善と悪

最後まで突き詰めて残るものは、ただ、コギト・エル・スムス。
我思う、ゆえに我あり。

全てを疑っていっても、最後にそれを疑っている自分自身はそこに居る。


自分のことを善人だと、善行を成しているのだと思っていた。
否、それも間違いだった気がしている。

悪であろうとするには自分は弱すぎるからだ。

それを考えている自分自身は、では、一体何故?
考えなければ、善人でいられる筈なのに。

こうして記録に残して、わずかにでも人の目に思考を触れさせることを望むのは、本質的に自分が誰かに見て欲しい、誰かに理解されたい、と望んでいるからなのだろうと、思う。

一方で、誰もこんなものを見るなと、内に秘めておく、苦しみに耐えきれないだけだからだと、いう。


善であると言い切るには自分のことが嫌いすぎるし、
悪であると言い切るには、人にまだどこか期待しているのだった。


では、それを思考している自分自身の存在をなくしてしまいたい。
すっげえダサいので。賢ぶってる野郎ほどだせえものはない。


かすかな冬のにおいと、ぬるい暖房と、冷めきったコーヒーと、それはそれとしてお前は死ね。


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