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不可食の信仰「鰻は神の使わしめ」──鰻食う人、食わぬ人 下(「神社新報」平成元年8月21日)


今年の土用丑の日は、7月27日。日本全国の鰻屋さんは例年と同様、蒲焼きを食べようというお客さんで賑わった。この日ばかりは、鰻にとってはそれこそ受難の日であった。

ところで、日本人は誰でも例外なく鰻を好んで食べるのかというと、どうもそうではないようで、なかには絶対に食べないという人もいる。これはもっぱら信仰上の理由からである。

▢鰻は大山祇神の使い

▢鰻の味を知らない宮司さん


京都市東山区馬町にある三島神社(友田重典宮司)の宮司さん一家はまったく鰻を食べない。「味も分からない」という。奥さんも嫁いできてからは「口にしていない」。

同神社の祭神が大山祇神(三島明神)で、その使いが鰻なので、神に仕える立場の神職が鰻を食べるわけにはいかないというのだ。かつては氏子も鰻を口にしなかったというが、いまではもう伝説の域を出ない。

同神社は後白河天皇の勅命によって創祀された。子宝に恵まれなかった建春門院が三島明神を念じたところ、翌年、のちの高倉天皇を授かったというのがその発端である。

同神社は昔から安産、子授けの神として全国から篤い信仰を集めてきた。妊娠5か月目に安産祈願すると、出産までのあいだ妊婦は鰻を食べてはならず、無事、出産が済むと、鰻の絵馬を奉納する。江戸中期以前は、生きた鰻を境内裏の池に放したという。

この信仰は、鰻の形態から生殖器崇拝と結びついたものと説明されている。

◇必ずしも鰻が神使ではない

伊豆国一宮の三嶋大社(矢田部正巳宮司)でも、やはり鰻が祭神・大山祇神の使いであることから、社地内での捕獲が堅く禁じられ、氏子も明治維新に至るまで鰻を食べなかった。ところが明治以降、三島の鰻は逆にその美味しさによって全国に知られている。

三嶋大社(同HPから)


大山祇神と鰻との関係は固定的ではない。

伊予国一宮の大山祇神社(三島喜徳宮司)では神使は白鷺で、「島の人のなかに鰻を食べないという信仰はない」。また伊予三島市宮川の三島神社(大西元彦宮司)の神使は狸である。愛媛県下には三島神社が数多く鎮座するが、鰻信仰と結びついた例はとくに見当たらない。

▢虚空蔵菩薩と鰻信仰

▢鰻の道案内で「鬼退治」


虚空蔵菩薩と鰻不可食の風習との関連には注目すべきものがある。とくに岐阜県郡上郡美並村粥川では、住民が1千年にわたって鰻信仰を守り、けっして鰻を口にしない。

天歴年間の初頭(10世紀半ば)、上流の山の中腹に妖怪(鬼人)が住み、人々を苦しめた。村人が朝廷に嘆願したところ、藤原高光という武将が遣わされ、難なく妖怪を退治した。ところがその後、妖怪の亡霊が現れ、人々を悩ませた。

ふたたび高光が派遣されたが、神出鬼没で討つことができない。そこで高光が虚空蔵菩薩に祈ると枕元に蕪矢二筋を得、山中で迷うと虚空蔵菩薩の使いの鰻が道案内をしたので、ようやく妖怪退治は成就したという。

この鬼退治伝説を地元の人々は実話だと信じて疑わない。村内には高光の子孫が住み、寺には退治された鬼の首も伝わっている。

◇密漁者は村八分に

鰻信仰の中心に位置するのが、高光が創建したという神社6社のうちの1社、星宮神社(西神頭安彦宮司)である。祭神は雄角明神と明星天津神だが、本地仏が虚空蔵菩薩なので、地元では「虚空蔵様」と呼ぶ。

星宮神社(岐阜県神社庁HPから)



明治18年には「粥川谷捕鰻禁止に付申合規約」が定められた。守らない者は「冠婚葬祭ノ節一切交際ヲ絶ツモノトス」と明記された厳しい規約で、星宮神社の氏子98人の名が記されている。戦後の食糧難のころには、鰻を守るため消防団が夜警に出、密漁者は「半死半生になるまで私的制裁を受けた」。

◇宮城・岩手の雲南信仰

栃木県には157社の星宮神社が鎮座し、多くは磐裂神、根裂神を祭神としており、いずれも本地は虚空蔵菩薩とされる。篤い虚空蔵信仰が根付いており、明治のころまでは鰻を食べないという信仰が伝えられていたようだ。

丑寅の年に生まれた人は一代の守本尊が虚空蔵菩薩であるため、生涯、鰻を食べないという信仰もある。とくにこの考え方は陸前地方で強いといわれる。

旧仙台藩領だった宮城・岩手両県、とくに宮城県本吉郡柳津町では、鰻を「雲南さま」と呼んで神聖視し、病気の際に栄養食としてやむを得ず食べる場合は、雲南権現に鰻の絵馬を奉納してから食べるという。

▢全国に伝わる大鰻伝説

▢タブーは台湾、ミクロネシアにも


鰻にまつわる伝説や伝承は全国に伝わっており、これらが鰻不可食の風習と結びついている場合もある。

たとえば福島県只見地方の伝説は──。

殿さまが川で毒流しをして魚を根こそぎ捕ろうと考えた。ある百姓家に見知らぬ旅の僧が現れ、毒流しを止めるよう進言してほしいと頼むが、無理だと分かって寂しく立ち去る。毒流しで打ち上がった魚のなかに大鰻が混じっていて、腹を裂くと、百姓家で振る舞われた粟飯が出てきた。同年、この地方を天変地異が襲い、翌年には殿さままでが急死したという。

伝説は水の神で、人の生命をも左右する力を持つことを暗示している。やはり土地の人々は神罰を恐れて鰻を捕獲したり食べることをしないという。

◇日本人の祖先とのつながり

鰻を神聖視し、これを食べないという風習があるのは日本だけではない。

台湾の高砂族やミクロネシアの島々にもやはり鰻不可食のタブーがある。鰻信仰を持つ日本人の祖先と何がつながりがあるのだろうか。


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