_2017_トルコ文化のあるテーブル_IMG8156_のコピー

隣接する平行線

2017年の9月いっぱい、トルコを訪れていた。

樹(いつき)さんは1歳11か月で、初めての長期海外滞在。どうなるかなといろいろ心配していたものの、トルコの人々のあたたかさにものすごく(ほんとうに、掛け値なしに、ものすごく。初めての子連れ長旅がトルコでよかったと心から思う)助けられて、とても元気に過ごすことができた。

でも、帰国するときのフライトのことが、喉にささった小骨のようにずっと気がかりなままでもあった。

というのも、成田からトルコまで実に12時間のフライトで、しかも深夜発。iPadに好きそうな動画をつめこんだり、「はらぺこあおむし」のマグネット絵本を買ったりといろいろ準備はしたものの、行きのフライトのときはさんざんだった。

フライトぎりぎりまで遊んで疲れさせて、ちょうど離陸するときに眠ってくれてホッとしたのもつかの間。2時間もしないうちに、身をよじらせて泣きはじめる。ずっと縦だっこしている状態なので横になりたいのだろう。そりゃそうだよなあ〜。まなみとぼくの膝で横にさせたり、あやしたりするも、全然泣きやまない。周りは真っ暗でみんな寝ている。

いちばん前の座席だったので、避難して落ち着けるスペースもない。立ったままあやしていると、ついにクレームがきたようで、トルコ人のキャビンアテンダントが申し訳なさそうに「後ろのほうで、あやしてはいかがでしょうか」というようなことを身振りで伝えてきた。

結局そのフライトでは、飛行機の最後尾に下がってあやして、落ち着いたら長ーいせまーい通路を、寝てる人の頭や足にぶっつからないようによちよち歩いて席に戻る。ひゃあ、と一息つくまもなく、すぐ泣きだす。なのでまた最後尾に下がってあやして……をずっと繰り返していた。
ちょっと、いや、かなりたいへんだった。

トルコの生活で不満はまったくなかったのでなおさらいっそう、最後の最後のフライトのせいで旅の印象が悪くなっちゃうのはいやだなあと思い、それなら、いっそのことずっと起きてあやそうと決めていた。

まなみはどんなところでも眠れるタフな人で、ぼくは飛行機ではあんまり眠れない、という違いがあるのでちょうどよくもあった。まえもって、ちょっとした移動のすきまで、こちょこちょと寝だめをして準備を整えたりしていた。

【これは帰国したてのとき】

アタテュルク空港で、フライト直前まで遊び倒して、いざ出陣。

滑走路に向かう飛行機の響きが、カタンカタンと心地よかったのだろう。樹さんはあっという間に寝た。まなみもあっという間に寝た。ふたりともぽこんと口を開けて寝ている。このふたりは寝相がとても似ている。そっと口を閉じるのもぼくの日課。

離陸してベルトを外してもいいというサインが出るまではなんとか寝てくれたものの、やはり間もなくして樹さんが泣きはじめた。「ふっふっふー、よしきた!」とばかりに樹さんをだっこひもで抱いて、電子書籍のマンガをつめこんだiPadをもって最後尾にむかう。

トルコ人は、子どもに対してほんとうに優しい。「優しい」というよりも、「こども」とひとくくりにしないで、一個の意志をもった人間として接してくれるという方が近いだろうか。それにしたって、男女問わず、老若男女問わず、年齢問わず(ほんとに!4歳くらいの子でも、親しみの込められた節度のあるふるまいで接してくれていた)みんなが涙が出るくらいにその態度を示してくれていた。

トルコ人のキャビンアテンダントさんは子どものことをとても気にかけてくれていて、専用の椅子に座らせてくれたり、飲み物をくれたりして、かゆいところに手がとどくような。ありがたかった。

忙しそうにしながらも、ときどき、寝ている樹さんの顔をのぞきこんで、ほっぺたをつんつんして、ニッコリくっきり笑っていく。ニッコリくっきり、なんだよね。日本でしばしば見かける、ソッとおしとやかなほほえみ、ではなくて。破顔のニッコリ。(ニッコリニッコリ書いていると、マッコリ呑みたくなるなあ)。
表情にも意味が込められている日本手話を言語とするぼくとしては、むてっぽうなほどに明るいこの破顔は、きもちよく伝わってきた。日本ではちょっとお目にかかれないくらいの破顔だった。

そんなこんなで飛行機の最後尾で、寝ている樹さんをだっこしながら、マンガを読んでいた。(「スピリットサークル」「宇宙兄弟」「それでも町は廻っている」にとても助けられた。日本のマンガ文化は、ほんとうにすばらしい)

ときおりむずがるものの、秘技である「ゆらゆらのおりょおりょのあらよっと」をすれば、すぐに眠ってくれる。行きのときよりもはるかに楽だった。

次に長いフライトの飛行機に乗るときは、絶対に最後尾の通路側の席を取るぞと決意したり。ペプシコーラを飲んで、「なんで外国で飲むコーラは、おいしいんだろう。日本では絶対飲まないのになあ」と自問したり。

6時間ぐらい経って、マンガにも飽きてきたころだった。
ぼーっとしながら立っていたら、胸のなかで、何かが震えた。

見ると、眠ったままの樹さんが「クスクスクス」と小さな笑みを浮かべていたかと思うと、歯が見えるほどに「アハハハハハッ」と大きく笑った。

あれっ起きたの?と思ったけれど、すぐにスースー寝息をたてる。

「ああ、夢を見ているんだ」と思った。

密着しているので、笑いの響きがよく伝わってきた。

そういえば、寝ながら笑うところを見たことがなかったことに気づく。
でも、よく思い出してみれば、寝たまま笑っているところを見たことは何度もあった。だけどそれは、布団でひとり寝ている樹さんを、隣の部屋から遠巻きに見るというもので、「ああ、なんか……笑ってる? ……ね? ほほほ。かわいらし」とぼんやり思うだけだった。

そのぼんやりとはまったく違った。
密着して伝わる笑いはとてもリアルな響きがあった。樹さんという生命の輝きを、なまめかしく膨らませるものだった。重みあるそのリアルさが、胸のうちで響いたことがうれしかった。
ぼくにとってリアルを感じさせるのは、音じゃない。そして、たぶん視覚でもない。触覚と体温と響きなんだなということが、つくづくわかった。

どぼどぼ、どぼどぼ。何かがあふれて。

うれしみに染まった何かが、どぼどぼ、あふれていて。

ぼくらの笑いの鉄板として、まなみの「ケンケン風に笑う」というネタがある。ケンケンとは『チキチキマシン猛レース』にでてくるキャラクターで、オーナーの悪だくみが失敗してボーゼンとしているところを見ながら笑うあの犬である。

目はぎゅっとつむり、歯をちょっと見せて、こみあがってくる気持ちを口元でおしとどめるようにぎゅーっと手でおさえながら、肩をふるわせてシシシシシッ!

まなみはケンケンのモノマネがやたらとうまい。異常なくらいにうまい。ケンケンがいる〜〜と素直にそう思える。それを見るたびにゲボが出そうなほど、ンハハハと笑ってしまう。
それを何度もやっていたら、樹さんがこのごろ真似するようになった。かわいくシシシシシッ。それを見て、またぼくらはンハハハハと笑う。笑ってもらえるのがうれしいらしくて、このごろの樹さんは笑うとき、かならずケンケン風味。

どぼどぼこぼれるピッカピカな思いのなにかにひたりながら、樹さんの笑いに共振するように(まなみには到底およばないのだけれど)、ケンケン風に笑ってみた。

シシシシシッ!

すると、ウトウトしていた樹さんも、

シシシシシッ!

同じように笑う。
手を口にあてようとしたらしく、おぼろに手がもちあがっていた。

笑いの響きが、心臓の鼓動が、隣りあう胸の皮膚を通して伝わってくる。

それは清潔な風を思い出すような気持ちいい笑顔の響きだった。

そして、樹さんは溶けるように、深く眠った。
朝になるまで身じろぎもしなかった。

帰国する直前は、イズニック湖のほとりにあるペンションに数日のあいだ連泊していた。その2泊目の深夜のことだった。

バンバンと叩かれて起きる。
まなみだった。身体を叩かれて起きるのはいつものことなのだけれど、そのときは爪が食い込むような力強さで叩かれた。そのことにただならぬ気配を感じたので、バッと起きる。けれども、真っ暗で何も見えない。メガネもないまま、まなみと顔をくっつけんばかりに近づいて「どうしたの」と、指を左右に振りながら尋ねる。

「樹さんがいない」と、まなみがいう。

慌ててベッド一面を手探るも、樹さんが見当たらない。もとい、手当たらない。ゾッとして、一気に目が覚める。

照明のスイッチをつけようとしてベッドを下りたとき、ぶにゅっと爪先にやわらかいものが突き当たった。

ああああああああ。

声がどうしようもなく漏れているのを自分で感じながら、そのやわらかいものを抱きあげる。暗いままなので、樹さんの様子はわからない。ただ激しく泣いている震えが、身もだえしてのけぞろうとする身体の動きが、響いた。

さいわい、特に怪我をしたところもないようで、ちょっとあやすとすぐに泣きやんで眠りだした。よかった、と安心するとともに、とことん嫌な気持ちにおちいる。

自分の家では布団で寝ているので、そもそも「寝ているあいだに落ちる」という考えがまるでなかった。
トルコのイスタンブールに着いて、初めてのホテルの部屋に入ったとき「あ、そうか、寝るところはベッドなのか」と驚いたくらいだった。

それから旅のあいだは、宿を変えるたびに落っこちないようにベッドを壁際に寄せたり、シングルをくっつけてダブルベッドにしたり、どうしようもないところでは床で寝たりと、落ちることへの配慮を最大限してきたつもりだったので、だいじょうぶだろうという油断もあった。

まっくらな部屋のなかで、ぼくとまなみはぐうすかのんきに寝ている。
すぐ傍らで、泣いている子がいた。
真っ赤な顔で、大声で、大粒の涙をぼろぼろこぼして、ひとりぼっちで。

追憶しながら、その図を俯瞰するたびに、「聞こえない」ということの冷たい事実を、あらためて、胸が悪くなるほどに突きつけられるようだった。


いつか聞いた話を思い出していた。

自宅介護している親の、ナースコールのようなお知らせランプがたまたま接触不良を起こしていて点滅しなかったために、緊急事態にある親をしばらく放置する形になり、最期を看取ることができなかったという、ろう者の話。

ベビーベッドから転落した子どもの異常に気づけないまま、子どもを亡くしたという、ろう者の話。

又聞きのことなので、本当のことなのかはわからない。
わからないのだけれど、その話は、ベッドから落ちた樹さんの出来事のあとでは、おそろしいほどの現実味を感じさせた。

樹さんの上下するあたたかいおなかに手を置きながら、それらの話の痛いほどの引き裂かれるような孤独を、自分のものとして引き寄せていた。

すぐそばで起きている愛しい存在の危機に、気づけない。

『「聞こえない」ことは不幸ではない』
それは、ほんとうにそうだと思う。
だけどそのあとに「でも、ちょっとさみしいね。不便だね」が続いてしまうことも、否めない。
その「ちょっとさみしい不便さ」は、あっさりと、とりかえしのつかない「不幸」につながりうるものでもあった。

物心ついてからずっと感じてきていた「音がわからない」というもどかしさが、家族が、もとい、愛しい仲間が増えた今、いよいよ痛切なものとなったことを、その夜、感じていた。

そんなやりきれない思いをひきずったままだったので、樹さんの眠りながらの「シシシシシッ」という笑いの響きをほんとうに知ったとき、わけのわからない感情があふれていた。

きみはこれまでのいつかの夜も、こうしてひとりで笑ってきていたんだな。
その笑いに気づかないで来たことは、やっぱりさみしい。
ずいぶんと時間が経ってしまった、と思う。
こうしたすれちがいは、今後もより積み重なっていく。

交わることがない平行線が、ぼくらの姿なのだろう。
ぼくらの関係に限らず、人と人の関わりは当然そのようにしてできている。だとしても、はるかな果てまで伸びようとする線と線たちを、手を伸ばせばすぐに触れることのできる距離まで近づけることはできる。

13㎏のやわらかい重みとともに、響く笑い声をついに感じることのできた幸福は、どぼどぼどぼどぼ、あふれている。
さみしさと嬉しさが渾然となった、きれいなだけじゃない幸福のかたちは、無限に伸び縮みするようで、きっといつまでも色あせない。

うつりかわる日常にのっかりながら、隣接する平行線たちが、はるかな果てへと伸びていく。

そんなイメージを、思い浮かべる。
近くて遠い胸のなかで眠る生命の鼓動を感じながら「いつでもすぐに手を差し伸べられる距離にいよう」と改めて決心していた。


【本文は、ここまでです。以下は、新作写真10枚と、ちょっとの文章がついたものがあります。見ても見なくても変わりないですが、応援するかんじで、投げ銭的に、見てもらえたらうれしいです。
それがぼくのコーヒー代になります。あるいは、まなみのアルパカワイン代。またもやのあるいは、樹さんのさつまいも代。 ありがとう。】

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