【「エネアド(ENNEAD)」考察】セトは、なぜモテるのか。
*本記事には「エネアド」のS2第23話までのネタバレが含まれています。未読のかたはご注意下さい。
S2第23話を読んで、セトの見事なまでの鈍感ヒロインぶりに萌えた。自分がホルセトにハマっていたら、神回だった。
セトは「自分の認識の世界観」を欠片も疑わず、その認識でのみ物事を解釈しようとする。
「ホルスが自分を好きだから助けてくれる」とはちらりとも思い至らず、「ホルスは自分の敵対者である。だから今助けに入ったことも何かを企んでいるからに違いない」という認識で話をする。
その認識では解釈しきれない出来事が起こると、自分の認識を疑うのではなく、
思考停止してとりあえずスルーするか、
他のことを合わせて考えれば、どう考えてもそういう風には考えんだろという曲解を大真面目に主張する。
「自分の認識と実際の事象が矛盾している時に、自分の認識を取って目の前の出来事はなかったことにする」
こういうことを「自分の都合のために」やるのは、特に珍しいことではない。
セトの面白いところは、「自分の都合の良し悪し」で認識するかしないかが決まるのではなく、自分の外側にある規範によって認識が縛られているところだ。
「自分に都合が悪いこと」でも、規範に沿えばその認識に限界まで従おうとしてしまう。
だからホルスがどれだけ尽くそうと、オシリスがどれだけ強く思おうと、セトの中では「ホルスやオシリスが自分に恋愛感情を抱いている」という可能性が思い浮かびさえしないのだ。
こういう「自分の内面を、何かに縛られて不自由に見える人」は、他人にとっては強烈な性的魅力がある。
「縛られている女が一番エロい」(©サルトル)は至言である。
セトの魅力は「自分が信じる規範以外のものは、自分の内面でも他人のことでも全スルーする鈍感さ」にある。
だから周りの人間は、規範の外側にいる自分の姿、自分の気持ちに気付いて欲しくて、際限なく行動をエスカレートさせる。
シーズン1で出てきたネフティスを閉じ込めた鏡の設定は、今のところはっきりしていない。
だがセクメトがホルスに上記のように言っていたことを考えると、「鏡の内と外」「偽物」と「本物」の区別はさほど重要なことではないように思える。
ネフティスやホルスが仮にセクメトかラーに操られてセトを裏切るなり犯したのだとしても、それは元々彼らの中にあった欲望であり、鏡はその欲望を煽ったに過ぎないのではないか。
さらにセトを好きな人間にとって厄介なところは、セトは自分の都合で規範に縛られているわけではないため、アクションを起こすと本性や本心が垣間見えるところだ。
ホルスやオシリスだけではなく、イシスがあれほど激しい怒りをセトにぶつけ続けるのも、そのためではないかと思う。
「本当は何を考えているのか」「本当はどう思っているのか」というのがもう少しで見えそうなので、リアクションを引き出せると思って強いアクションを取り続けてしまう。
セトの魅力は、人の反応をスルーすることで相手に「自分の気持ちをわかってもらいたい」という欲望を際限なく湧かせる、恐るべき鈍感さにあるのだ。
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