見出し画像

新月のねがいごと〜父の思い出

新月にはねがいごとを書くといい。

数年前に教えてもらってから、思い出したら書くようにしています。
振り返ると、その願いはちゃんとかなえられている(全部じゃないけど)。

だから、新月のねがいごと、信じてます。


1ヶ月前。
7月21日は、新月でした。

その日、いつものように願い事を書こうとするけれど、
その時の私の頭の中を締めていたことは

父のこと。


6年前に倒れてからは、病院に入院したっきり。

2015お父さん-30

(父が倒れなければ、きっと父と手を繋ぐことなんてなかっただろう)

倒れた翌年、病院から外出許可をもらって、
数時間だけ実家に帰らせたことがあった。

ちょうど、両親の金婚式。
普通の食事は食べられないけど、父が食べたがってたものを
流動食にして食べさせた。

2015お父さん-28

・近大マグロ(姪がおじいちゃんに食べさせてあげるって約束していたらしい)
・手作りのお赤飯
・手作りのプリン
(あとはお茶)

お医者様に見つかったら、絶対怒られるよね(汗)

でも、お父さんに料理を食べて欲しかった。
お父さんに料理を褒めて欲しかった。


それから6年。

コロナの影響で、お見舞いにも行けず、
特に東京から行くなんて、病院からも断られ。

数日前から、厳しい状態が続いていたけれど、
父のいる大阪は遠すぎて。

母と姉、そして姪たちが、
父のそばにいてくれるけど

私には何もできなくて、

ただただ、父がよくなってくれること、
生きてもう一度会えること。
大好きなうちの息子(唯一の男子)に会わせたい。
(とりあえず、息子のビデオメッセージを姉に託したけど)

その一心でした。

新月の願い事に

父にもう一度生きて会えますように。
父ともう一度喋れますように。


そう、書こうと思った(実際書いた)

実は、新月のねがいごとには、ポイントがある。
・愛から出たねがいごとであること(エゴから出たものはダメ)
・人を変えることはできないこと

私が今、願っていることは、本当に愛から出てる?

病院で「食べること」もできずに、
体調が悪く苦しんでる父に対して、「命を繋いでくれ」というのは、

単に、私が父に会いたいというエゴではないのか?

父が苦しむことなく、幸せであることこそが、
本当の願いではないのか?


そうだよね。

お父さんが苦しむのは嫌だ。

お父さん、6年前に倒れてから、ずっと生きていてくれた。

大阪から離れて東京暮らしだったから、
年に2〜3回しか帰れなかったけど、
それでも、お父さんのところに行くことで、
少しは親孝行させてくれるチャンスをくれた。

うちの子どもたち(娘と息子)も、
大阪に帰るタイミングを見つけては、
おじいちゃんのお見舞いに行けるチャンスをくれた。
自分たちが行くと、おじいちゃんが喜んでくれる。
そんな喜びを、感じさせてくれた。

もう、十分頑張ってくれたよ。

お父さん、ありがとう。


新月のねがいごとには

本当に父が望むなら、苦しくなく幸せに包まれることを祈ります。

と、書き加えました。


翌日。7月22日。

父は、天に召されました(享年83歳)

きっと、ギリギリのタイミングまで、
私の気持ちが落ち着くまで、
私が父が天に召されることを許すまで、
私が納得して見送れるまで、
頑張ってくれたんだと思います。

私に料理の楽しさを教えてくれた父
お父さん、本当にありがとう。

あなたの娘に生まれて、私は本当に本当に幸せです。

父との思い出は、ほとんどが料理と美味しいもの。

ふと、父の味を思い出しては、再現して懐かしんでます。


サポートしていただけると嬉しいです。 いただいたサポートは、 美味しいレシピの研究・開発などに 使わせていただきます。 よろしくお願いします。