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『神話(2年目)』展示情報そしてテキスト

「神話(二年目)」 齋藤 陽道 写真展
2018年3月24日 10:00~20:00
海老原商店
〒010-041 東京都千代田区神田須田町2-13-5
JR秋葉原駅から徒歩7分、都営新宿線岩本町駅から徒歩3分。

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「神話(2年目)」について

石巻の牡鹿半島のさきっちょに「のり浜」という美しい浜辺がある。ぼくはここがほんとうに気にいって何度も通っていた。この浜辺は、子どもにとっても初めて海遊びをした特別な場所にもなった。ひとしきり遊んで帰ろうかというころに、まなみが大きな枝をずるずるとひきずって持ってきた。枝の根本はぎざぎざに尖っていて、自然に倒れたものではなく津波になぎ倒されたものだと分かる。「この枝、なんだか気になる」という。周りには同様になぎ倒された枝がたくさんある。「ほかにも似たようなものはたくさんあるよ。どうしてこれなの?」「まず、この子が触ったのね。まっしぐらに駆け寄って、ぱんぱんって叩いて。それが大きなきっかけなんだけど、それで改めて全体を見たら『なんかもちやすそう!好き!』って思ったんだ。でも同時に『もちにくそうだなあ』とも思って……。なんだろう、ほっとけなくなっちゃった」「ふーん。じゃあ、じゃあさ……、その枝をよみがえらせてみてよ」と、漠然としたお願いをしてみた。
まなみはちょっと考えたあとに枝をずるっずるっとひきずり、あるところでぺたんと座りこむ。枝は根元から1メートルほどのところでほぼ直角に曲がって、またさらに4メートルほど伸びている。つまりはバランスが悪いので、そのままでは自立できない。だから、まなみはその枝を支えるために、全身で抱きしめてバランスをとろうとした。ぐらりぐらり。枝は大きく揺れる。そのとき、子どもが枝の重さをわかちあうように母親の背中にしがみついた。枝とまなみと子どもと海とぼくのバランスがそろった束の間、枝は「樹」としてふたたび立ちあがっていた。

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トルコのカッパドキアは暑かった。砂塵混じりの空気はからからに乾いていて、陽射しは肌を突き刺すように降りそそぐ。ぼくたちは日陰に入って休憩をしていた。たまたまその岩の影が、ぼくたち3人をすっぽりつつんでくれる大きさだったのでそこに腰をおろした。そんなふうにして隣り合った巨岩だった。喉の渇きを潤したあと、ぼくは撮影場所を探すためにふたりと離れていた。そのとき、撮影がしばらく不調で焦っていたのだ。めぼしいところを見つけては試し撮りしてみるもどうもしっくりこない。うーむ、うーむと唸りながらふたりのところに戻ろうとしたときだった。
子どもが、水を、岩に、差しだしていた。その光景を見たとき、岩も息づいていることに初めて気づいた。岩の秘めるささやきを目で聴いた。思わず手が動く。それまでの苦労が嘘のように、何の気負いもなく、その一枚はあっさり撮れていた。
この光景は、ぼくのせせこましいイメージでコントロールしながら撮れるものでは到底なかった。かなわない、と思った。その光景において、2歳児は単なる2歳児ではなくなり、世界と測りあえるほどの存在として屹立していた。7つまでは神のうち。神のうちの存在がまなざすところでは、世界が新しく生起している。
たまたまそこに座ったはずだったけれど、実は、たまたまなんて無いのだ。世界はすでに夢幻の声でもってぼくたちを迎えている。そして、ぼくたちは世界の無条件の迎えによっておのずと行動している。『神話』の写真群は「ぼくが見てきたもの」ではない。「神のうちの存在が示したもの」である。1年目のときは、まだ確信はなかったけれど、2年目をむかえてみてそのことがより確実になった。

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2011年3月21日、東北大震災、福島第一原発事故の衝撃が冷めやらない日々のなか、どうにか日常を保とうとしてバイトに行った。連日押し寄せてくる膨大なニュースを見るのが辛くて、その日はたまたまニュースも携帯も見ていなかった。雨にうたれたい気分だったので(もともとちょっとした雨ぐらいなら傘はもたないことにしている)、天気予報で雨雲があるのを確認しながらも傘は持たずに出た。結局、計画停電のこともあり、仕事もないために早退する。バイト先は高田馬場で駅から歩いて10分くらいのところにある。その道のりを、行きも帰りも、雨にうたれながら帰った。雨は冷たかった。でも春の匂いが混じっていて、ちょっとだけ塞いでいた気持ちが晴れるようだった。帰宅してニュースを見たとき、雨雲によって広範囲に放射性降下物が降った、というニュースを知った。傘も持たずに雨に打たれながら歩いていたぼくは被爆していたということだった。頭の芯が痺れたようになった。「へえ、そうなんだあ」と気の抜けた言葉しか出なかった。
この日から、世界とぼくをつなぐ信頼関係がいびつなものになってしまったことを感じずにいられない。情報を得ることを怠けた情弱だからそうなったんだと言われれば確かにその通りなのだ。それはもうしようがない。でも実際どれだけ健康に被害があったのかということなんかよりも、日常生活をささえる大元の、世界との信頼関係が足下から崩れ去ったことがなによりも悲しかった。そして子どもがやってきて、食事や水、空気に気を張らずにはいられないことに、悲しみはより深く食い入る。もはやこの悲しみはぬぐいさることのできない傷跡としてある。
世界との信頼関係をふたたび取り戻したいと思う。だけどよく考えてみれば、ぼくにとってそれは、昔あったものを追い求めるノスタルジーではなかった。ベトナム戦争の枯葉剤から原子爆弾、チェルノブイリ、水俣。それらの暴力に、目をそむけていたぼくは、もう世界の裏切りに加担していた。ぼくにとって、世界との信頼関係は元通りにするものではない。新たに作っていかなくてはならないものだった。
でも、正直なところ、ぼくはほとほと頭が悪い。いくら本を読んで考えても、数字や理屈が、実感をもって身に迫ってこない。すぐに怠けて、忘れてしまう。そして政治、この社会。そこに近づけば近づくほどその内部には、差別や偏見、暴力、無関心を根底にした闇が広がっている。それはかつての自分の背中を見ているようでもある。何をどうすればよいのか、全然、わからない。
わからないながらも、この2年間、『神話』という言葉を胸のうちで転がしながら、子どもが世界と対等に立ちあがる稀有の瞬間を見るたびに、やっぱりこの世界は奇跡と驚嘆に満ちていることが、慈しむべき尊さに満ちていることが、たえようもなく沁みてくる。甘く、痛く、沁みるそれらを感じるたびに、いつしか、角の立たないまろやかな円のかたちが心の中に浮かぶようになった。○。そのかたちは、母親から生まれいでたばかりの赤子を胸に抱いたときを思い出すときの感触に似ている。記憶のなかの赤子の形はなぜだかまんまるなのだ。ちいさくまるく息づく円球。この形が還るべきところだとわけもなく思う。ぼくに信仰はない。けれども還るべきところをわけもなく希う、もはや祈りとも言えるこの強い思いが『神話』の基盤を築いている。

ぼくは、あくまでも、ぼくは、この世界を生きていくうえで、蓄える知識やそれでも育んでいく想いを、誰かを責める矛先として研ぐのではなく、目の前のたったのひとりをほんとうに救う者としてそそごうと思った。それは「親として子どもを守る」という思いともまた違う。これは一世代で終わる話なんかではない。『神話』において写っている存在は、ぼくの子どもではない。過去も未来も今においても代わりのない誰の子でもある存在として捉えている。願わくば、ぼく亡きあとの今、子ども亡きあとの今、子どもの子ども亡きあとの今と、連綿と続く今の先にも残り続けて、30年先にも、1600年先にも、またさらに24000年先にもそれでも変わらずあるだろうというものを信じたい。世界との関係を結び直す、そのためにはまだ足りない。何もかもが全然足りない。さらなる世界を無条件で信じるに足る光景がある極地へ行かなければならない。未来の種である神のうちの存在が、極地の片隅にて憩う光景を残さなければならない。

世界は絶えずぼくらに呼びかけている。絶えずぼくらは世界に寄って応えている。ゆえに世界もぼくらに寄って変わっていく。
そのことの証明を、実際にそのときに生きて、そこに足を運んだからこそ、その光景を見ることができたという無条件の証明でもある写真が、言葉もなく、奇妙な無類の説得力をもって、だれかのどこかに少しでも長く遺り、やがてに伝わっていくものにしてくれるのではないか。そこに賭けることが、ぼくに出来うる誠実だと思っている。

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沈まんとする「太陽」、または、のぼりたての「月」という、地平線に近いところにあるそれらを見ると、子どもは目を輝かせる。ぎゅうっと身を縮こまらせてからパッとばんざいするようにして「おお〜きい!」と言う。手のひらをパーにして「たいよう!」。または、三日月をかたどってつるりと指をすべらせて「つき!」。実物のそれをうっとり見惚れたのち「あったねー!」と親しみをもって言う。かならず言う。その様子を見るにつれ、つくづく、お天道さまに背くことのないようにと思わずにいられない。

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2歳をむかえて「イヤイヤ期」というか「ちがうよ〜期」に入ってきた。風邪もほとんどひかないタフな子どもに、『神話』のおこないを最大限に尊重してくれるまなみに、気にかけては支えてくれる皆様に、無類の感謝を申し上げます。ありがとうございます。これからどうなるかなんてほんとうにわからないのですが、『神話(3年目)』でもまた健やかにお目にかかれますよう、どうぞみなさま、ごきげんよう。


改めて、この展示のことをお伝えすると、B0サイズのプリント十数枚を基本にした、1日限りの小規模で大規模な写真展です。でも、「写真展」って言うと「たった1日か〜い」「1週間くらいやってもいいんじゃないの〜」という誤解をまねくことが去年やってみてわかったので、より正確に書きますと……。
人生、一寸先は闇。こどもや、生活環境が、7年のうちにどう変わっていくかわからないことと、7年目を迎えたあとの(実現するかどうかはまるで未定ですが)本格的な写真展までこのシリーズは未完成なので、「限りなく写真展に近いお祭り」です。それも地域の町内会がひらくようなお祭り。その売上は町内会のなにかに回したりしますよね。そんなものと思ってもらえたら〜。

会場の「海老原商店」は、去年の展示を見てくれた島田さんから、ご紹介いただきました。明治時代に古着屋として創業して、時代にあわせて、既成服屋、ラシャ屋と商売を替えながら住み継がれてきた、築90年のかっこいい建築です。去年、千代田区の支援を受けて、全面改装されました。現在は、外国からの来訪者の受け入れや、イベントや交流会の場として貸出するコミュニティスペースになっています。
去年の11月には、ここで詩人の三角みづ紀さんと筆談トークもやりました。三角さんの詩を筆談で朗読するという新しい試みが生まれて、楽しかったなあ。
現在の所有者、海老原義也さん(鍼灸整骨院TAIUを営んでおられます。まなみ、腰が悪いようだから見てもらうようにしようかな)も、『神話』の考えをおもしろがってくれて全面的に協力してくださることになりました。

ただ、去年の会場になった公会堂よりスペースが限られているので、時間帯によっては人数入れ替え制になってしまうと思います。どれくらいのひとが来てくれるのかわかりませんが、去年は午後12時から3時が最も混んでいたので、その時間帯を避けたあたりの開館直後か、閉館まぎわなら、もしかしたらゆっくりできるかもです。

そしてもうひとつ大事なお知らせがあります。
ぼくの大好きな焼き菓子やさん「ひとひとて」が、お菓子や飲み物を出店してくださることになりました。我が家から徒歩10分のところにあるところで、いろいろ数奇な縁で知り合いました。焼き菓子がほんとうにおいしいのです。いらしてくださった際には、ぜひご賞味ください。まじで。

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今年も『神話(二年目)』の冊子を、300部、つくります。
冊子代金(1000円)と、送料200円合わせての1200円をもとに『神話(三年目)』の旅に向けてのお気持ちを加えていただけるとほんとうにありがたく思います。

ちなみに、去年のぶんは、おかげさまで約80万円が集まりました。でも、トルコやほうぼうへの撮影旅ですっからかんです。くわえて『神話(二年目)』の写真が、どうしても大きいもので見たいものばかりで、当初のもくろみを超えて60万円になりそうです。それでもまだ全然足りないのだけど。
ほんとうに大きいプリントで見てこそびんびんくるものばかりなので、がんばります。ぜひ見にいらして、そして、無理のない範囲でおきもちをお考えくださるとほんとうにありがたく思います。
(当日手渡しできるように作業を進めていますが、まなみにお願いしている確定申告作業が地獄のありさまで、ちょっと確信はありません…。がんばります)。

ぼくのもっているもので、投げ銭フリマもやります。ぼくのプレイしたデータがそのままのこっているドラクエ11と、ニンテンドーDSをもっていきます(笑)。これは、オークションかな〜。

こまかな情報は、Twitterで告知します。ときどきのぞいてくださいませ。DMはだれでも送れる設定にしてます。

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長くなりましたが、要点は、

3月24日、秋葉原で、写真と遭遇してください。

です。おまちしております。


【本文は、ここまでです。以下は、この最近の写真8枚と、2つの動画と、日記的なちょっとの文章がついたものがあります。見ても見なくても変わりないですが、応援するかんじで、投げ銭的に、見てもらえたらうれしいです。
それがぼくの、糸こんにゃく代になります。あるいは、まなみの減塩スパム代。またもやのあるいは、樹さんのビスコ(ブルーベリー)代。ありがとう】


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