「ドラゴンクエストビルダーズ2」のペロの扱いから、女性キャラの描写で気になるポイントについて考える。
*タイトル通り批判的な内容です。(火力高め注意)
*ネタバレも注意。
「ドラゴンクエストビルダーズ2」のペロという女性キャラの扱いが、プレイしていてキツかった。
一体、何がそんなに気になるのか。
細かく考えてみた。
何度か書いているが、自分は「女性キャラの扱い」についてはエロよりも
①「主体性のなさ」
②「慈悲的差別」
③「意思のないセックスシンボル的扱い」
④「聖女(聖なる被害者)化」
のほうが気になる。
大抵の場合、③と④は①を土台として派生することが多い。
「主体性のなさ」とはどういうことか。
「キャラの言動が『周りの要求を受容するための要素』のみでできており、周りから求められることを屈託も抵抗もなく受け入れるだけの存在である」
もう少し具体的に言うと「他者(周りの人間)と対立する要素を含んでいない」
「自他の境い目が曖昧→主体性がない」こういう造りになっている。
「リボルバー・リリー」では、「愛人である水野の夢をかなえること」が百合の戦うモチベーションになっており、水野の存在を抜いた時に日本のことやその将来をどう思うのか、という百合自身の考えが見えてこない。(水野が敵と対立するから、百合もそれに従って敵と対立しているだけで、百合個人として対立するものがない)
ただ、百合はまだしも、自分を騙した水野のことを「勝手な人」と批判(判断)している。(その一言だけで許すのか、ということはともかく)
ペロは百合のように「一応自分独自の考えなり感情もある」という風にすら見えない。
オッカムル島の荒くれたちは、ペロを自分たちの嫁候補と公言し、ペロの気持を確認することはなく、主人公に「お前には渡さない」と言う。
ゴルドンに至っては、ペロに会った瞬間に好きになり、ペロと交流を重ねることも意思を確認する様子もなく、「ペロは誰にも渡さない」と公言し続ける。
ペロは荒くれたちを励ますためにバニーの衣装を着て、求められるままにハッスルダンスを踊り、(自分に原因があるわけではなく)荒くれたちにとって光輝く存在だからという理由で石化される。
荒くれたちは何回か「ペロは自分たちの宝だ」と言うが、前述したように荒くれたちはペロを「嫁候補」として見ているので「本当は独占したいができない」という文脈が含まれている。
「本当は独占したいが独占できない、という結果→共有する宝になっている」
荒くれたちは、誰一人、ペロの意志を確認することもなくお互いに牽制し合い、その結果として性的魅力を感じていると公言しながらペロを共有する。
そのことを隠そうともしない。
なぜ「自分たちがペロをどう見ているか」を明け透けに語るのかと言えば、ペロというキャラには「自分の意思によって価値判断をするための視点が存在する」と、他人に思わせる要素が皆無だからだ。
価値判断しないのだから隠す必要がない。
逆に言えば、荒くれたちがこれだけ好き放題、「自分たちがペロをどう見ているか」「どうしたいか」を放言できることが、ペロには物事を判断する視点も能力も意思もないことの証明になっている。
ペロが望んでこういう状況を作り出している、そのことを楽しんでいる、もしくは便宜的にそういう状況を利用しているなど、本人の思惑なり欲望が見えているなら気にならない。
むしろ面白いと思う。
*性的魅力(力)に自覚的で、それを自分の意思や欲望に沿って振るう女性キャラはむしろ大好きである。
引っかかるのは、ペロが「男たちに共有される宝(セックスシンボル)にされている状況」自体ではなく、その状況に対してペロが何を考えているのか見えてこず、男(他者)が望む状況をただ受け入れていることだ。
ペロはこの状況をどう思っているのか?
嬉しいと思っているのか?
うざったいとは思うが、別に言うほどでもないと思っているのか?
苛立っているのか?
男たちの言動を止めて欲しいのか?
仕方ないなくらいに思っているのか?
もっと自分の魅力を崇めて欲しいのか?
その内心を推測する手がかりとなるような「キャラの成り立ち」がまるで見えてこない。
だから「この人は特に人格のようなものがなく、こちらの言うことを何でも受け止める存在なのだろうな」と思い、荒くれたちがペロをそういう存在として扱っても仕方がないと思ってしまう。
「人格が見えてこない相手」のどこをゴルドンを始め荒くれたちが好きなのかと考えると、「人格がないところが好きなんだろう」と考えるしかない。(言葉にするとひどいな)
物語が佳境に入り、オッカムル島のボスであるメドーサボールが出てきた。
メドーサボールは、「ペロは皆から見られるための宝、シンボルである」という文脈を踏まえて、「自分に与えられるべき視線を奪うものである」という理由で嫉妬し、ペロを石化する。
メドーサボールがゴルドンにしたことと、ゴルドンがペロにしていることは同じだが、何故かメドーサボールの行為のみが断罪される。
男が女性の意思を無視して明け透けに好意を語り迫るのはいいが、逆をやると忌避され、地下にもぐらなければいけないのか。
勝手に「嫁だ」「ハニーだ」と言われても、反発どころか反応もしない女性に対して、好きな相手に意思を主体的に表明した女性が「視線を奪われた」と思い、嫉妬するというストーリーなどすべてにうんざりする。
一体いつの時代の話だ。
2018年発売である……。マジか……。
シドーが主人公たちと積み重ねてきたモノづくりの楽しさと、破壊神である自分の運命との間で翻弄されるメインストーリーは面白いし、モンゾーラ島やからっぽ島では、特にこういった気になる点はなかった。
「モンゾーラ島とのストーリーの差異化のため」と言われれば、仕方がないかと思う部分もある。
自分は創作は好きに描くべきだと思う人間なので、気になれば今回のようにあれこれ言うが、だからと言ってこういう描写をなくして欲しいともなくすべきだとは思わない。
女性からの価値判断など存在しないかのように荒くれたちが自分の気持ちを明け透けに語り、自分に対して意思を持って同じことをしてくる女性(メドーサボール)は断罪し、意思のない女性を光り輝くセックスシンボルに祀り上げるストーリーは、プレイしていて苛立ちしかなかったが(申し訳ないが、最後にゴルドンが酒場と同化して消滅するエンドは、自分にとっては特大ざまあにしか思えなかった。←済みません)それはあくまで自分の好みである。
むしろこれくらい自分とはまったく相入れない表現も、世の中にあって欲しい。こういうストーリーだとあらかじめわかっていたら自分自身はやらんけど。
ペロがからっぽ島に来ると言ったら断ろうと思っていたが、「はい、いいえ」の選択肢すら出ずに、ゴルドンの大岡裁きによって(何でだよ)ついて来ることになった。
ジュエルンに来て欲しかった……。
とりあえずようやくオッカムル島から脱出できたので、この後は楽しくプレイしたい。
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