【エルデンリングキャラ語り】ティエリエを好きになったのは、トリーナの愛によって自尊心を取り戻す展開が好きだからだ、と気付いた。
※本記事には「エルデンリングDLC」のネタバレが含まれます。
↑の話の続き。
マリケスやモーゴット、「ブラッドボーン」のローゲリウスのような「真面目すぎておかしくなってしまうキャラ」が大好きだ。ティエリエも最初はこのキャラたちと同じ系譜だから好きなのかな、と思っていた。
だが、ティエリエに感じるものは他のキャラたちとはどこか違う。
何が違うんだろう。
考えた末、ティエリエがトリーナに向ける感情ではなく、トリーナがティエリエに向けた愛情にティエリエを好きになったポイントがあることに気付いた。
トリーナはなぜ、ティエリエにはミケラを倒してと頼まなかったのか。
設定を踏まえると、トリーナはティエリエのことを思いやってあえて声を聞かせなかったのでは、と思う。
もしトリーナがティエリエに頼み事をしたら、そのつもりがなくとも事実上の強制になってしまう。
マリケス(グラング)が死のルーンを奪われた罪悪感でおかしくなったように、ローゲリウスがアンナリーゼのそばから動けなくなったように、一方的な強い思いはその持ち主自身を支配して縛りつけてしまう。
「自分に向けられる思いを支配の道具にしない」
ミケラは元々は、そういう愛(=トリーナ)を持っていた。それを捨てることで、魅了の力で人を支配し理想の世界を創る神になろうとした(※1)
「人を支配しないトリーナの愛」を注がれて自らの意思を持ったティエリエと、「人を魅了し支配するミケラ」に利用されたモーグ、操られたラダーンは対比になっている。
DLCのレダ戦→ラスボスのアンスバッハとティエリエの金サインは単なる救済措置を超えて、むしろ呼ぶことがストーリー上は(※2)必然になっている。金サインの概念が覆っていると感動した。
モーゴットやマリケスは勝ったとしても先のない、どん詰まりの負け戦を挑んでいた。
だが、ティエリエはトリーナの願いを叶えることに希望を持っている。だから自分が死んだあと、褪せ人にトリーナの願いを託せる(死に際の台詞を何度も言わせてしまったのはご愛敬である)
トリーナの気持ちがわからなくとも(はっきりしなくとも)、自分がその願いを叶えたいと思う自発的な気持ち、それが愛や信仰、もっと言うと素朴な「好き」という気持ちだ。
「支配(魅了)しないこと=トリーナからの愛」を受け取った時にティエリエに起こったことは、世界が転倒して生まれ変わったに等しいことだったと思う。
弱気で自己卑下していたティエリエが「剣では斬れず、鎧では防げぬ。侮るな、ティエリエの毒を」という台詞を言うまでになったのは、トリーナからの愛によって自尊心を取り戻したからだ(……というのが自分の妄想解釈)
ティエリエ自身も好きだが、それ以上にトリーナ様(いつの間にか様付け)から「支配しないこと=愛」を与えられることで、ティエリエが自尊心と生きる目的を持ち、自発的に参戦する流れが滅茶苦茶心にヒットしたのだ(メスメル、ヨラーン、ミドラー、クウィンラインと従来のどん詰まりパターンが多かっただけに余計にそう感じた)
ティエリエ→トリーナ様からのミケラ戦への奮起は、もう少し詳しく見たかった。
今度はもっと長大な影の地の物語を、指様が生み出してくれないかな。
(※1)自分の中では、ミケラwithoutトリーナは超クソ生意気なメ○ガキである。
(※2)あくまでストーリー上は。
・余談で「トリーナ=宵眼の女王」説の話をしていたら、どんどん長くなったので分割した。
・クリア前に語った、前のめりな感想。
・マリケス、モーゴットの系譜に連なるメスメル。ほんとこういう「真面目すぎておかしくなるキャラ」が好きなんだな。
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