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「プロレスLOVE」以前の武藤敬司が大好きだった

この記事は武藤敬司引退を語ったDropkickニコ生配信を記事にしたものですが、原型を留めていないどころか、インタビュー形式となっています(語り:ジャン斉藤)

同期・船木誠勝が語る武藤敬司vs蝶野正洋 「2人はデビュー戦から大人でした」

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――武藤さんの引退興行は素晴らしかったですね。

斉藤 引退って体力や気力がもう限界に達しているリングから下りるわけで、そうなるとどうしてもセレモニー的になっちゃうもんですが、武藤さんの引退試合は“戦い”があったことで見応えがありましたよね。天龍さん(オカダ・カズチカ戦)や飯塚孝之(天山広吉戦)の引退試合も単なるセレモニーとして終わらなかった。格闘技でいえば高田延彦の田村潔司戦も最高なんですけど、あれはセミファイナルだったじゃないですか。

――メインの桜庭和志に、あとを託す流れを作りましたね。

斉藤 あのとき桜庭さんは試合直前に大ケガをしたけど、強行出場するという師弟愛。ところが、のちにオープンしたジンギスカン屋が2人の仲を割くきっかけのひとつになるんですけど。

――武藤敬司引退と関係ない話はやめろ。

斉藤 ジンギスカン屋1号店は円山町のラブホテル街にあってデートに向き・不向きが分かれるお店でした。そのあと続々と支店をオープンしたけど、1年足らずで8軒近く潰して、高田キャプテンはしばらくラム肉を食えなかったそうです。いまでも愛知方面に1軒だけ残ってるんですが、高田キャプテンが関係してるのかは不明。ちなみに武藤さんがプロデュースしたといわれる武藤道場という焼肉屋も武藤さんがいまでも関与してるかはわかりません。「焼肉 小倉優子」みたいなもんだったのかな……。

――なんとなく武藤敬司に話が戻ってきてよかった。

斉藤 武藤さんの引退試合は、ボーナストラックじゃないですけど、蝶野正洋との“真”の引退試合も面白かったですよね。武藤さんが呼びかけたときの蝶野さんの顔。NHK「マッチョドラゴン」特集のときに「えっ、歌うんですか?」って驚いたときの蝶野さんですよ!

――バラエティ対応だったと(笑)。

斉藤 これって「シナリオがあったの?」という話になりがちだけど、船木(誠勝)さんの「蝶野さんは覚悟をもって東京ドームに来場した」というのが正しい見方ですよね。仮にそういう流れがあったとして、花道を杖をついて歩いてきた蝶野さんが短い時間とはいえ試合をやっちゃったのがすごいですよ。武藤さんだって内藤哲也戦を無事に終えられるかどうかわからない。

――変な話ですけど、映画やドラマと違って撮り直しができないですもんね。

斉藤 最後に武藤敬司vs蝶野正洋をやってくれたことで、自分とプロレスの歩みを再確認できた方も多かったと思うんですよ。時代によってプロレスから受けた影響は違ってきますから。

――ひとりのレスラーを30年も見続けていたら、そのときどきで受ける印象も変わりますよね。

斉藤 ボクにとっての武藤敬司はやっぱり90年代の「ときめきバージンレッド 」です。プロレスというジャンルを生きながらえさせたのは、あのときの武藤敬司の活躍があったからだと思っています。個人的な印象だとプロレス界って80年代中期から徐々に淀んできてて。正直プロレスというジャンルはキラキラしてなかったんですよ。井田真木子さんが『プロレス少女伝説』で1991年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したときに、選考員のひとりだった「知の巨人」立花隆先生がその選評でプロレスをこき下ろしたじゃないですか。

――「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」

斉藤 ホントに酷い言い草! 当然プロレスファンから大反発を食らったんですけども、いまとなってみれば80年代のプロレスって、ここまでボロクソに言われても不思議じゃなかったというか(苦笑)。

――昭和のプロレスファンから、お叱りの声が飛んできますよ!(笑)。

斉藤 いや、でも皆さんの周りのオトナたちも立花先生のような感想じゃなかったですかね? ボクは90年代でもプロレスファンというだけで肩身が狭かったもんですよ(笑)。とくに昭和のプロレスの消化不良決着、意味不明なストーリーってプロレスファンじゃないと受け止められないものが多かった。

――ジョー樋口レフェリーの巻き込まれ失神も、いまなら大人として楽しめるけど(笑)。

斉藤 子供だったボクは元・横綱の輪島さんが華々しくデビューしたことにもドン引きしたんですよ。相撲を引退して借金を抱えて追放された人が大々的にスターとして扱われる。見た目もそんなにかっこよくない。いまなら味わい深いんですけどね(笑)。

――「あの輪島がやれちゃう」という評価ですね。

斉藤 目を凝らすと、角界では番付が下だった天龍さんが大横綱の顔を蹴りまくるシーンが面白かったんですけど。モヤがかかっていた80年代後半。淀んだプロレスのカウンターとして全日本プロレスでは天龍革命が起きて、UWFがスポーツとしての打ち出しを強めていくわけですよね。

――現体制では支えきれないこともあって革命運動が各地で勃発した。

斉藤 ただ、新日本プロレスでは革命が起きそうで起きてなかったんですよ。前髪チョキチョキの飛龍革命は、猪木vs藤波という昭和プロレスのエンディングのプロローグにしか過ぎなかったわけですし。

――UWFは本来は新日本で勃発しなきゃいけない革命運動だったけど、前田日明たちは自らの王国を作ってしまって。

斉藤 猪木さんが一線から引いて、革命戦士だった長州さんがボスになって落ち着いてしまった。土曜16時という放送枠も“都落ち”感がありまくりだったんですよ。

――そのプロレス中継はゴルフ特番でしょっちゅう飛んでいて。ゴルフに負けるキング・オブ・スポーツ。

斉藤 そんなくすんだ景色を吹き飛ばしたのが1990年4月27日、東京ベイNKホール、武藤敬司凱旋試合だったんです。あの日からプロレスは確実に変わった。キラキラを取り戻したんです。

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