藤本タツキ「ルックバック」は「妹の姉」の別ルート?

*本記事には藤本タツキ「ルックバック」と「妹の姉」のネタバレが多少含まれています。


さっき藤本タツキ「ルックバック」をもう一度読んだ。

59ページの二人が横断歩道を渡る絵が尊すぎて、そこからずっと泣いている。泣きすぎて頭が痛い。

藤本タツキと言えば「チェンソーマン」も面白いけれど、自分は「妹の姉」が凄く好きだった。

「妹の姉」も「ルックバック」と同じで、きっぱり系強気女子とおどおど系弱気女子の組み合わせの話だった。

それにしても藤本タツキが描くおどおど系弱気女子の可愛さは異常だ。京本が可愛すぎる。

あくまで自分の場合はだけれど、創作脳と解釈脳は真逆なので、創作脳の体操のために読み手としてもしばらくは余り解釈はしないで、感覚で創作を楽しもうかなと思う。

「解釈脳」を今は封印中のこともあり、「ルックバック」の感想は「一回目読んで泣いた、二回目読んでもっと泣いた」で十分かなあ。


「ルックバック」は「妹の姉」の別ルートなのかな?と思った。

「妹の姉」の記事で書いた通り、「『妹の姉』の妹は姉を信仰している」と自分は思っている。「信仰されている」姉視点で描かれていることもあり、かなり怖い話だと思った。

「ルックバック」と「妹の姉」を読み比べると、「祈りの対象」と「信仰の対象」は違うのだなあと感じる。

「ルックバック」では、京本は藤野を「祈りの対象」として持ちつつも、自分の道を歩んでいる。

京本の「祈り」は京本自身がいなくなっても失われず、祈りの対象であった藤野に受け継がれる。

そのつらなり方が余りに美しくて、言葉に出来ない……。


「人が存在した」とはどういうことなのか、ということが伝わってくる話だ。「存在したこと」自体が神聖なことなのだ。

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