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同期・船木誠勝が語る武藤敬司vs蝶野正洋 「2人はデビュー戦から大人でした」

船木誠勝が同期の武藤敬司vs蝶野正洋を語ります! オカダ・カズチカvs清宮海斗にも言及、昭和と令和のプロレスの違いとは? 17000字インタビュー!!(聞き手/ジャン斉藤)

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――武藤さんの引退試合ですが、最後の最後にサプライズで蝶野正洋さんと対戦。おふたりと新日本の同期だった船木さんもいろいろと思うところがあったんじゃないですか?

船木 そうですね。これは「始まりに戻った」ということですよね。

――武藤さんと蝶野さんはデビュー戦で戦ってますね(1984年10月5日)。

船木 だからどうしても武藤さんは最後に蝶野さんとやりたかったみたいですね。蝶野さんは相当、渋っていたと思うんですけど……。

――蝶野さんはもう試合ができるコンディションではなくて。

船木 でも、武藤さんにあそこまで言われたら、出ないわけにいかないじゃないですか。会場に来たってことは、蝶野さんにその覚悟はあったと思いますよ。

――蝶野さんもどう転んでもいいようにトレーニングはしてきたんでしょうね。

船木 動きやすい格好でしたから、準備はしてきたんだなと思いました。いい終わり方ですね。この試合があったおかげで、引退の悲壮感が途切れました。内藤(哲也)戦は唐突に終わったような気がしたんです。「あ、これで本当に終わっちゃったんだな……」って。

――見るほうからすれば、終わってほしくない感情もありましたし……。

船木 このあとどうするんだろう……って思っていたら、武藤さんが蝶野さんをリングに呼び込んで。寂しい感じで終わらなかったのは、蝶野さんのおかげですね。いい引退試合になったと思います。

――普通の引退試合だったらテンカウントを鳴らしたり、セレモニーをやるんですけども何もなく。

船木 武藤さんは最後に花道を歩いて去っていくことがやりたかったんじゃないですか。

――船木さんもヒクソン・グレイシー戦後、花道を引き上げる途中で引退を宣言して驚かせましたね(笑)。

船木 そうですね(笑)。あれはもう23年前のことですか……。

――ボクもいろんな選手の引退試合を見届けてきましたが、ここまでハッピーエンドを感じるものはなかったです。

船木 それに武藤さんはよく動けてましたよね。試合前、肉離れで足が使えないという話だったじゃないですか。ノアの大阪大会(2月12日)で本人と会ったとき「足が痛くてさ」と。あれ、冗談じゃないんだって。

――冗談だと思ってたんですか(笑)。

船木 いや、武藤さんってホントかどうかわからない冗談が多いんですよ(笑)。

――新弟子時代も「こんな練習キツイから、みんなでやめよう!」と言い出して。同調してホントにやめちゃった新弟子もいるけど、言い出しっぺの武藤さんはやめなかったり(笑)。

船木 武藤さんは実際、(山本)小鉄さんに直接伝えたんですよ。でも、引き止められたから「俺のことが必要なんだ」ってことでやめなかったんですよね。会社が武藤さんを引き止めないわけがないんですよ。身体が大きくて動けるわけですし。自分が新日本の寮に入ったのが84年の4月11日なんです。ブッチャー(橋本真也)が21日だったんですが、その次の日に入る新弟子がスター候補だという噂を聞いたんですよ。翌日に入ってきたのが武藤さんと蝶野さん。蝶野さんも身体が大きかったんですが、スター候補は武藤さんなんだろうなと。

――そんな逸材を簡単にやめさせるわけがないと。

船木 「やめよう!」と言い出したのも武藤さんの冗談かもしれない。だって小鉄さんに「やめます」と言ったときも半笑い気味でしたからね(笑)。

――ハハハハハハハ!

船木 あれは傍目からでもおかしかったですね。武藤さんってそういうところがあるんですよ。本気かどうかわからない。

――武藤さんはスター候補と見込まれたとおりの大活躍ですよね。

船木 今回だって60歳で足が悪いのにまあまあ動いてましたからね。1月のムタのときと比べて身体も絞れていたので、やっぱり引退試合に懸けていたんだなって思いました。最後にちゃんとしたものを作って終わりたい。だからこそのコンディションですし、やろうと思えば来月も試合はできますよ。

――ムチャすればムーンサルトプレスもできたんじゃないかっていう。

船木 できたと思います。コーナーポストに普通に立ってましたから。あとは飛べばいいだけなので。

――あそこで飛んでしまったら今後の生活も危うくなることを考えたら……ってことですね。

船木 思ったのは猪木さんが55歳で終わったじゃないですか。武藤さんはそこから5年もやったわけですから、その運動神経のすごさですよね。30分超の試合もしてるわけですから、すごいなって思います。

――来月54歳の船木さんも年齢との戦いは身に染みるところがあるんですね。

船木 はい。自分があと6年後に30分も試合ができるかというと、ちょっとわかんないです……。6年後ってけっこう長いですから。武藤さんはノアに入ったことが大きいですよね。そもそもノアに入ってなかったら引退せずに現役を続けていたはずですよ、たぶん。

――ノアに入ったことで引退できたと。

船木 フリーだったらプロレスラーという肩書きしかないわけです。武藤さんはよく言ってたんですよ。バラエティ番組に出ても、プロレスラーと元プロレスラーとでは違うんだと。プロレスラーという肩書きにはすごくこだわってましたよね。ただ、ノアはサイバーエージェントが親会社で大きいところですよね。ここならやめれるなって思ったかもしれないですよね。やめても会社に残れば、なんかしら肩書はあるじゃないですか。

――引退後のキャリアも作りやすいと。

船木 60歳というちょうどいい節目で、病院の先生からも何か言われて「いまかな」と思っても不思議じゃないですよね。それも武藤さんが引っ張ってきた運命です。

――ノアだからここまで大掛かりな引退ツアーはできた。武藤さんは新日本を退団して、全日本やW-1では社長とプレイヤーの二足のわらじでしたが、ノアではプレイヤーに専念したことで輝きを取り戻したところはありますね。

船木 あの歳でタイトルを取っちゃったり、長い試合ができちゃったり。試合だけに集中したら、やっぱりすごいですよね。

――かといってずっとプレイヤーに専念していたら、消耗が激しかったかもしれないです。

船木 あとはどこで試合をやっていたかですよね。全日本に移籍しなかったら、もしかしたらアメリカに移っていたかもしれない。でも、アメリカだったらもっと早く引退していたかもしれないですし。

――でも、武藤さんが全日本やW-1の社長をやったことで、一度は引退した船木さんもプロレスに復帰できてるんですよね。

船木 そのとおりです。武藤さんが呼んでくれたおかげで、自分はプロレスにまた戻れたっていう感謝に尽きます。格闘技に戻ることはできたんですけど、プロレスに自分から戻ることには抵抗があったんです。格闘技は自分の身体を痛めればいいだけじゃないですか。そこは自分の責任なんですが、プロレスの場合は戻る入口がなかったんですよね。新日本をやめて、新生UWF、藤原組と移って、最後は自分の団体(パンクラス)でやめてるから、どこもコネクションがなかったんですよ。で、武藤さんはずっと前から所々で声をかけてくれました。格闘技をやってたときも「たまにはこっちも手伝ってよ」って。武藤さんは話題を作るのが好きで、誰を引っ張り出したら面白いかっていうことを考えてて。

――今回の蝶野さんじゃないですけど、サプライズを用意するというか。

船木 自分が全日本に入ったときは「シャムロックやバス・ルッテン出せないかな」「謙吾を復帰させて鈴木健想を組ませたい」とか。

――謙吾&健想のラクビーコンビですか!(笑)。

船木 武藤さんは昔から目立つことが重要なんです。新日本時代にも言われました。「船ちゃんはいいよ。若いというだけで注目されるんだから」と。自分のプロレス復帰も話題作りの1つだったんですけど、当時の自分は谷川(貞治)さんがやっていたFEGに所属してたんですよね。

――K-1やDREAMの運営会社ですね。

船木 FEGの経営が悪くなってきたその頃に、武藤さんから今度「デビュー25周年記念大会をやるんだけど、試合に出ない?」と誘われて。谷川さんに相談したら「格闘技のほうはもしかしたら見払いが出てくるかもしれないんで、プロレスのほうが安全だと思います」と。

――自ら「未払いが起きるかも」と(笑)。実際に大変なことになるんですけど……。

船木 たぶん谷川さんは自分のことを考えてくれたんだと思います。でも、プロレスに完全にシフトチェンジするとは思ってなかったです。武藤さんに声をかけられなかったら、何をやっていたのか……。桜庭(和志)や柴田(勝頼)と一緒に行動してたかもしれないですね。

――桜庭さんも柴田さんも当時はFEG所属でしたね。

船木 綱当たり的な感じでプロレスに復帰したんですけど、長くやるかはわからなかったです。ひさしぶりに受け身の練習をしたら背中はすごく痛いし、試合も昔とは違ってレベルが上がってるんですよね。昔の必殺技がつなぎ技になってますから。

――しかも船木さんは40代に入ってますし。

船木 ホント苦しかったです。復帰戦は20分近くやったんですけど……。

――2009年の全日本プロレスの両国大会で武藤さんとタッグを組んで蝶野さんと鈴木みのるさんと戦って。

船木 自分はもうフラフラで。でも、武藤さんたちは平気な顔をして戦ってるんですよ。1試合目から「プロレスはちょっと無理だな」って思ったんですけど、武藤さんはあたりまえのように来月のスケジュールを渡してきて。しかも武藤さんとタッグを組む試合が多かった。武藤さんの試合ということは基本的にメインですよね。

――当然内容が求められるわけですねぇ。

船木 はい。そうやって無理矢理にでもメインで試合をしたことで、プロレスに慣れていったところはありますね。あと武藤さんのためにも必死にやらなきゃなって思うことがあったんです。このままやっていけるか不安の中、復帰して半年ぐらいのことですね。どこかの大会後の打ち上げの席で、スポンサーさんから「武藤さんが、これからも全日本で船木さんが試合ができるようにすると言っていましたよ」と話をされて。あれはホントに嬉しかったです……。ホテルに帰って部屋でひとりで泣きました。プロレスの世界に戻ったといっても、自分は孤独をずっと感じていたというか。

――出戻ったことでのよそ者感があったんですね。

船木 やっぱり思ったように試合はできてなかったんですし。でも、武藤さんはそんな自分を気にかけてくれる。勝手に孤独だと思っていたけど、そうじゃないってことで泣きました。

――船木さんのプロレス復帰に武藤さんの存在は大きいんですね……。

船木 それで1年後には全日本に入団するんですけど。武藤さんはその前から熱心に「もうFEGをやめて、こっちでやらない?ちゃんと面倒を見るからさ」って誘ってくれてたんですよね。武藤さんにこんなにお世話になったという話をした直後にこんなことをいうのはアレですけど、その言い方がウソくさいんですよ(笑)。

――さっきの「マジメなときほど半笑い」になるじゃないですけど(笑)。

船木 本気なんですよ。本気なんですけど、どこかウソくさいんですよね。やっぱり武藤さんって本気でしゃべるときって、ウソっぽいセリフになっちゃうんですかね。W-1の契約更改のときもこんなことがあったんです。

・武藤が最後まで渋ったW-1離脱
・先輩も手を焼いた新弟子時代の武藤敬司のセメント
・蝶野正洋はセメントの練習をほぼせず
・「これがプロレスなんだ」「いや、違う」三銃士や船木の征く道が決まった“あの日”
・昭和と令和、プロレスの違い
・オカダ・カズチカvs清宮海斗を徹底的に語る
・清宮海斗の本音はどこだ……などなど17000字インタビューはまだまだ続く

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