラも血指として受け入れた。
 強さだけを求める修羅も、タブーとなった竜血を受け入れる人間も、介錯と殺人の区別がつかなくなった人間でも誰でも受け入れられた。狭間の地の世界観では貶められているしろがね人たちの安住の地でもあった。

 不当な差別以外にも、本来なら「明らかな悪、異質な感性」と忌避されるものも一方的に選別されず排除されない(ミケラに狙われたのはそのためでは)
 若いころのアンスバッハはその律に救われた。だから自分に居場所を与える律(価値観)を守ろうとして純血の騎士になった。
 その感性が年を取るにしたがって、柔軟に変化していった。
 年月や様々な経験を重ねることで、アンスバッハの中にあった「あるがまま存在していい」という自分軸の律が「人を尊重するとはどういうことか」という他者軸の考えかたに変化していったのではないか。
 というのも、アンスバッハはモーグと同じくらいミケラもラダーンもレダもフレイヤもティエリエも褪せ人も尊重しているからだ。

 忌み子として生まれて地下に捨てられたモーグは、だれも忌まれず選別されない律(世界観)を望んで、生み出した。
 その世界観に居場所を与えられたアンスバッハが、生きていく過程で「自分とは違う考え、価値観の他人を尊重するとはどういうことか、人の尊厳とは何か」を学んだ。
 そうして年を取ったいま、かつて自分の居場所だった律を守るために戦う。

 愛や優しさを求めているのではない。
「あなたとは違う人間であること」を尊重して欲しいだけだ。
「対立すること」と「尊重しないこと」はイコールではない。むしろ尊重するからこそ、対立することもある。
ということを言葉で主張するのではなく、生き方によって体現しているアンスバッハは本当にカッコいい。

 NPCが自分の価値観に従って二派に分かれていくさまや、アンスバッハが「モーグ遺体消失の謎」を追うミステリー風味の展開など、DLCは本編の世界観を下地にしていながらまったく別の面白さがある。ファンのためのセルフオマージュも満載だし、新しいアイディアもある。
 どれだけ引き出しがあるのか。
 今さらながら驚く。
 ボリュームを増やして一本の作品として出して欲しかったな。

※狂い火だけは別っぽいけど。

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