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ニゾホハモヒチノヤ商店 5

「光樹。頭をこっちに向けて。そのまま、そっと寝かせて」
「こう? 」
「そう、もっと真っ直ぐにして」
「分かった。それよりも、月樹、麻酔っていつするん? 」
「麻酔なんかせえへんよ。これからもせえへん。早く済ませてしまうんや」
「月樹。次、どうするの? 」
「気を失っている状態で身体を完全に固定してから始めるんや。光樹って、ハははじめてやった? 」
「やるんははじめて。見たことはある。ずっと、モばっかり、お父さんに手伝わされていたから。ハははじめてやる」
「すぐに、なれるわ。原材料が大人しくベッドに横になっている間に、ベルトでしっかりと頭と身体を固定して。目を覚ましても絶対に動かないように、もっと、ガチガチに強く」
「月樹。これでいい? 」
「完全に固定し終わったら、これで一気にやって」
「本物のヘーベルやん。ペンチを使うのは止めているん? 前に布樹に聞いたときはペンチを使っているって聞いたけど」
「数をさばくときは、ヘーベルを使った方がずっとやりやすいから最近買ってん。だから、あんたの代になっても、この、メーカーのヘーベルを使ったらええわ。慣れたらペンチよりも、ずっと使いやすい」
「了解」
「なあ。それはそうと、光樹は今夜は誰の部屋で寝るん」
「そやな。去年の夏に帰省したときは、最後の夜は由樹やったから、順番でいくと、夜ちゃんやな」
「あの子は? 美智子は、ええん? 」
「美智子は、東京のマンションで終末同棲みたいな生活しているから、ええやろ」
「ふーん。今日の晩は夜子なんや」
「決まりや。夜ちゃんの部屋に行ってから、明日の晩には、月樹の部屋に行く」
「なんや。妬いてしまうわ。確かに見た目はぱっとせんけど、とりあえずは、美智子は若いから。みんなの光樹をあの子に盗られるみたいで」
「あほなこと、言うな。俺は何にも変わってへん」
「じゃあ、ママにキスして」
「ん」
「甘えたやな」
「生まれつきです」
「親父にもそうやって甘えてたんか? 」
「まあね。それにしても、よう、美智子をここまで連れて来てくれたわ」
「俺なりに苦労はしたけどな」
「わかっているわ」
「血統は大事に守るもんや、俺かてそれくらい分かっている」
「そやな、作業を再開しよか」
「月樹。これ、ほんまに寝たままなん? 年は四十前くらい? 」
「三十七歳やて。年齢の割にあちこち病気しているみたいで、ゾが使いもんにならんから、せめてハやモをさばくしか、利用価値がないんやろ」
「ヒも美しい状態とは言えんし。ほんまはモも、もっと、若い子の方が品質がええんやけど」
「月樹がやってくれてる、仕入れは、これからは俺が、引き継いでやるから」
「それはそうと、晩御飯、何が食べたい? 夜ちゃんが気にしとったわ」
「なんでもええ。それより、美智子が寝てる間に作業を済ませよう。今晩、賢ちゃんが引き取りに来るんやろ? 」
「そやね。届は夜子ちゃんが今、行ってくれているから、心配することはないわ」
「まあな」
「それにしても、光樹。しばらく作業してないから、勘が鈍った? 」
「そうかも知れんなあ」
「でも、すぐに、取り戻すわ。光樹。あんたは、何と言っても千賀池の長男なんやから」
 
  頭が鉛のように重い。深く寝すぎたときはいつもこうだ。
 頭痛薬を飲んで起きたときもこんな感じに頭が重い。
 薬なんて飲んでいないのに、最近、疲れていた上に飛行機に乗ったせいかも知れない。 
 私は月樹さんが用意してくれた、ルールウエアから自分が持って来た、着古した木綿のAラインのワンピースに着替えて一階に降りた。
「美智子さん」
 夜子ちゃんが私に気が付いた。
 夜子ちゃんは、髪を編んでますます、ザ・メイドのような格好をしていた。
 黒いロングのワンピースに清潔な白いエプロン。
 髪はどこからも髪が落ちないように編み、遅れ毛は一本残らず、ヘアピンで止めている。
「美智子さんが、ゆっくり休んでいらしたようなので、起こしにいきませんでした。もうすぐ夕食です。それまではゆっくりとしていて下さい」
「夜子ちゃん、ありがとう」
「今日は、海老のカレーを用意しました。ナンも焼いたんですよ。美智子さんは、ナンはお好きですか」
「大好きです」
「良かった、お昼寝から起きたら喉が渇くでしょう? リビングのローテーブルに冷たいミネラルウォーターを置いておきますね」
「お願いします」
 さっきの夢を思い出していた。
 私はよく夢を見る方だ。嫌な夢を見たら必ず頭が重くなるのは、子どもの頃からの癖のようなものだった。
 私は、ソファーに座った。
 クッションに飲み込まれて沈んでしまいそうになった。
「どうぞ」
 夜子ちゃんが持って来てくれた、ミネラルウォーターを一口飲んだ。
「夜子ちゃん、今、何時かわかりますか」
「もうすぐ、夕方の四時になります」
「今日は美智子さんの車が届くんですよ。今、布樹さんと由樹さんが取りに行ってくれているんです」
「車って」
 夜子ちゃんはにこにこしている。
「私は自分の趣味でアロファロメオに乗っていますが、もう一台買い物用の大きな車を買っていただいています」
 意味が掴めない。
「光樹から、美智子さんには小まわりの利く車がいいと伺っていましたので、月樹さんが美智子さんの為にフィアットを注文したんです」
 何のことだろう?
「ああ! ちょうど、布樹さんたちが帰って来ましたね」
 車って。
「和歌山は狭い道が多いですから。小型車の方が便利ですよ」
「今、私用の車の話をしていますか? 」
 夜子ちゃんは、にっこりと笑った。
「もちろん、美智子さん専用の車のお話ですよ」
「でも、まだ、結婚してもないのに。婚約期間中から、そんな高価なものいただけません。外車何て」
「何と他人行儀な! 」
 夜子ちゃんはわざとらしく、目を見開いて言った。
「美智子さんは光樹と、正式に結婚していますよ。私が和歌山市まで婚姻届けを出しにいって、受理されました」
 私は夜子ちゃんを見上げた。
「まさか」
 私の婚姻届け。
 光樹と私の。
「光樹と美智子さんの婚姻届けです。美智子さんは今日からここで暮らすのです。東京都と違って和歌山県は車があった方が便利ですからね」
「でも」
 そんな、馬鹿な。
「フィアットはお姉さまたちからの、プレゼントなんですよ」
 おかしい。
「勝手に出すなんて」
「少し、早まっただけですよ」
「酷いわ。このことは、当然、光樹も知っているのよね」
「そのつもりで、光樹は今回美智子さんを東京から連れて来たんですよ」
 婚姻届なんて。
「私はそんなことは聞いていない」
「決まったことなのです。もう、あなたは田中性ではありません。今日から千賀池美智子になったのです」
「私の結婚よ。勝手に記入して勝手に届を出しに行くなんて」
「光樹が美智子さんを選んだ理由が分かりますか? 」
「はっきりと聞いたことはないけど」
「一番、男に仕えることを、疑問に思わないタイプだったからですよ。もちろん、別の理由もありますが、光樹かお姉さんたちに聞いてみて下さい」
 そうかも知れない。ずっと、親にも先生にも男性にも一度も反論したことがない。
 光樹は、それを見抜いて、男性慣れしていない私の優しい恋人役を三年以上演じていたのか。 
 私の新婚生活は、こうして始まった。
 実家には夜子ちゃんに見張られながら、
「おかあさん? 私よ。美智子。私、こっちで結婚したの。でも、心配しないで欲しいの。元気で、私は和歌山県で幸せになるから、このことはお父さんにも、晃にも伝えて」
 強制的に電話をさせられた。
 結果的に、東京の家族への最後の電話になった。
 私の声は震えていたと思う。
 

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