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小説『政軍隷属:シビルミリタリーセルヴス<下>』






目次
プロローグ(上巻)

起 出内機関(上巻)

承 訓練開始(上・中・下)

血盟団と竜崎

ロシアと早乙女

 境と休日

転 メディアかアレクトか

結 SLAVE,SERVUS

エピローグ 愛国心はならず者の最後の拠り所

主要参考文献

 




 






血盟団と竜崎



 二〇三五年、五月。茨城県南部の山中。
 大量の埃や蜘蛛の巣と格闘し、刈払機で周囲の雑草を殲滅させ、壊れたインテリアや使わない家具を空き部屋に運びながら、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を交わした引っ越し初日から数週間後。
 悩みつつも古民家のリノベーションを早々に諦めた「チーム境」の下で、縁側から陽光が差すセーフハウス一階の広間に、山田は仲間と常居していた。正面玄関以外、人が侵入できる全ての窓や勝手口を閉鎖し、現代の人間が生活できるレベルにまで何とか復旧。その後、縁側を含めた一階から二階までの全てのガラス戸や窓にマジックミラーフィルムを貼り付け、国内のロシア諜報団や血盟団の動向を追うための機材を本格的に搬入していた。キャンプ勝連の情報を除いたニード・トゥ・ノウ(知るべき者のみが知る)の範囲内で、改めて血盟団についての説明を終えた境は、「全員で同じ目標やインツ(情報収集方法)」を用いても効率が悪い」と切り出した。
「役割分担をするぞ。竜崎は俺と共に非公開情報(クローズド・インフォメーション)を集める。インツはヒューミント(人的情報)だ」
「おっしゃ」
「取り敢えず運送関係を当たって、闇バイトなどの密輸に関する情報を仕入れる。並行して狸穴(まみあな)絡みの心当たりのある場所を巡っておこう。セーフハウスに戻ったら工作日誌にまとめ、竜崎がソクミント(SNS)、俺がジオイント(地理空間情報)で更に情報を集める——山田」
「はい」
「お前はロシアと関わりのある国内企業の情報をオシント(公開情報)で収集しろ。国内外の出版物、報道機関、ネット上のあらゆるオープンソースにアクセスして、格付け評価しろ。最終的にNSSを通して、政策意思決定者まで報告される可能性を考慮した上での二次処理を施しておけ——そして早乙女」
「通信の秘匿化は完了しています」と、早乙女はPCから顔を上げずに答えた。
「早乙女にはディープウェブやダークウェブを通して非公開情報を収集するように指示した。ほとんど画面に張り付けになる作業だが……」
「気にしないで下さい、僕の得意分野なので。それに日本の夏は死ぬほど暑いらしいので、研修を終えて行き先が決まるまで僕はここにいますよ」と、ライフラインの再契約後に設置した最新のエアコンを早乙女は指差す。既に冷房を稼働させていたが、PCやスマート家電の熱暴走を防ぐ目的があった。
「竜崎みたいな皮膚ガン予備軍になりたくありませんし」
「俺は自黒なんだよ、自黒」
「『セーフハウスには最低二名以上残す』というルールだが、大仕事でもない限り平時は早乙女と誰かが残ることになるだろう」
「コイツもいますし、一人でも大丈夫ですよ」と、早乙女は背後にある横開きのガラス戸を指した。僅かに開かれた戸口から、曲芸のように隙間を抜けて自律飛行型ドローンが現れる。
《登録されたルート上に反応なし》
「地上型は大きくて邪魔になるので、廊下と家の周りの監視だけに限定しました」
 女性のデジタルボイスを発するサッカーボールサイズのドローンは、カメラとスピーカーを搭載したボディーを浮かすため四つのローターを動かし、器用にスマートテーブルの上へと着地。ワイヤレスで給電が始まると、充電中を示す緑色のボディーランプが点灯した。テーブルの上にさえ置けば、ノートPCや携帯端末も全てワイヤレスで給電可能だった。
 そこはまさに「和」と「デジタル」が混在したカオスな職場であり、異質な空間。
 畳の上に巨大なスマートテーブルが設置され、その上にメンバー分のノートPCが展開されている。四隅は各々がパーソナルスペースとして利用。さながら一企業のオフィスが襖や障子で囲まれているような光景だった。各人に統一性はなく、椅子や周辺機器にいたるまで、好みや体型に合ったものを優先。壁際には各PCとリンクしている大型マルチモニターやプリンターが備え付けられている。モニターでは二四時間ニュースのライブ映像を配信するチャンネルを、国内や海外向けに分けて三つ表示中。報道内容は外付けの記憶媒体に常時録画されていた。またデジタルホワイトボードの機能も搭載されていた。IT企業などでも導入されている最新のミーティング機材であり、部屋の隅には工作活動における秘密情報や報告書を取り扱うためのノートPCを二台設置済み。インターネットや周辺機器に接続されていない完全なスタンドアローンで、頑丈な鎖で壁に固定されていた。勝手に持ち出したりUSBや一般のネット回線に接続すると、けたたましい警報音が鳴ると同時に内部データが全て削除される仕組みらしい。もちろんそんなことをすれば刑事責任を問われ、山田と竜崎の場合は勝連に逆戻り。その上、使用者はディスプレイ上部のウェブカメラで常時撮影され、妙な行動を取ると出内機関内のブラックリストに記載されるとのことだった。
 これだけの機材が山の中に用意されていて、それも周辺を森に囲まれた古民家の中にあるとは思わないだろうな。
「仮眠も食事も勝手にとれ。外にある車や渡したプリペイドカードも自由に使え。経費になるか分からない物品や報告書については俺に聞け。クリティカル・インテリジェンスだけは見逃すな。細かいことをわざわざ言う必要はないチームだと俺は考えている。以上だ」
 年齢から考えても、境は最新のデバイスに詳しいようで、ネットや電子機器の知識が豊富な早乙女も驚いていた。が、扱いは良く分かっておらず、その度に早乙女と山田が調整する役割を担っていた。しかし、AI搭載のPCなどは一度設定すれば、優れたツールと化した。声で指示すれば発生言語や単語から要求されているチャートやグラフを自動生成し、プレゼンに最適なデザインで情報提供してくれた。
 竜崎のスペースにはダンベルやプロテインが散乱し、PCの基本操作や設定が書かれたメモがいたるところに貼られていた。
 早乙女の周りには極度に甘いお菓子やジュース、それにマヨネーズが積み上がっており、蛇のように絡み合った配線がテーブルの上下をのたうち回っていた。
 境の周辺は山田と同様、整理整頓されていた。が、PCの前には栄養サプリメントの袋や容器が並べられていた。首や腰に貼る湿布も山積みになっていた。喉を詰まらせるような量の錠剤を毎朝コーヒーで胃に流し込む姿に、最初は全員が驚愕。その度に健康に関するうんちくやメリットを聞かされ、少し経ってから竜崎が同じ物を購入。そこから全員でシェアを始めた。
 山田は筋トレグッズを竜崎から借りながら、冷暖房完備で畳の広がる中部屋を使い柔軟運動や自重トレーニングをおこなった。怪我をしない程度に竜崎とミット打ちや柔術やレスリングのスパーリングも実施し、身体を動かしておいた。早乙女は自主的なワークアウトを絶対におこなわず、健康面から境が強制的に運動を強いた。
「早乙女、運動をすれば脳からBDNFが分泌され、脳の血管が活発になり、脳機能が健康に——」
「分かりましたから、もうそういう理詰めは止めて下さい!」
 少し経ってから、境は山田に「柔術が分からないので教えて欲しい」と発言。組んだ瞬間の構えや力、年の離れた竜崎を上手く抑え込んでいたことから何かしらのスポーツや格闘技の経験者だと山田は認識。体力や柔軟性の問題から、山田は技を極められることはなかった。境はスパーリングを何本かやると息切れし、居間の隅で休んで山田と竜崎、早乙女の戦いを眺めるという流れを繰り返していた。
「山田……このメンバーでも可能な投げ技はあるか?」
「追い詰められた時に使えるヤツが欲しいぜ……」
「僕は遠慮しておきます……」
「そうですね……個人的に調べたんですが、巴(ともえ)投げとかが良いですね」
 そうして何度か練習し、スポーツで脳と身体をリフレッシュさせていると、山田の中で「ゲームがしたい」という欲求が生まれた。ニュースなどで世の中の動きを把握する度に、新たなソフトやハードが発売されている事実を無視できなくなっていた。どうしても我慢ができず、据え置きのゲーム機を購入。空き時間にモニターに出力して遊んでいた。その内、竜崎と二人で遊び、いつの間にか四人用ゲームも購入。極稀に全員で遊ぶようになっていた。
 意外なことに、給与は外務省から毎月しっかりと支払われていた。それは竜崎も同様で、専用のネットバンクに振り込まれているらしく、境から配布された業務用の携帯端末のみで支払いを済ませる約束だった。給与明細がないので額面と手取りは不明だが、二〇代には妥当な金額だった。
 俺達の扱いって、外務省ではどうなっているんだ?

 ◆

 七月、日が出始めた早朝。
 セーフハウスの広間にはモニターから流れるニュースの音声と、マウスのクリック音、キーボードの打鍵音のみが響いていた。各人が画面やモニターに注視する。一方で、部屋の主のみが優雅にコーヒーカップに口を付け、腕時計を確認中。
 全員が静かに、戦闘態勢を整えていた。
《反応あり、侵入者です。反応あり、侵入者です》
「第一段階破棄、第一!」
 裏の台所から響き渡るドローンの警報。リーダーからの号令が下され、腕時計のストップウォッチを押す境。山田は身の回りにある携帯端末やメモをパンツのポケットに突っ込み、外付け記憶媒体をバックパックに入れる。テーブルの下にある外履き用のシューズに足を通し、拳銃やナイフなどが装着されているタクティカルベルトを掴み上げ、パンツに巻いていたインナーベルトのベルクロと合体し、バックルで固定。バックパックを持って、ゲーミングチェアーを蹴飛ばしながらガラス戸を開放。台所を突っ切り、封鎖された勝手口、脱衣所と風呂場、洗濯室へと繋がる引き戸とトイレを横切り、安全確認後に廊下へと跳び出す。そのまま直線上にある玄関の戸口に手を掛ける。ほぼ同時に竜崎が到着。一緒に避難経路を通過し、目の前で腕時計を止めた境の隣で背後を確認。すると、お菓子が突き出たバッグとタクティカルベルトを持った早乙女が息切れしていた。
「一四秒……状況終了。山田、第二段階破棄で実施する痕跡の除去は?」
「『紙及び電子媒体の重要情報以外の痕跡を灰にすること』——この場合は台所にあるガソリンを広間に撒いて点火します」
「竜崎、第一は?」
「単に撤収なんで、『荷物をまとめてその場から出ていくこと』」
「早乙女、第三は?」
「『情報端末も含めて全てを破壊すること。これら手続きは通常、ケースオフィサーの最上級者が発令する』——この場合は、撤収用以外の車両にもガソリンを撒きます」
「良し、復旧するぞ」
 改めて広間に戻り、各人が荷解き(アンパック)をして、再び作業に戻るのに三分も掛からなかった。向かい側に座る竜崎のみ自動小銃から弾倉を外し、装填した実包を抜き、空撃ちした後に薬室と撃針、弾倉挿入口の三点チェックをしていた。
「セーフハウスに拳銃やナイフどころかライフルまで揃っているのは驚いたよな……まあ、その大半が錆びたり、ひん曲がってるのはもっと驚いたけどよ」
 台所に向かう境。自前で購入し、台所に設置したコーヒーメーカーにいつも使っているカップをセットしていた。
「旧自衛隊から国防軍に改組された際、不要決定処分となった物をいくつか回されたんだ。整備や弾の管理は竜崎、お前がやってくれ。発注した装備のセンスが良かったからな。今後も使えそうな最新のギアがあったら、俺以外にも共有してくれ」
「へい、了解っす」と軽く流しつつも、銃火器に触れている際の竜崎の表情は満更でもなさそうだった。全自動でドリップを開始したマシンから離れ、広間へと戻って来た境。竜崎は彼に「共食い整備になるけど良いのか、おやっさん?」と訊ねる。
「四人分の装備が調達できれば良い。俺は今のうちにトイレ掃除に行く」と、広間を通って中部屋へと退出していく境。
 そこでタイミングを見計らったように「なあ……これ本当に毎月やんの?」と、頭の後ろで手を組みながら嘆く竜崎。
「毎週やっていた頃に比べればマシじゃないですか」
「この前は『お前達が足元やテーブルを片付ける癖を身に付けたら、三ヶ月に一回にしても良い』って言ってたよ」
「オトメが床に落としたお菓子を踏んでからだぞ、おやっさんの態度が厳しくなったのは……!」
「いえ、まさかコーンの尖っている方が上になるとは……日本のお菓子は凶悪ですね」
 山田は円錐形のスナックが足裏を直撃した時の境の表情を思い出し、吹き出しそうになるのをこらえた。
「普段の鉄面皮が崩れたのは面白かったけどね」
「ヤマちゃんは真面目キャラで火の粉が飛んでいかないから楽しめるのよ……『山田以外はセーフハウスを荒らす傾向がある』ってキレてたから、俺も何も言えねえけど」
 自身のパーソナルスペースを包囲するかのように武器や酒瓶、用途不明の装備品を置きっぱなしにしている環境に竜崎はため息を吐いていた。
 いや、普通に片付けてくれ。
 しばらくすると台所の方から足音が聞こえ、ガラス戸を引いて境が入室。朝の日課であるブラックコーヒーでサプリメントを胃に流し込み、朝食を摂る前にスポーツウェアへと着替えていた。
 多分、廊下を挟んだ先にある和室で準備してきたのだろう。
 境は和室、山田自身は中部屋、早乙女が二階の寝室の一つ、竜崎が玄関の真向かいにあるトイレ横の角部屋と、一応の私室が設けられていた。が、それは各人がその部屋に居る滞在時間から考えた末の建前。どちらかと言うと、清掃担当区分という意味合いが強かった。
「清掃」という単語であることを思い出した山田は、腕時計で時間を確認。
「今日は早乙女が縁側と室外機の草払い担当だよ」
「あ、そうでした。涼しいうちにやらないと」
「除草は毎週実施しているから五、六分でも良い。体調不良や異様な暑さ、スズメバチの気配を感じたらすぐに戻れ。一応、ハチ用の噴射式殺虫スプレーも、そこのスプレー缶箱の中にある」
「了解です、これですか?」と、真っ黒な円筒を掲げる早乙女。
「それは催涙スプレーだ。護身用のな。後遺症は残らないが取り扱いには気を付けろ」
 境の指示でいそいそと手袋や帽子を身に着けていく早乙女。それを尻目に「エアコンの設置が最優先だったのは安心したぜ」と、竜崎が言う。彼はミキサーのボトルにプロテインの粉末を入れ始めていた。
「職場環境の悪さに耐えれば労働効率が上がるというデータはない」
 日焼け止めクリームを塗り始めた早乙女は、ボトルを抱えて台所に向かった竜崎を哀れみの目で見ながら「筋肉に取り憑かれたトレーニーですね……」とコメント。それが聞こえていたのか「うるせえ!」という言葉と共に、ミキサーの獰猛なモーター音を広間まで響かせてきた。
 その時、モニターで流れるニュースのラインナップに変更があった。都内の宝石店や高級車販売店を襲う連続窃盗団が逮捕されたが、互いの面識はメタバース(仮想空間)上での会話のみで、指示役のグループはいまだに発見できず——というものだ。山田が境の方を見ると、コップを傾けつつ、視線だけは獲物を追う狼のようにモニターを注視していた。
「——いずれにせよ、何が血盟団の構成員獲得の決定要因になるのかは不明だ。貧困もあるだろうが、時期的特性を考慮すれば、気温が戦争やテロリズムと相関関係があるという学説も存在する」
「だから中東や中南米で争いが絶えないのかもしれませんね」と、山田は思わず納得する。
「一理あるだろうな。酷暑では苛立ちも募る」
「二〇五〇年になると日本の夏は四七度まで上昇するという予測もありますね。イラクやアフガニスタンも日中、四〇度から五〇度まで上昇することはあるようですが、日本のような湿度はありませんから」と、早乙女。彼もPCから目を逸らさず、ひたすらマウスを動かし続けている。早速、メタバース関連について情報を仕入れている最中なのだろう。
「そう言えば最近、山梨県が四二度を記録したらしいです」と、山田も同調。プロテインを一気飲みして既にボトルを洗い終えた後なのか、「干ばつとか強雨(きょうう)も、ひと昔前からニュースで話題になって、そこから一気に来たからな。世知辛いぜ」と、竜崎が帰還。ソクミントで役立つ情報があったのか、早乙女が何かを書き込んだ付箋紙を竜崎のテーブルに貼り付け、それを受け取った本人がスマートフォンを動かし始める。恐らく、人気のメタバースコンテンツにログインし、バーチャル空間での反応を収集しているのだろう。
「二一〇〇年までに地球の平均気温は四度上昇するという予想もある」
「ふーん……ま、あと六〇年で四度なら、意外に大したことねえか」
 いや、それは違う、と山田が指摘する前に、首にタオルを巻いた早乙女がため息を吐いた。
「一八八〇年から二〇一二年までに上昇した平均気温は一度にも満たなかったんですよ? 日本や中東、インドでは夏に外出することは命がけになります。日本は世界一の水輸入国でもあるんですから」
「マジかよ。爺さん婆さんはみんな死ぬぞ……ところでよ、おやっさん。セーフハウスってどこもかしこもこんな不便な場所にあんのかい?」
「大抵は都心部だ。『出内機関はインテリジェンス・コミュニティーの嫌われ者』だからな。タイミングが悪いと、予算と場所に困ることもある。成果を上げれば話は別だが」
 その発言を聞いた竜崎が、『おやっさんが嫌われてるだけじゃねえよな……?』とでも言いたげな表情で山田に対して意見を求めてきた。
『そこは触れない方が良いような……』
『まさか……いや、でもどうなんでしょう、顔怖いし』と、対角に座る早乙女がPC画面の横から顔を覗かせてきた。
 顔は関係ないだろう……しかし、出内機関の全貌が明らかにされない以上、そうした疑惑が向けられるのは当然か。
 山田は鎌をかける意味でも、「他の情報機関に比べて、最近創設されたというのもあるんですかね?」と探りを入れた。
「ああ、比較的な」
「あ、北海道は涼しそうですね」
 モニターの報道が変更されていた。内容は総理大臣が外国人労働者の更なる受け入れ拡大を表明し、人手不足に喘ぐ業種を対象に新たな在留資格を設けるというもの。とりわけ人口減少による人材不足論争に一石を投じたい北海道知事が、定例記者会見の場において積極的な受け入れ姿勢を見せていた。需要と供給がマッチした形だが、「治安悪化と地元民の反発を懸念」というテロップが流れる。
「リベラル派の道議会議員達による突き上げもあったんだろう。高齢化と政府に対する不信感によって、今は議会の過半数が外国、特にロシアに友好的という情報もある。外国人労働者の人権外交を目指す多くの超党派議員が所属することでも有名だからな」
「SNSだと『ハニートラップにやられたんだろ』っていう情報もあるっすね」
「そうだな——それはともかく今日は週末だ。早乙女の除草が終わり次第、成果報告を実施するぞ」

 ◆

 全員が着席した後、広間の照明を落とした境は、いつものように「まずは俺からだ」と先陣を切った。壁際の大型モニターには境のPCディスプレイと同じ内容が表示される。全員の視線がモニターに集まった。画面には民間で利用されている衛星写真が出力されていた。大量の砂らしき茶色い面と、広大な青い面に分かれている。
 どこかの海岸か?
「結論から言うと、進展があった」
「お」と、身を乗り出す竜崎。山田はそこまで動じなかったが、気持ちは同じだった。
 この数カ月間、大した成果はなかったからな。
 スマートテーブルの中央部が光り、変形していく。扇状に、斜め上方に、六枚の板がテーブルから羽根のようにゆっくり起き上がる。上から見ると雪の結晶に似ていた。中心を起点に、花が蕾に戻るような光景。蕾は完全に閉じることはなく、隙間だらけのサラダボウルのようになる。そして、球体の青い像が浮かび上がった。それは裸眼でも視認可能な3Dのバーチャル地球儀であり、六枚の小型空間再現ディスプレイ。それらが中央下の画面に映る映像を、立体のホログラムとして引き上げていた。ひと昔前はSF映画に出てくる「宇宙船での作戦会議」と称されていたが、現在では医療や建築の現場で当然のように利用されているらしい。地球儀は平面になり、日本全体まで拡大表示すると、高低差まで再現された列島が一定の速度で緩やかに横回転を始めた。
「モニターに出力されているのは神奈川県鎌倉市にある材木座(ざいもくざ)海岸だ」
 真上からの航空衛星写真が拡大される。そこには緑がかった海と、黒や白でまばら模様となっている砂浜が映っている。波打ち際から海の家、そして国道までの間に、色とりどりのビーチパラソルと思われる屋根が石ころのように点在していた。そこに、ほとんど同じにしか見えない航空写真がオーバレイとして重なる。良く見ると、米粒のような点が二つ、波打ち際に追加された。
「個人のプライバシーや安全保障上の観点から、政府からのシャッター・コントロールを民間の商用衛星は受けている。拡大できる分解能(解像度)は本来ここまでだが……」
 境は棒付きキャンディーをくわえながら椅子の上に体育座りをしている早乙女を一瞥してから、PCを操作。荒い画像と鮮明な画像を繰り返しながら拡大していく。最終的に二つの米粒が人間であることが判明し、二人の頭頂部がモニター全体に映し出された。一人は骨格から考えると黒髪の男性だったが、もう一人は胸部の隆起から推測するにサングラスを掛けた金髪の女性であり、どちらも水着のようだった。
「これは俺が独自に手に入れた衛星写真だ。男の方は後で説明するが、女の方はロシアのスパイだ。集音技術が発達した現代では、公衆の面前でノイズに紛れた方が盗聴はされにくい。波打ち際を延々と往復しながらの会話や、街中の雑踏に紛れる、などだ」
「へえ……って、おやっさん、衛星まで使えんのか?」
「俺じゃない。俺のエージェントが撮影した成果物を買い取ったんだ」
「どうしてスパイだと分かったんですか?」と、顎に手を当てる早乙女。
「ロシアの安全保障会議は毎週金曜日に非公開の下でおこなわれる」
 モニターにはキリル文字の説明文が並ぶサイトが現れた。どうやら政府の公式ホームページらしい。
「ただし招致された専門家の名前はクレムリンのホームページで見ることができる。そこから会議の内容を推測することが可能だ。そして専門家の顔はSNSや論文掲載サイト、大学のホームページから特定できることがある」
 画像が切り替わる。恐らくは権威ある専門家達なのだろう。スーツ姿の中年男性が何人かで食事をしていた。かたわらには美しい女性が数名列席している。どこかのレストランのようだった。
「男の方は在日米軍基地の引っ越しスタッフとして勤務していた杉本という派遣社員で、現在の身元は不明。SNS上では、以前の職場に対する不満を投稿していたようだ——カメラから顔を背けている長い金髪の女を覚えておけ」
 運転席から車のサイドミラーにカメラを向け、自撮りをしている男の写真が出現。SNSにアップロードした投稿画像のようで、サングラスをしながら歯を剥き出しにして笑っている。しかしよく見ると、巧妙に背後の金髪の女性を画角に収めていた。『めっちゃ可愛い謎の美女からSNSで逆ナンされた!』と、絵文字付きのメッセージが添えられていた。助手席の女性は携帯端末を操作しているようで、盗撮には気付かなかったらしい。ただ撮り方と角度、そしてサングラスの問題で横顔と耳が小さく見えているだけで済んでいた。
 これだけで人物を特定するのは難しいが……
「この動画を良く見ろ」
 PCか携帯端末かは不明。だが、何かしらのビデオチャット画面が動き始めた。映っている人物達は全員白人だったが——
 これは……何かの講義か面接か?
「ロシアの大学でおこなわれた日本語学科でのオンライン授業の様子だ。複数名による通話画面をキャプチャーしたものだな。これはロシアにいる俺のエージェントが毎年送ってくれるものだが——」
「あ!」
 雪のような白肌に映える長い金髪。
 ハリウッド女優顔負けの微笑。
 山田はその全てに見覚えがあった。
 ——東京ビッグサイトだ、ミカエラ・マルティニ!
 しかし、そこで山田は自身の口元を片手で覆った。テーブルを見渡し、自身へと集中している全員の視線をかいくぐり、一瞬だけ早乙女を窺った後、「……すみません、後で言います」と何とか言葉を紡ぐ。
 危なかった……早乙女は勝連のことを知らない。不必要な詮索を避けるために、後で境にだけ伝えるべきだ。
 早乙女と境の顔を交互に見たせいか、境は察してくれたようだった。竜崎の表情はなぜか恐ろしいほどに強張っていた。
「名前はアンナ・ゴルバチョワ。出内機関のDI(情報本部)によると、どうやら彼女は大学卒業後にSVR(対外諜報庁)の対外諜報アカデミーで教育を受けたようだ」
 テーブル中央のホログラムがゴルバチョワ本人の頭部に変わり、造形を三六〇度から視認できるように回転を始める。
「竜崎、『SVR』が何なのか、インテリジェンス課程での講義を覚えているか?」
 竜崎の視線は、モニターをどこか懐かしそうに睨み付けたままだった。上司の質問を無視した状態なので、一応、山田は注意する。
「竜崎」
「……ん? ああ、悪い、SVRっていうのは確かあれだろ? アメリカでいうCIAみたいなもんだろ」
「——まあ、そうだな。日本にはSVRに該当する機関はない」
 珍しく的を射た回答に、境はそれ以上の追及を止めたようだった。
「SVRのアカデミーは簡単に言うとロシアのスパイ学校だ。お前達が卒業したインテリジェンス課程を思い出して欲しい。有名な出身者ではロシアのプーチン大統領もここの卒業生の一人だ。SVRは対日工作を三つのグループに分けている。日本の内政や外交の動向を探る『ラインPR』、最先端技術の窃取が目的の『ラインX』、背乗りしたスパイを支援する『ラインN』だ。DIによると、ゴルバチョワは情報将校の契約軍人だったが、ウクライナ戦争においては狙撃手として暗躍していたようだ。専門はハニートラップやネット関係らしいが、その場合はラインXに所属している可能性が高い。だがここ最近、表舞台から姿を消していた」
「契約軍人?」
「通常の軍隊であれば徴兵制度で招集される徴集兵と、軍学校を卒業した常勤の職業軍人に分かれる。ロシアにはそれらに加えて契約軍人という制度がある。これは文字通り契約社員のようなもので、日本円に換算して毎月一四万円の給料で、徴集兵から三年契約するのが一般的らしい。ロシア軍の七〇パーセントは契約軍人で、徴集兵や職業軍人より多いんだ」
「どうやってここまで特定したんですか?」と、早乙女。
「耳の形だ。人相の分かる写真がなくとも、複数の判断材料があればDIのアナリストが画像分析をして照合する。今回は九一パーセントの確率で一致した同一人物だ。いつ来るかも分からない相手を現地で永遠と待ち続けるのは現実的ではない。特に相手がスパイなら『点検と消毒』のプロだからな。せっかくの獲物を失尾したり、こっちの面が割れたら意味がない」
 境がPCを操作する音が部屋に響く。大型モニターにはこれまでの画像が縮小されて表示された。
「過去にアンナ・ゴルバチョワが、東京観光に来たロシアの専門家と共に来日した際の足取りを追った。成田空港からロシア大使館、大使館から神奈川県逗子市にあるロシア連邦通商代表部の保養所、保養所から海岸までの時間を逆算し、後はエージェントに丸投げした。お前達も優秀なエージェントをスパイとして大事に扱えば、それだけ有力な情報が自動的に集まってくることを覚えておけ」
「何だか私生活でも役立ちそうですね」と、早乙女。
「公私混同はするな。言っておくが国益ではなく自分の利益として利用した場合、それは犯罪行為に該当する。アメリカでも同じだ」
「わ、分かっていますよ」
「それと、アナリストも今はほとんどがAI解析に頼っている。情報の質も高価な機材に左右されるということだ」
「……スパイもAIに職を奪われるか、難儀なもんだな」
 ただ、情報の全てがデジタルで補える訳じゃない。
「だから俺達のようなケースオフィサーがヒューミントをする、ということかな……」
「そうだ。ヒューミントは決して時代遅れのインツではない。むしろデジタルに注目が集まっている時こそ時代の盲点となる分野だろう。いつの時代も、人は噂話が好きだ。当面の間はアンナ・ゴルバチョワと杉本を追うことになるだろう——以上で俺の報告は終わりだ。質問はあるか?」
 山田が他二名を見ると、「今の段階ではなんとも……」といった表情で首を横に振っていた。それを確認した境は資料をモニターから全て消し、PCとのリンクを切った。
「……良し、じゃあ次は俺だな」
 竜崎が早乙女と目を見合わせると、早乙女はPCを操作。モニターには流行りのSNSやメタバースソフトに関する資料が表示される。
「半グレとか闇バイト関係ばっかりで、血盟団に直で通じるかは分からねえけど、こっちも進展はあった。オトメとも協力したから、一応、俺達二人の成果報告ってことで、お願いしやす」
 若干、気まずそうな様子の竜崎。デジタルに疎い自分が力になれているか、不安なのだろう。しかし、二人のインツの主戦場はネットなので、そもそも親和性が高い。バトンを受け取った早乙女はモニターに、煌びやかなバーチャル空間で3Dのキャラクター同士がメッセージのやり取りを行う様子を表示した。仮想の街——見覚えのあるスクランブル交差点から、恐らくは渋谷を模しているのだろう。デフォルメされた三頭身のポリゴンが大勢集い、ポップアップされるテキストメッセージの量も尋常ではなかった。
「これは僕と竜崎の仮想の分身、アバターです。血盟団と接触しやすいように組織や社会、政治に強い不満を抱いていることをプロフィールに書いています。説得力を増すためにリンク先のSNSでも同じ内容を投稿しました。カバーストーリー用のアカウントですけど」
「まあ、潜入捜査みたいなもんすね」と、竜崎。
「昨今はメタバース上での犯罪行為が横行しています。代表的なのはゲーム内通貨や報酬としても運用される暗号資産を不正送金する事案や、違法な活動に誘うための出会いの場として利用するなどです。僕はその原因が、当局の監視や法の規制をかいくぐるのに適しているからだと考えます。あのスパイ学校で境さんが『プリズム』に触れていましたが、多岐にわたるゲームアプリの中まで完璧に検閲することは不可能です。メタバースをヘッドマウントディスプレイ(HMD)や拡張現実(AR)と捉える人もいますが、浅はかですね。簡単に言えば、今の時代のオンラインコンテンツは全てメタバースとも言えます」
「プリズムって、なんだっけ……?」と、竜崎が小声で訊ねてきたので、「アメリカのNSAが運用する全世界ネット監視網のことだよ。『大統領暗殺』とかでネット検索すると個人が特定される、テロリスト予備軍検索エンジンみたいな……」と補足。
 竜崎は「ああ、そうだったそうだった」と片手を小さく上げて咳払いした。
「ここは盲点だったな……」と、背後でぼやく境。腕組みしつつ、苦渋の表情を浮かべていた。世代があまりにも離れているので仕方がないと山田は思ったが、柔術の件といい、何歳になっても学ぼうとする性格から悔しさを覚えているのだろう。
「現在のメタバースのトレンドは有名アーティストによるバーチャルライブなどもありますが、携帯端末からもプレイ可能な『クラフトアドベンチャー』という無料のキラーコンテンツが盛り上がっています。これはチーム全体の休養日にみんなの前で遊んだので、覚えているとは思いますが」
 早乙女がモニターに映像を出力して、竜崎を巻き込みながらプレイしていた光景を山田も覚えていた。境はプレイせずに後ろから淡々と眺めているだけだったが、「見ている分には面白そうだ」と言っていた記憶がある。
「これはプレイヤーが仮想空間内で3Dオブジェクトを使って建物を建築、設計するゲームです。フレンドを招待して一緒に遊んだり、敵を配置して冒険することも可能です。そしてクローズドな空間としてチャットを閲覧できる相手も限定することができます。しかもクラフトアドベンチャーはアカウント作成もログインも必要なく、アプリ内でアバター設定が保存されます。人気の物件は入場料として暗号資産を払うなどの要素があって、そういう有料コンテンツを利用する場合はアカウントが必要らしいですが、あくまで個人間の取引ということで運営側は介入しないようです。グレーゾーンですが」
「メーカー側にもブラックボックス、ということか」と、境。
「元々はインディーズゲームの開発者がいつか出る自分の新作をPRするために無料配布しているソフト、だったよね?」
「そうです。だから大手のような対応や自主規制もありませんし、中国に住んでいる凄腕プログラマーらしい製作者も正体を明かしていないので実態は不明です。中国は自国民を引き渡しませんし、やり取りをアプリ内に留めておけばプリズムやエシュロンにも引っ掛かりません。日本では『マラード』って言うんでしたっけ?」
 マラード?
「日本にもプリズムのようなシステムがあるんですか?」
 境は公然の事実と言わんばかりに、あっさりと答えた。
「ある。一般の目に触れたのはスノーデンが『JAPANファイル』という機密情報をリークした時が初だが、報道規制もあり、ほとんどの日本国民は知らない。『MALLARD(マラード)』は日本全土の電話、メール、SNSなどネット上のやり取りや通信を傍受監視するシステムだ。これは一時間当たり五〇万件のネット通信を傍受し、民間の衛星から一般市民のメールも含めて監視している。旧自衛隊時代には反政府的な発言をしている国民を監視対象として情報収集していた事実から、防衛省が賠償金を支払う判決が出た。元を辿ればそうした監視ツールである『XKeyscore(エックスキースコア)』を日本に提供したのはNSAであり、マラードは防衛省情報本部(DIH)電波部とNSAによる共同衛星傍受システムとして現在も運用されている」
 なんだ、それは。
 人質司法やレンディションのような「秘匿された事実」を告げられ、山田は瞬間的に込み上げてくる苛立ちを抑えるのに集中した。自由を奪われたせいで、自由を束縛するシステムに一種の敵対心を抱くようになっていた。
「そんなこと、インテリジェンス課程では教わりませんでしたが?」
 無表情の境に山田が目を細めていると、「NSAのプリズムに関しては当時の大統領も『行き過ぎた面があった』と発言していましたが、日本国民に対しては周知すらナシですからね」と、早乙女も僅かに同調するような台詞を吐いた。
 そんな中、「既に報道はされていたとしても、訓練生の時点で何でも教えると悪影響が出るんじゃねえか?」と、頭の後ろで両手を組む竜崎。
 ——確かに、国がするべき説明責任に対し、一諜報員に過ぎない境を咎めたところで何の解決にもならない。
「竜崎の言う通りだが、今後はなるべくニード・トゥ・シェアしよう——続けてくれ」
 早乙女は咳払いしながら続ける。
「ゲームアプリ——特にクラフトアドベンチャーのようなメタバース上で動かすものは、マラードとかの検閲を回避することができますからね。最初は僕もディープウェブやダークウェブを漁って暗号資産の不正送金を追っていましたが、竜崎から応援を頼まれて一緒に情報収集をしていました」
「ソクミントだけじゃ限界があったのと、最近の報道でメタバースが犯罪に利用されているのが理由っすね」
「そこで反体制的な主張が見え隠れするSNSアカウントを通じて、メタバースの中でアバターとして親交を深めると、僕が最初に潜っていた海外の闇マーケットに繋がりました」
 モニターに何かを段階的に分けた図が表示される。どうやらこれが不正送金の手順らしい。
「ここからはあくまで僕の推測ですが、『ローンウルフ(一匹狼)型のホームグロウン(自国産)テロや犯罪を組織的に発生させる』という矛盾を達成するために、血盟団は『システム化された非組織運営』になっているのだと思います。これも矛盾しているんですけどね……」
「俺も同意見だ。以前、血盟団の構成員を尋問したことがあったが、『血盟団は組織ではない』と言っていた。別の構成員は日本語学校に通ってはいたが、ろくに喋れず、自分が何をしているのか分からない様子だった。命令役である上流工程の人間の顔や名前は、実行役である下流工程の人間には決して伝達されない。芋づる式の検挙を回避するため、トカゲの尻尾切りにする。システム化されたテロや犯罪組織では常態化しているやり方だ」
「そうすっと、リーダーシップに頼らない組織運営が大事だな……やっぱ金か?」
「そうですね。違法行為の内容や方法をどこまで具体的に指定しているかは分かりませんけど、少なくとも報酬は支払っているみたいです。境さんに教えてもらった血盟団の犯行と思われるこれまでのログをダークウェブで追いました。モニターを見れば分かりますが、過去に不正送金された暗号資産の流れを辿ると、何重にも資金洗浄をしているみたいです」
「あー、話の腰を折って悪いんだけどよ……資金洗浄とか暗号資産って、調べてもいまいち良く分かんねえんだよな」
「資金洗浄はマネーロンダリングのことです。犯罪収益など違法に手に入れた資産に捜査の手が及ばないようにするんです。送金手続きを複雑化し、足跡を辿れなくしたりとか。暗号資産は……そうですね、ブロックチェーンとかシステム的な話を竜崎でも分かるようにするには、何て言えば良いか……」
「面目ねえ」
「ひとまずシステムのことは良いんじゃないかな?」
「僕、日本語での説明が苦手なんですよ」
 そうすると、俺自身もデジタル通貨という認識くらいしかないんだけどな……
「簡単に言えば、『お金のようなもの』だ」と、境が救いの手を差し伸べた。
「二〇二〇年四月に暗号資産法が施行され、五月に改正資金決済法で規制されて仮想通貨から暗号資産に名称が変わった。金融商品取引法にも『お金のようなもの』として定義され、税法により所得税が課せられている通貨だ。法定通貨である紙幣や硬貨との違いを明確化するために、仮想通貨という名称が使われたのだろう」
「具体的には何に使われてるんすか?」
「主に送金や決済手段だ。暗号資産交換所や取引所で扱う。一九七〇年代になり、国際銀行間金融通信協会、通称『SWIFT(スイフト)』という略称で知られる国際送金ネットワークが確立された。だが時が経つにつれ、銀行間をまたぐ手数料と送金速度に問題が生じた。為替レートに上乗せされた為替手数料は二〇〇〇円から六〇〇〇円掛かり、送金には三日から五日、土日や祝日を挟むと一週間以上掛かるという点だ。そこにサトシ・ナカモトという謎の人物が発表した暗号理論に関する論文が注目を集めた。これがビットコインやブロックチェーンといった概念であり、結果的には送金手数料は〇・一円以下、送金速度は三秒以下という画期的なものだった。俺も早乙女ほど詳しくはないが、ブロックチェーン自体も暗号技術によって取引履歴を分散処理、記録する技術のことらしい。銀行のような中央集権型の管理者がいるわけではない。ネット上の端末同士がデータ管理する様を鎖(チェーン)に例えたことからこうした名称になったようだが、リップル(XRP)などの銘柄——つまりコインによっては会社管理のシステムもあるようだ」
「じゃあ、元々暗号関係の話だったから暗号資産っつー名前になったわけか」
「元を正せばな。だが通貨と言うのは国家の信認でもあり、利便性と政治性を持っている。自国通貨の価値が低く、信用性のない途上国では暗号資産を法定通貨として扱う国家も存在する。そして一般的に先進諸国は、外国為替市場でレートの高い通貨を保有する。その優位性を脅かす存在として政府は規制を強めた。同時に通貨同士を交換しやすいという取引の複雑性もあり、マネーロンダリングによるテロ、犯罪の資金源として流用されている事実もある」
 管理元がいなければ、履歴も残らないということか。しかし、銀行が絡むと手数料や日数が掛かる。となると……
 山田は「送金を請け負う民間会社はないんですかね?」と、気になったことを質問。
「二〇一一年にはロンドンでWise(ワイズ)という送金サービスの会社が誕生したが、送金限度額が銀行より低いため、複数回の送金が必要だ——早乙女、話を戻してくれ」
「そうですね。コイン自体の話ですと、世界で最初に誕生したビットコイン以外は俗にアルトコインと呼ばれますが、ほとんど価値がないような銘柄は『草コイン』と言われ、今では数万種類にまで膨れ上がっているみたいです」
「マジかよ。そんなの交換しまくったら訳わかんねえじゃねえか」
「だからこの図のようになるんですよ」
 早乙女は左から順番にマウスカーソルで指し示した。
「まずメタバースやSNS上で実行役となる人間を勧誘します。謳い文句は『輸入代行の手伝い』とかが多いようです。指示通りに動いた実行役は報酬を現金で受け取ります。そのために不正に入手した日本人の個人情報や、母国に戻った外国人の口座などを悪用してネット口座を作成するそうです。実行役が盗んだお金や物は換金され、『買い子』と呼ばれる人間がそのお金でゲーム機などを不正購入し、それをまた売って暗号資産に変えます。そこからは命令役に送金されたり、『出し子』というATMから現金を引き出す係が暗号資産から現金化されたお金を実行役に渡します。報酬は現金の場合もあれば、『受け子』と呼ばれる人間が荷物として自宅や空き家で受け取り、実行役に渡す場合もあるようです。成果物がなく、社会不安を煽るような仕事内容の場合は、海外の暗号資産取引所から通貨を何度も交換し、イーサリアムという新たな暗号資産を作りだす効果を持ったコインに変えられ、集約ポイントと呼ばれる場所から更に分散し、最低でも四つ以上の送金先を巡った後に不正口座へと振り込まれ、出し子から報酬を受け取ります。そして警察に逮捕される前に第三国へと渡るようですが、ここら辺の手引きはデジタルの痕跡がありません。境さんいわく、逃げ切れるかは五分五分らしいですが」
「どっちにしろ、命令役を叩かない限り解決しねえな」と、竜崎。
 多分、血盟団に幹部がいるとしたら命令役なのだろう。しかし、足取りを掴まれないように何重にも対策する人物をそう簡単には——
「そんな命令役と思われる人物を、僕は見つけてしまったのですよ」
 何だって?
 自信に満ちた顔つき……というか、教育中に幾度となく見た得意げな表情に、山田は半信半疑になった。
「世界では一秒で一二人、日本では一〇秒に一人がサイバー攻撃を受けています。そこで僕は日本を支える企業や政府のサーバーに攻撃を加える『クラッカー』を追いました。血盟団やロシアにも繋がるし、それらしい事件を未然に防いだところでトカゲの尻尾を集めるだけだからです」
「クラッカー? ハッカーじゃねえのかよ?」
 すると早乙女は苛立ちを隠さずに怒鳴った。
「あのですね、ハッカーというのは僕も含めたプログラマー全体を指す単語でもあるんですよ。ハッキング自体に良し悪しはありません。厳密には違法なハッキングがクラッキングで、それをやるのがクラッカーです。少し前からホワイトハッカーやブラックハットという言葉で差別化されましたが、元を正すとネットリテラシーが無い癖に知ったかぶりをする竜崎みたいなのが混乱を引き起こすんですよ」
「わ、悪かったな……」
 鼻息を荒くした早乙女はモニターに表示された図を消し、『Tor』というブラウザを開いて、画面のパーセンテージが満たされるのを待った。そして端的にキーワードを打ち込み、何かを選択。すると、とてつもなく簡略化された検索結果のページが表示された。数世代前の古い作りのようで、文字化けしているようなサイト名が並んでいる。その中の一つを開くと、アイコンの横にメッセージが書かれた吹き出しが縦に流れるサイトが現れた。
「これはディープウェブにある匿名掲示板の一つです。個人情報やウイルス作成の手段がやり取りされる場合もありますが、基本的にはこうしたウェブサイト全てが違法なわけではありません。論文を探したり、政府の規制が強い独裁国家などではよく活用されますから」
 マルチモニターの一つに海を層ごとに表示した断面図が出力される。どうやらネットの広大な海を三つの層に分けたものらしい。
「インターネットは三層に分かれています。誰でもアクセス可能なサーフェス(表層)ウェブと違い、ディープウェブやダークウェブは大手検索エンジンではない特殊なブラウザを使用します。だから一般的な検索エンジンの巡回プログラムであるクローラーでは辿り着けない検索結果を出せます。有料会員限定ページや、パスワードを入れなければ閲覧できないページも厳密にはディープウェブです」
「ふと思ったんだけどよ、誰がいつこういうのを作ったんだ?」
「アメリカ海軍ですよ。元は軍事用に匿名性を確保した『オニオン・ルーティング』という通信技術が非営利団体に引き継がれ、『Tor(The Onion Router=トーア)』」と呼ばれるようになったんです。何層にも暗号化された様子を『玉ねぎ』——つまり『オニオン』に例えた名前らしいですね。今のように拡大したのは二〇〇五年頃からみたいですが、アメリカやドイツ当局がいくつか閉鎖に追い込んだようです。ですが、こうしたディープウェブの全容を把握している人間は恐らくいないでしょうね……話を戻すと、そんなダークウェブで『グール級クラッカー』として信奉されているアカウントを発見しました」
 意味が分からず、山田は訊ねた。
「グール級?」
「クラッキングの『指導者(グール)』として大勢のクラッカーから尊敬されるプログラマーということです。ハッキングで言えば『ウィザード(魔術師)級』の超天才ハッカーみたいな感じですね。どうもアメリカやイギリス、日本に対するいくつものクラッキングを成功させ、その度に称賛を受けているようです。ただそれを良く思わない一部のクラッカーが、『ジーヴィッカ』というアカウント名から人物像を特定しようとしたみたいです」
「ジーヴィッカって……スラヴ神話に出てくる狩りの女神だっけ?」
「へえ、物知りだなヤマちゃん」
「いや、ゲームか何かでそんな名前を見た気がする……」
「わざわざスラヴ系を選ぶということは、出身地の可能性もあるのだろう」
「僕もその線で調べましたが、東側のクラッカーなんて山ほどいます。そこで信頼性は低いですが、掲示板内に書き込まれた複数の匿名クラッカーによる『ある情報』を信じることにしました」
「それは何だ?」
「『ジーヴィッカはクラフトアドベンチャーにいる』という書き込みです。それも『ログイン時間から考えて、ジャパンサーバーにいる』とか。どうやらある程度のクラッキング能力を見せれば参加できるコミュニティーがあり、そこでジーヴィッカと接触したアカウントが漏らしたようです。力を証明できれば、秘匿性の高いチャットアプリであるテレグラムのグループや、クラフトアドベンチャーなどのメタバース上にフレンドとして招待されるみたいですから」
「でもよ、クラッキングって違法行為なんだよな?」
「そこで境さんに相談なんですが、警視庁のホームページを小一時間ダウンさせても良いですか?」
 境は一瞬、無言になり、「……警視庁でなければ駄目なのか?」と腕組みした。
「生半可なクラッキングでは招待されないみたいです。自作した練習用のゾンビサーバーをサンドバッグにしているのと変わりませんから。先進国の官公庁、それもサイバー犯罪に厳しい省庁に攻撃しないと認めないとか」
「……分かった、警視庁と内閣にいるアセットに相談しておく」
 早乙女は背伸びをし、うなった後、モニターから資料を消した。
「と、いうことで、本格的な接触はこれからなので、僕の成果はこんなものですね——後は竜崎、例の件も踏まえてお願いします」
「あいよ」
 モニターには大手SNSサイトがいくつか表示された。次に、竜崎の偽装用アカウントが誰かにダイレクトメッセージを送っているスクリーンショットが映る。そこからクラフトアドベンチャー内で竜崎のアバターが招待され、別のアバターと反社会的なチャットを繰り返している映像が出力された。
「俺はSNSとかメタバースの中でヤバそうなアカウントを探して、オトメの作ったディープウェブ監視ツールっつーものに世話になってました。命令役をとっちめる技術はないんで、実行役の内情を探ってたんすけど——」
 チャットの中で、気を良くしたらしい相手のアバターが、竜崎に何かしらの画像を送信する。
「その途中で、こんなエンブレムを見つけました。どうも、これが最近できた血盟団のシンボルらしいんすよ……」
「何?」と、境が思わず身を乗り出し、凝視していた。山田もモニターからスマートテーブルのホログラムに投影された立体画像を見る。盾のようなエンブレムの中に、熊とゴリラが合体し、そこから闘牛のような角を生やした怪物が描かれていた。
 まるでRPG(ロールプレイングゲーム)に出てくる魔獣「ベヒーモス」みたいだ。
「なかなか尻尾を出さないんで、途中から血盟団のフリをして接触しました。バレないか心配だったんすけど、危ない橋を渡ったかいはあったすね」
「何だか本物の構成員みたいでしたよ。反社なのは顔だけじゃないんですね」
「ま、まあな!」と、竜崎は焦ったのか皮肉にも応じず、「……それと、相手は龍崎重工の派遣社員らしくて、近い内に企業秘密を持ち出して誰かと交渉しようとしてるみたいっす」と締め括った。
「交渉日時と場所は分かるか?」
「『来月の下旬には海の上』とか言ってたっすけど、さすがにそこまでは引き出せなかったっすね。今後はエンブレムをその場で見せ合うのが仲間である印になるとか……」
 ということは、スパイとして潜り込む場合でも必須のアイテムということか。
「見せ合うっていうことは、バッジとかワッペンみたいな現物があるってこと?」
「ニュアンス的にはデジタル名刺みたいな可能性もあるかもしれねえな。疑われたくねえからこっちもシッタカして、深くは突っ込めなかった——俺からは以上だ」
「僕達二人の成果はこんな感じですが、質問はありますか?」
 境は首を横に振っていたので、山田はテーブルの中央を指しながら気になったことを訊いた。
「どうしてエンブレムが『ベヒーモス』みたいなのかは訊いてみた?」
「ベヒモ……なんだって?」
「ベヒーモスっていうのは、ゲームとか神話に出てくるモンスターのことですよ」
「いや、すまん。それすら分からなかった……カッコつけて強そうなエンブレム作っただけじゃねえのか?」
 確かに、そういった理由もあるが……
「大事な理由があるはずだ」
 そう言い切った境は、ホログラムから竜崎に目を移した。
「組織のシンボルだ。自分が建国して国家元首になるなら、国旗を適当なデザインにはしない」
「あーそう言われると、確かに……」
「ベヒーモスと訊いて、他に何が思い浮かぶ?」
 話を振られた山田は、勝連で入校前に哲学書を読み漁っていた時を思い出した。
「……『トマス・ホッブズ』のベヒーモス?」
「俺もそれが頭に浮かんだ」
「なんじゃそりゃ?」
「ルソーも論じている社会契約論の一つだ。秘境の原住民であろうがホームレスであろうと、現代人は一定の安全を保障される代わりに国家と契約を結んでいる。対価は税金や労働だ。そこから逸脱した状態を哲学者のホッブスはベヒーモスに喩(たと)えた」
「逸脱?」
「国家体制の混乱、もしくは国家自体が崩壊した状態のことだ」
「つまり『マッドマックス』みたいな世紀末状態ってことですよ。警察も軍隊も機能しない、力だけが支配する自由と恐怖の世界ですね」
「やべえな、弱者は搾取されるってことか」
 山田は想像してみた。
 政府や自治体などの統治機構は機能不全。女性や子供、老人は真っ先に狙われ、銃や筋肉で武装した集団だけが食糧やエネルギーを奪い合い、生き残れる世界。荒れ果てた都市部にコミュニティーが築かれ、その中でのヒエラルキーに結局は従わなければならない人生。
 かたや労働に明け暮れ、見えない未来のために、出口のないトンネルを永遠に走り続ける大半の現代人。
 どちらも絶望的だが、少し前の自分だったら、どちらを選んだか?
 自分にとって、少しでも可能性のある未来はどちらか?
「——それが血盟団の目的かは不明ですが、今の世の中と比べて、そっちの方が良いと言う若年層はいると思いますよ」
「……それは参考になる意見だ。俺はお前達と違い、恵まれた時代に生まれた世代だからな。竜崎、お前はホッブスの政治理論書を買って読め。これも仕事だ」
「うお、マジか……了解」と、「哲学」や「理論」という単語に拒否反応を示す竜崎。項垂れつつも、メモを取っていた。
「俺達は日本という国家と社会契約を結び、国家に帰属している。愛国心ではない。国籍という契約書で家賃を払い、住んでいるということだ——山田、報告を頼む」
「はい」
 PCを操作し、あらかじめ作成した資料をモニターに出力。何かと話題になる龍崎重工に関するネットニュースの記事が映ったことを確認後、山田は手元に置いていた眼鏡を掛けた。
「これは龍崎重工が以前開発した軍事用光衛星通信装置に関する記事です。『衛星搭載用モデルを台湾に三基輸出』という見出しですが、のちに輸出先が中国政府のダミーカンパニーだということが発覚し、輸出停止に陥りました。大手メディアの報道はここまでですが、週刊誌に寄稿したフリージャーナリストによる匿名取材で『通信装置の一基が行方不明』という情報が掲載されます。これは早乙女と共有してディープウェブでもチェックしてもらいましたが、似たような情報が現在も出回っているようです」
 マウスを動かし、新たな資料を表示。報告用にAIツールでまとめた図がモニターに出力される。図の下端には『地表』と書かれた地球の表面が描かれ、そこには巨大なアンテナが目立つ基地局がいくつか設置されている。上空には高度に応じて役割が異なる通信衛星が数基、浮かぶ構図となっていた。『2030年代に起こった通信革命』と名付けたタイトルは「我ながら簡素で見やすいな」と、山田は安心した。
「ここで光衛星通信の説明を挟みますが、この中で詳しい方は指摘をお願いします」
「詳しくは知らない」「僕も何となくしか……」「なんか速そうだよな」と呟く三名。
 俺も半導体関連の勉強で調べただけだけどな。
「日本の大手通信キャリアは地上の基地局を整備することによって、通信速度を6Gや7Gに向上させていますが、世界の主流は低軌道衛星通信になりました。従来の通信衛星は地表から三万六〇〇〇キロの軌道を静止軌道衛星が周回していましたが、距離があるため電波が届きにくいデメリットがありました。低軌道衛星は高度五〇〇から二〇〇〇キロを周回します。一基あたりがカバーできる地表面積は少ないですが、現在は大量の打ち上げに成功し、基地局の遠い山間部や海上でも光回線と同じ速度で通信可能です。災害や戦争で基地局が破壊されても影響がないというメリットがあります。このセーフハウスの契約先も衛星通信です」
「正直、それが普通の時代に生まれたので実感が湧かないんですよね……」
「『俺の時代は』という言葉は使いたくないが、光回線が登場する以前のADSLは二〇二四年にサービスを終了しているはずだ。動画サイトでは、一〇分以上の動画などは読み込みに時間が掛かり、観れたものではなかった。シークバーを動かして好きな場所から再生するのは実質、不可能に近かったんだ」と、境。
「本題の光衛星通信に入りますが、タイトルにもある通り『通信のゲームチェンジャー』となりました。真空である宇宙からのレーザー光なので電波とは違い、回線が遅いということはありません。しかも回線速度は10Gを超えます。全ての低軌道衛星にこれが搭載されるのは時間が掛かりますが、既にNATOでは軍事用として稼働しています」
「それに中国が目を付けたってことか。中国ではその光衛星通信システムは普及してねえのか?」
「技術的には中国も遅れを取っていない。だから、これは『第三国』による介入だと思う」
 そこで山田は早乙女に話を振るため、マウスを動かし始めた彼に目線を送った。モニターには英語表記のショッピングサイトが映った。
「ダークウェブ上に出回っているのは、これらのパーツだと噂されています。山田さんいわく、冷蔵庫くらいの大きさみたいですね」
 ホログラムに光衛星の現物モデルが浮かぶ。通信機器や高分解能カメラを積んだ四角いボックスから、太陽光発電に欠かせない黒い電池パドルを両翼の如く生やしていた。ボックスは宇宙空間でも支障をきたさないように金箔のようなフィルムで覆われていた。
「分解後にただの機械部品としてマーケットに売り出しているんだと思います。買い手は限定されているみたいで、東側諸国の人間にしか販売していないようですね。直接的な交渉はメタバース上でのチャットを介して、現地で受け渡すらしいです。既に削除されていますが、以前はサイトのチャット欄に『アイランド』、『レストエリア』という単語が並んでいました。多分、取引現場を指定していたんだと思います」
「何かの暗号じゃないとしたら、『島』とか『休憩所』っていう意味かな?」
「日本語的にレストエリアはサービスエリアのことだとは思うんですが……竜崎の相手は『海上』と言っていましたよね?」
「ああ、全部矛盾してるけどな」
 島、サービスエリア、海の上……
「全部の要素が合わさるのか、全て違う場所で取引するのかな……」
「犯人の特徴はエンブレムだけですか……他に手掛かりがないと厳しいですね」
「どうすっかな……クソッ、獲物は目の前にあんだけどよ。来月って意外に時間ねえな……」
 ——取り敢えず、一旦畳むか。
「自分からの報告は以上です。今回のことに限定した話ではありませんが、今後はエージェント運用のためにも週刊誌の記者と接触し、獲得工作を図ろうと思います。質問はありますか?」
 部屋に沈黙が訪れる。早乙女がスマート照明を点灯させるために、拍手をした。その音だけが広間に響く。
 資金の流れや重要人物達は掴めた。
 犯行手順も分かった。
 組織のシンボルも把握した。
 しかし、肝心の取引現場が抑えられない。
「竜崎が入手した取引情報が光衛星の行方に繋がるかは不明だが、可能性は考えておこう……この数カ月で一番の成果だ。特にメタバース関係は他の情報機関にはない着眼だ。これまで通り、タッチパネル機能付きのマルチモニターをミッションボードに使う。チーム内の情報をライン状に結んで共有してくれ。俺からの総括は以上だ」
 椅子から立ち上がった境は、いつもの言葉で締め括った。
「スパイ活動は点と点を繋げる作業でもある。どれだけ技術が発達しても地道な作業が続くことは変わらない。手に負えなくなったら、必ず仲間や上司に頼れ。気分転換に今日は寿司にしよう——早乙女」
「大丈夫ですよ、留守番は任せてください。僕未成年ですし、店でアルコール選ぶ必要ありませんから。買ってきて欲しい物リストは竜崎に送信しておきました」
「また俺かよ! まあ、助けてもらってるから何も——あ」

(ここからは本編でお楽しみください)