「前提になることを読み取れていないかもしれない」のは、自分にとってはけっこう怖いことだ。

 上の記事を読んだ後に他ブコメを読んだら、自分の読んだことと違うことを主旨として読み取ったコメントの半分くらいを占めていてビビった。(同じことを読み取っていた人もいたけど)
 自分の読み方がおかしいのかなと思って、二回くらい記事を読み直したけれど、やっぱりそれが主旨のような気がする。
 なのでブコメで「自分はこう読んだけれど合っているか不安」みたいなことを書いたら、ブログ主のよしきさんが「ここが主旨です」という引用スターをつけてくれたので、「良かった。合っていた」とホッとした。

 自分は賽の河原の石積みたいに自分の頭の中で延々と好きなことや興味があることについて考えを積み上げていくのが好きなのだが(ブログやnoteを書いているのはそのため)、引っかかったフックを使ってマジカルバナナ的にアウトプットするのでは「考える」ではなくただのシャウトになってしまう。
 前提なんて関係なくシャウトする時も、突然マジカルバナナをする時もあるが、興味があることについては石積がしたい。

 ブコメが前提の確認で終わってしまったので、以下記事を読んだ感想。

 自分はこの「怨み屋本舗」という漫画は読んでいないので作品については何も言えないが、よしきさんにとっては相当箸にも棒にも引っかからない漫画だったのだろうということは伝わってきた。
 違ったらスマソだが、「騒動で一過性に話題になったこの漫画よりももっと面白い作品がたくさんあるのになぜ」という思いをひしひしと感じた。
 自分もこういう騒動が起こるたびに、「それよりももっと面白い作品が、同じ問題を持っているものでもこちらのほうが」とつい思ってしまうので、余計にそう思うのかもしれない。
 今の時代は「注目」が最大のインセンティブになるので、SNSで騒いで作品を注目させるのは宣伝行為に近い。
「創作に実際の人物をモデルにして出す問題」に興味がある人は、前から自分の考えを述べているだろうし。自分個人の中でさえ、どこで線引きするのかを考えるとかなり難しい問題だと思う。

 あと共感したのはこの箇所だ。

怨み屋の最も偉大な点は「根強い需要をつかんで連載がずっと続いている点」だし、そのためには読者が何を求めているのかを見極めてそれに合わせ続けるだけでなく作品制作の省力化も必須だろう。そう考えたらこの作者さんはそういう意味で「職業マンガ家」としてはむしろプロ中のプロだと思う。

 自分もどんな作品でも「連載がずっと続いている」「その作品を求めている人がいる」というのは凄いことだと思う。「見知らぬ誰かに内容の面白さだけが対価だと思ってもらう」のは大変なことだ。

 まあそれと作品の評価は別なんだけれど、その逆もまたそうだという意味で「自分にとっては箸にも棒にも引っかからず、完全にnot for meだけれど、こうしてきちんと固定ファンをつかんで連載を続けているのは凄いことだ」というのは本当にそうだなと思った。

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