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異なり記念日

いま、樹(いつき)さんとまなみは、仕事で一週間ほど家を空けている。屋久島で、ぼくの妹と自身で営むアジアンショップ「sipini」の仮出店をしているようだ。ぼくはとくに撮影の予定もなく、家にこもりながら、こまごました仕事を片づける日々が続いている。

だれもいない平屋は、がらんとしていて、広い。

すっぱだかになって、踊って、わなないて、でんぐりがえりをしても、反応はない。こんなに広かったっけなあ。
気配が欲しいなと思い、「デッちゃん」と名付けているロボット掃除機に毎日がんばってもらっている。きゅるきゅる転回しながら、けなげに部屋中をかけめぐるデッちゃん。えらい。ありがと。

ひとりで鍋を食べる。白菜と豚肉とマロニー。メガネが湯気でくもっても笑うものなし。見えぬままに、水浴びをしているイエアマガエルのアルさんに、にやりと笑いかける。見えぬけれども、きっとアルさんは、しずかにほほえんでいる。

夜、ふとんにはいる。今年最大の寒波がくるという日で、ふとんはいつもよりも冷たい。ひとりでは、なかなかあったまらない。早くあったかくなあれ、なれってばよ、と、布団のなかでうごうごもがきながら、iPhoneで撮りためた写真を見返す。

ドラッグストアの店内の写真でタップタプタ~ップする指が止まった。

あ、そうか。この日が、そうだった。

この日が、ぼくらの記念日になっていた。

よくドラッグストアで買い物をする。

そのお店は、家から徒歩5分、樹さんといっしょにゆっくり歩けば15分といった、ほどよいところにある。月曜日はポイントが2倍だし、アルパカワインを2本まとめて買うと50円も値引きになるし、すぐそばにとてもおいしいパン屋があるし……そんなわけでとてもお世話になっている。

お店に着くなり、樹さんは、小さい買い物カゴを持って店内にかけこむ。
その後を追いかけながら、生活必需品を買い物かごにポンポン放り込む。そのなかで樹さんにも持てそうなものがあれば(だいたい4つに分かれているヨーグルトと、ひきわり納豆と、バナナ)、お願いしてカゴに入れてもらう。

だいたいそんな感じで買い物をしている。

必要なものをかごに入れ終えて、お会計をしようと思っていたときだった。
やおらに樹さんが立ち止まる。

「どうしたの? 納豆、買うよ~」

「おとさん。おとーさん」

親指をつんつん立てて、なんだか楽しげに呼びかけてくる。

「なになになに、どうしたの?」

「あったー!」

やや斜めうえに向けて開かれた右手が勢いよく降りる。「ある」の手話だ。

ぱあっと顔が明るい。それはそれは本当ににぎやかな表情で、頭のうえに「!」が、ぴこっと立ったのが見えるほどだった。
でも周囲を見渡しても、だれもいないし、なにか特別なものがあるでもない。なにに喜んでいるのか、皆目わからない。

ぼくの頭のうえには「?」が、ぽこぽこ浮かぶ。

「なに、なになに?」

人差し指を横にふって、樹さんに尋ねる。

「あったー! ……………」

樹さんはふたたび右手を降ろしながらそう言って、耳に人差し指を当てながら目を閉じる。うんうんうん、というふうに楽しげに何回かうなずく。しばらくして、ますます嬉しそうにパッと目を開く。

「音楽、あったー!」

「あ、音楽。ああ、音楽か! 音楽が、あったんだね」

「音楽」の手話は、人差し指を指揮棒に見立てて振る仕草がもとになっている。

樹さんは、音楽に耳を澄ませながらリズムをとっていたのだ。

お店にはBGMが流れているらしいことを、ぼくはこのとき思い出した。
(「思い出した」と自然と書いていることに気づいて、なにから思い出したのだろう? と自分で思った。ぼく自身は、補聴器をつけている時期を含めても、店内でBGMを感じたことはない。
たぶんマンガの描写からだろう。『スーパーで「蛍の光」が流れて落涙する女性』という描写がおぼろげに浮かぶ。でも、なんのマンガだったかな……)

でもどうしてこのタイミングで?

たぶんお店に入ったときから、ずっとBGMは流れていたはずだと思うけれど。「蛍の光」が鳴るらしい閉店時間もまだまだ先だし。樹さんにとって好ましい音楽に切り替わったのだろうか。

うーん? わからない。

「おとさん。おとーさん。ね。あったー、ね! 音楽、あったー、ね!」

樹さんは、それはそれは嬉しそうに、語りかけてくる。
嬉しそうだなあ。いいなあ。パシャッ。iPhoneでその様子を撮った。

「いま、音楽、楽しい? よかった、ね。うれしい。うれしい、ね。
 おとーさん、音楽、わからない。わからないんだよね。
 ざーんねん。樹さんには音楽が、ある! いいね! たのしい、ね!」

そう言うと、樹さんはキョトンとした。目をしばたかせている。
今度は樹さんの頭に、「?」が、ぴょこっと立つのが見えた。

みるみるうちに、それまでの上機嫌がすうっと消えて、口を尖らせながら、うなだれて床をじっと見つめ出した。そのまま、身じろぎもしない。

その反応を見たとき、あまり深く考えないで言ってしまったことばが、すごくドギツイものに思えてきた。
なんて声をかければいいのかわからず、ぼくも立ち尽くしてしまう。

永い数秒だった。

やおらに、樹さんはそばにあった健康ミネラルむぎ茶のペットボトルに飛びついて「ね! これ、のむ、ね!」と言う。

「ああ、うん、飲もう」
「のむ、ね!」

帰り道、樹さんをだっこして、話をした。
手話する腕にぶらさげた、でかい買い物袋がぐらりらり揺れていた。

「おとーさん、音楽、きこえない。
 おかーさん、音楽、きこえない。
 樹さんは、音楽、きこえる。
 樹さんに、音楽、ある!
 おとさん、おかさん、音楽、ない!
 うーん。おしい。おしい、ね〜。

 だいじょうぶ。
 おとーさん、カメラ(写真)ある!
 音楽を見る、すき!
 おかーさんも、いっしょ。
 おとさん、おかさん、音楽を見る、すき! すき! すき!

 樹さん。

 樹さん、音楽、聞いて、うれしい、ね。たのしい、ね。
 にこにこうれしい樹さん、見る、すき! すき! すき!

 樹さん。
 音楽、おしえて、ね。

 樹さん、おとさん、おかさん、ちがう。ちが〜う。
 みーんな、ちが〜う。おし〜い。
 おっけい! 
 こちょこちょこちょ! おーっけい。
 いつき、おとさん、おかさん、み〜んな、ちが〜う。おし〜い。

 おっけい!
 だあいじょうぶ。

 ちがうこと、うれしい、よ。たのしい、よ。
 ちがうこと、すき! すき! すき!
 こちょこちょこちょこちょ!
 樹さん、音楽、おしえて、ね。
 お〜っけい?
 こちょこちょ!」

樹さんは、わきをくすぐられて破顔しながら「わかった」と、胸をぽんとひとつ叩いた。コックンとうなずきもした。たのもしい。

思いがけず、ぼくらは異なる存在だと告げる初めての日になっていた。

2017年10月17日水曜日、この日が、ぼくらの異なり記念日。

正確な年は忘れてしまったけれど、写真を本格的にやろうと思った時期と重なっているのは間違いないので、23歳ぐらいのときだろうか。

飲み会の帰りで、土曜日の終電は人もまばらだった。
最寄り駅から実家までは徒歩で20分くらい。その道のりをあくびをしながら歩いていたときのことだった。

銀行を通りかかるとき、そこの駐車場に怪しい人がいた。
ほんとうに真っ暗で、目をこらさないとなかなか見えないところだった。その人は駐車場のすみっこの暗がりで、意味のわからない動きでうろうろしていて、あからさまに挙動不審だった。

酔っ払いだろうと思いながらも、0時を周っていたこともありドキッとする。でも、ちょっとの野次馬根性な好奇心もあり、息を潜めてその人の様子を遠巻きになんとなく見ていたのだ。

10メートルぐらい離れていただろうか。何分たっても、同じところをうろうろしている。うろうろしては立ち止まって、またうろうろする。動きの目的がさっぱり分からない。「酔っぱらうってこわいなあ、呑みすぎないようにしないとなあ」とかそんなことを思いながら、ひっそり笑って見ていた。

しばらくして、その人が、駐車場内の、明かりのあるところに出てきた。
その人は杖をついていた。杖は、白かった。
酔っぱらいなんかではない。盲者だったのだ。

さっきまでの好奇心が、一転して、下衆な勘ぐりになる。ひどく恥ずかしかった。

そのことを知ったうえで駐車場の造りをみると、そこはコの字になっていて入口も狭い。さらに車も何台か停まっている。盲者はたまたま入り込んでしまい、車が障壁になって、混乱してしまったのだろう。
あくまでこれはぼくの予測で、実際にはどうだったのかはわからない。

近づいてみると、その人の頭髪は真っ白で、かなり年配の人だということが分かった。

『もしかして、道がわからなくなっていませんか? ここは◯◯銀行の駐車場です。じいちゃんの家はどこでしょうか? お送りできるので、よければ住所を教えてください。いっしょに帰りましょう』

……と、本当なら、そう声をかけたかった。
でも……どんなふうに声をかけただろうか。覚えていない。覚えているのは、ぼくの不明瞭な発音に不穏なものを感じたらしい、その人のぎょっとした身じろぎ。

「ああ、ことばが伝わっていないなあ」と思いながら、

「大丈夫。ぼく、聞こえない。あなたの言うこと、わからない。でも、ここ、ちがう。こっち。こっち」

とか、そんなかんじのことを、単語ひとつずつ区切ってゆっくり言いながら、腕に触れて誘導してみるとなんとか伝わったようで、じいちゃんの手が、おそるおそる、ぼくの肩にとまった。
住所を聞いて送りたいと思って言葉を尽くすも、どうも伝わらない。
あるいは、用心しているのだろう。そりゃあ、まあ、そうだろうなと思う。

不明瞭な発音でいきなり話しかけてきて、カタコトの単語をくりかえす、見ず知らずの若い男。

うん、ぼくもりっぱに怪しい人だ。

駐車場を出て、大通りに向かう。

ちょうどすぐに、ちょっとくたびれた様子のOLが、駅のほうからやってきた。声をかける。人気がないところなので、またギョッとされる。

「すみません! ぼく、聞こえない。あの、これみてください……」

 前もって用件を打ち込んでいたガラケー(ふと調べてみると、たぶんそのときは2007年で、ぼくにとってコミュニケーションの方法を大きく変えてくれた革新的なiPhoneが発表された年だった!)を、OLに見せる。

『いきなり、ごめんなさい。こちらの目の見えない方が、道がわからないようなんです。でも、ぼくが聞こえなくて、こちらの方の住所を聞くことができません。ぼくが送り迎えしますので、住所だけをお聞きしていただけませんでしょうか』

ガラケーを見るまでは不審そうにしていたOLも、ぜんぶ読み終えるころにはいくらかやわらかくなったように見えた。「いいですよ!」と快諾してくれて、じいちゃんに何事かを尋ねる。そのままふたりはしばらく話していた。

少しして、OLがぼくのガラケーに、じいちゃんの住所を打ち込んだ。OLにお礼を言って別れる。その住所を見て、こんどは、ぼくがギョッとした。

ちょっと出来すぎていて、「うふふ! またまたご冗談を!」と思われるのを覚悟のうえで書くと、その住所は、ぼくが住んでいる都営住宅があるところだった。しかも同じ棟でぼくが3階、じいちゃんが1階だった。

「うわあ。ぼくも、同じ……。同じ家です。ぼく、ここの、3階、住んでます。いっしょに帰ろう。家に、帰ろう」

どれだけ伝わったのか、じいちゃんがなにを言ったのかはわからなかったけれど、ともかくも、肘をつかんでもらい、誘導しながら一緒に帰ることになった。

ときどき、段差のあるところで、「あ、ここ、ちょっと、高い。気をつけて」とか、「ここは公園です」と、そのときに見えている状況をぼくなりに伝える。家が近づくにつれて、腕をつかむ手からの緊張感も溶けてきたような感じがあった。

都営住宅について、1階のじいちゃんのドアまで連れていく。
こんなにも近くに住んでいたのにまったく知らなかったなんて、と驚くばかりだった。

じいちゃんが鍵を開けて、室内に入ろうとするときに「おやすみ」と言った。じいちゃんはうなずいた。握手をした。使いこまれた、骨ばった手だった。力強かった。

それが初めてのリアルな盲者ガイドの体験になった。

いまも実家に帰って夜の最寄り駅に降りるたびに、このときのことをまざまざと新鮮に思い出すことができる。あの日のことを思い出すたびに、いろいろな側面から、ズキズキとした痛みがうずく。

盲者が困っているのになにもしないままニヤニヤと見ていた下衆な自分。
今ならiPhoneの音声読み上げアプリを使ってもっとスムーズにやりとりできただろうにな、いやいや、もっと普通に話すことができたはずだよ、というコミュニケーションについての方法の可能性。
盲者の、OLの、話しかけたときのギョッとした表情。
誘導がうまくいかず、じいちゃんが転びそうになったこと。

同時に、甘く、思い出せるものもある。
ずいぶんと、時間が経ってからだったけれども。

じいちゃんとOLが、なにかを笑いながら話していたこと。
腕をつかまれながら、澄み切った冬の夜の星空を見上げたとき。
ぶじに家について、ほんとうにそこがじいちゃんの家だとはっきりわかったときの、とろとろに溶けるような安心感。

それらの思い出には、痛みがある。そして、甘さもある。
だから、いまでもはっきりといろんな形で思い出せる。

この出来事が、初めての「異なり記念日」になった。
すてきな日だったな、と思える。

盲者と、ろう者は真逆と言っていいくらい異なる立場にいる。かたや視覚でおもな情報を得て、かたや聴覚でおもな情報をとらえていて、それぞれがまるっきり異なった情報の収集をしている。だから、通訳やガイドという第三者を挿まなければ、コミュニケーションは絶対に成り立たないだろうとまで思っていた。そのときまでは。

実際、OLに助けてもらわなければ、すれちがったままだっただろう。
OLにはとても感謝している。でも、その感謝には、「個」が「個」に対して、「個」としてできることを、ただやっただけ、やってもらっただけ、という当たり前の爽快感があった。

当時のぼくは(今もか)、聴者にたいして引け目を感じていて「こんなおらに、親切にしていただいて……ありがてえだ。おだいじんさま、ぼさつさま、ほとけさま、ほんたうにありがてえありがてえ」というような卑屈な気持ちを抱えていた。
だけどこのときは、じいちゃんに対して一生懸命だったために、そんなことを思う余裕もないまま、スパッと尋ねて、すぱっと別れた。

「あ、こうやって関わることもできるんだ。あ、これでいいんだよな」と思った。

盲者と聴者それぞれに対して、新しい関わり方を知ったとき、ぼくの思いこみは、ほどかれた。世界は、より、のびやかになった。

「まるきり異なる」ということは、差別やいじめといった暴力の地盤にしかならないものだと思っていた。
だけど、じいちゃんとの思ってもいなかった偶然も加えた関わりを経たことで、新しいやりとりの方法が開かれた。

「異なることがうれしい」ということもありうるのだと知ったときだった。

自分とはまったく切り離されているかに思えた、異なるふたつの世界がそれでも関わりあったときの思い出には、いびつながらも奇妙な感動が残る。
そんな、苦くて甘い「異なり」を強く感じることができた日のことを、ぼくは「異なり記念日」と呼んでいる。

社会的なマイノリティとして常時感じずにはいられない、冷たい「異なり」に対して、ただ悲観や怒りに明け暮れるだけでなく、それでも…、「異なることがうれしい」と、まずはそう言い切ってしまってから始めようと思っている、ぼくは。

25歳くらいのときだった。
猫が、道路のまんなかで、血反吐を吐きながらのたうちまわっているところに遭遇した。車に撥ねられたばかりのようだった。該当する車は見当たらない。もうとっくに行ってしまったのだろう。

行きかう車は、猫をじょうずに避けていく。歩行者も、ちらちらと遠巻きに見ているだけ。猫は、壮絶なまでに血まみれになって、脱腸しながら、激しく暴れていた。
ものすごいコントラストとしてその光景はあった。

青信号になったとき、ぼくは勇気を出して、暴れまわる猫を抱きかかえた。
脱糞していて臭かった。からだはとても熱かった。ぬるりとした血が、つるつると掌から滴る。びくびくと痙攣する筋肉。
近くの公園に向かう途中で、猫は息絶えた。
ぐんにゃりと力が抜けていくのがわかった。

「よかった」と思った。

道路で野ざらしになったまま死んで、ぺしゃんこになるよりは、ほんとうに、よかった。

公園の樹の下に埋めた。

この日のことも、何度も思い出す。

初め、その猫を見た時、凄まじい様子に気圧され、一度赤信号になって、また青になるまでぼくは動けなかった。そのあいだ、猫がのたうちまわるのをただ見ていた。抱き上げるときの恐れる気持ち。
このときの逡巡が、いまだに、悔やまれる。もっと早く、もっとああすることも、できた。
同時に、それでも手のひらで最期を迎えることができたことの、奇妙な喜びもやっぱり感じている。

この日のことも、ぼくにとっての大切な「異なり記念日」だと思っている。

思えば、別離や死、そして誕生は、究極の「異なり」を実感する瞬間でもある。だからこそ、その思い出は、苦い悲しみとそしてやがての奇妙に甘い喜びもが渾然としてある。

辛いだけの記憶ではない。嬉しいだけの記憶でもない。
どうにも辛くなるとわかっているのに、それでも何度でも思い出しては、悲喜こもごもの考えをそこから持ち出すことのできる記憶たちによって、ぼくという存在の核が象られていた。

なんだか、あめ玉みたいだなと思う。それも、ずうっと舐めているのに溶けてなくならない、魔法のあめ玉。簡単に消化されないまま、味わいや彩りはつねに移りかわって、コロコロコロ、いつまでもいつまでも、苦く、甘く、舐めていられる。

生長しつづける思考の畑は、異なりの境目にこそあった。


今日もだれかがどこかで喜びを秘めた涙をこぼしていることだろう。

異なり記念日、おめでとう。




【本文は、ここまでです。以下は、この最近の写真15枚(当社比1.5倍増量♡)と、日記的なちょっとの文章がついたものがあります。見ても見なくても変わりないですが、応援するかんじで、投げ銭的に、見てもらえたらうれしいです。
それがぼくの、マロニー代になります。あるいは、まなみのパクチー代。またもやのあるいは、樹さんの4つに分かれているヨーグルト代。 今年の更新は今回までです。良いお年を。ありがとう】


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