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宮内庁長官から前侍従長に主役が交代──4段階で進む「女性宮家」創設への道 その2(2012年4月24日)


 前々回に引き続き、「女性宮家」創設への経緯を、年表風に振り返ります。目的は、今日の「女性宮家」創設論の問題点を浮き彫りにすることです。

 前々回は、戦後の皇室関係史全体を俯瞰しつつ、〈第1期 皇室典範改正非公式検討期〉と〈第2期 典範改正公式検討期〉について、たどりました。

「女性宮家」創設論は、女帝容認・女系継承を容認する皇室典範改正と一体のかたちで、10年以上も前から、政府部内で、ほとんど同じ顔ぶれで、公式、非公式に議論されてきたのでした。

 つまり、この議論は、一般には昨年秋ごろから急速に浮上してきたように見られていますが、そうではないということが理解できます。逆に、「女性宮家」創設論の浮上は女性天皇・女系継承容認論の再浮上を意味することになります。

 今日、「女性宮家」創設の提唱者たちは皇室のご活動の維持を名目として、典範改正を実現しようとしていますが、表向きの理屈に過ぎないことが分かります。したがって、渡邉允前侍従長ほか、政府関係者が主張している「切り離し」論はあり得ないということです。

 それでは、〈第3期〉です。


〈第3期〉 皇室典範有識者会議は17年11月に女性天皇・女系継承容認の報告書を提出しました。この報告書には「女性宮家」という用語は消えていますが、「(皇族女子が)婚姻後も、皇位継承者として、皇族身分にとどまり……」という表現でその中味は盛り込まれています。年明けには小泉首相が施政方針演説で典範改正案の提出を明言しますが、その後、悠仁親王のご誕生で議論は沈静化していきます。この時期の特徴は、皇位継承論にこだわる羽毛田信吾宮内庁長官による典範改正工作がヒートアップしたこと、典範改正の議論が政治の舞台へ移ったことです。

平成18年1月、寛仁親王殿下が「文藝春秋」2月号インタビュー「天皇さま その血の重み──なぜ私は女系天皇に反対なのか」で、男系継承の維持を希望。



「この女系天皇容認という方向は、日本という国の終わりの始まりではないかと、私は深く心配するのです」

 これに対して、宮内庁のトップで、皇室を守るべき立場にある羽毛田長官が口止めしました。「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」。

同年2月、紀子妃殿下のご懐妊兆候発表、政府は皇室典範改正案提出を断念。

 小泉首相は女系継承容認をあらためて表明。「将来は女系天皇を認めないと皇位継承が難しくなる」。

 しかし次期自民党総裁となる安倍晋三内閣官房長官は、慎重姿勢を強調しました。「冷静に慎重にしっかりと落ち着いた議論を進めなければ」

同年9月6日、悠仁親王御誕生。

 けれども、皇室の慶事であり、待ちに待った男子皇族ご誕生に、羽毛田長官はあろうことか、水を差しました。「皇位継承の安定は図れない」

20年11月、天皇陛下のご不例。この年の2月、3月、宮内庁はご公務ご負担軽減について公表していたが、ご不例後、軽減策は前倒しされることになる。

 当メルマガが明らかにしてきたように、ご負担軽減の標的にされたのが歴代天皇がもっとも重視されてきた宮中祭祀で、平成の祭祀簡略化を陛下に進言した一人が渡邉前侍従長(19年6月まで侍従長)でした。この時期、前侍従長の存在感が増しているかに見えます。

同年12月11日、羽毛田長官は、医師の診断である「急性胃粘膜病変」と矛盾する「所見」を発表。

「天皇陛下には、かねて、国の内外にわたって、いろいろと厳しい状況が続いていることを深くご案じになっておられ、また、これに加えて、ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子を拝しており、このようなさまざまなご心労に関し、本日は私なりの所見を述べる」

21年9月10日、羽毛田長官が、政権交代で発足した鳩山新内閣に、典範改正を要請する意向を会見で表明。

「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要がある、と申し上げたい」


〈第4期〉いよいよ「女性宮家」創設論が表舞台に躍り出ます。転機は陛下が75歳をお迎えになったこと、そしてご在位20年でした。一方で、皇族女子が適齢期を迎えました。この時期の特徴は、羽毛田宮内庁長官に代わり、御用掛に任命された非常勤のOB職員である渡邉允前侍従長(19年まで侍従長。その後、今年4月まで侍従職御用掛)が「女性宮家」創設について積極的姿勢を見せていることです。提唱の目的は「皇室のご活動」維持で、他方、皇位継承論議の「棚上げ」が主張されています。「女性宮家」担当内閣参与の園部逸夫元最高裁判事の論理も瓜二つです。

21年11月11日、「日本経済新聞」連載「平成の天皇 即位20年の姿(5) 皇統の重み 「女系」巡り割れる議論」に渡邉前侍従長のコメントが載る。

「宮内庁には『このままでは宮家がゼロになる』との危機感から女性皇族を残すため女性宮家設立を望む声が強い。しかし、『女系天皇への道筋』として反発を招くとの意見もある。渡邉允前侍従長は『皇統論議は将来の世代に委ね、今は論議しないという前提で女性宮家設立に合意できないものか。女系ありきではなく、様々な可能性が残る』と話す」

 私が知るところでは、このコメントがメディアに載った、前侍従長の「女性宮家」創設提案の最初かと思います。

同月12日、政府主催の天皇陛下御在位20年記念式典。
22年12月、「週刊朝日」同月31日号に渡邉前侍従長インタビュー(対談)。話のお相手は、当代随一の皇室ジャーナリストである岩井克己朝日新聞記者。

「悠仁さまが天皇になられるころには、典範の規定によって、女性皇族が皇室を離れられ、悠仁さまお一人だけ残られるということになりかねない。国と国民のための皇室のご活動が十分になされなくなる恐れがあります。その事態を避けるために、私は、女性皇族に結婚後も皇族として残っていただき、悠仁さまを支えていただくようにする必要があると考えています」

 ここには「女性宮家」という用語はありませんが、「結婚後も皇族として残る」という中味は表現されています。

23年10月、渡邉允前侍従長が『天皇家の執事─侍従長の10年半』文庫版(発行は年末)の「後書き」に、明確な「女性宮家」創設を提案。


「現在、それ(皇位継承をめぐる問題)とは別の次元の問題として、急いで検討しなければならない課題があります。
 それは、現行の皇室典範で、『皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる』(第12条)と規定されている問題です。
 紀宮さまが黒田慶樹さんと結婚なさった時、皇族の身分を離れて黒田清子さまとなられたように、現在の皇室典範では、内親王さま、女王さま方が結婚なさると、皇室を離れられることになっています。もし、現行の皇室典範をそのままにして、やがて、すべての女性皇族が結婚なさるとなると、皇室には悠仁さまお一人しか残らないということになってしまいます。
 皇室は国民との関係で成り立つものです。天皇皇后両陛下を中心に、何人かの皇族の方が、両陛下をお助けする形で手分けして国民との接点を持たれ、国民のために働いてもらう必要があります。そうでなければ、皇室が国民とは遠く離れた存在となってしまうことが恐れられます。
 そこで、たとえば、内親王様が結婚されても、新しい宮家を立てて皇室に残られることが可能になるように、皇室典範の手直しをする必要があると思います。それに付随して、いろいろな問題がありますが、まず仕組みを変えなければ、将来どうにもならない状況になってしまいます。秋篠宮家のご長女の眞子さまが今年(平成23年)10月に成年になられたことを考えると、これは一日も早く解決すべき課題ではないでしょうか。
 繰り返しになりますが、この問題は皇位継承の問題とは切り離して考えるべきで、皇室典範の皇位継承に関する規定は現状のままにしておけばよいのです。仮に、将来、結婚された後も皇室に残られた女性皇族の方にお子さまがお生まれになった場合に、その方に皇位継承資格があるかどうかは、将来の世代が、その時の状況に応じて決めるべき問題です。我々には、その世代の手を縛る資格はないと思います」

同年11月25日、読売新聞の「スクープ」。「『女性宮家』の創設検討 宮内庁が首相に要請」。

「宮内庁が、皇族女子による「女性宮家」創設の検討を「火急の案件」として野田首相に要請したことがわかった」

 世間では「宮内庁長官が要請した」かのように受け取られましたが、記事はそのようには書いていません。長官も否定しているようです。誤報に近い記事でしたが、「女性宮家」提唱者には好都合で、事実、これを機に、「女性宮家」創設論は一気に熱を帯びます。

23年12月、「週刊朝日」同月30日号の岩井克己記事。「『内親王家』創設を提案する」。

「羽毛田信吾長官は……女性宮家創設を提案したと報じられた。また一部で「これは天皇陛下の意向」とも取り沙汰されている。いずれも羽毛田長官は強く否定している」
「女性宮家創設案は渡邉氏が数年前から「私案」として度々公言しており、週刊朝日での筆者との対談でも表明していた」

 この記事によると、「女性宮家」創設の提唱者が、羽毛田長官ではなく、渡邉前侍従長(今年4月まで侍従職御用掛。現在は参与)であることが分かります。典範改正の主役は交代したのです。

 この記事で注目されるのは、園部逸夫元最高裁判事のコメントです。園部氏は、すでに申し上げましたように、〈第1期〉の11年4月、政府内の典範改正研究会に参加していましたし、皇室典範有識者会議では座長代理を務めた、顔なじみです。「女性宮家」創設が女系容認につながることをはっきりと認めています。

「夫、子が民間にとどまるというわけにはいかないから、歴史上初めて皇族に属さない男子が皇族になる。問題はどういう男性が入ってくるか。また、その子が天皇になるとしたら男系皇統は終わる。女性宮家は将来の女系天皇につながる可能性があるのは明らか」

24年1月、「選択」1月号に園部逸夫元判事インタビュー「皇室の存続こそが第一」。

「問題は、このままでは確実に皇族が減っていく、ということだ。男系男子で皇統を継いでいければ伝統にかなうことになるが、それが現実的に可能かどうかを多角的に考える必要がある」
「皇室は天皇陛下を中心にご一家が一体となって国や国民のために多くの活動をなさっている。そうしたご活動を通じて皇室と国民とのつながりが維持され日本がまとまっている。この大切な皇室の存続をまず考えるべきだ」
「いわゆる男系女系論争はもはや神学論争の域に達しており、どちらかで国論を統一することなど現時点では不可能に近い。皇室の存続こそが第一とするならば、今は女性天皇、女系天皇の是非論は横に置いて、まずは新たな宮家を創設し、皇族を増やすことが先決ではないか。それこそが皇統を維持する上での大前提だ。男系女系論争は、将来の状況変化に対応し、その時点で考えられる現実的な制度をとれるようにするために、結論を未来の知恵に託すというのも選択肢ではないだろうか」

 園部元最高裁判事の「女性宮家」創設論は渡邉前侍従長と瓜二つです。

同月、園部逸夫元最高裁判事が「『女性宮家』検討担当内閣官房参与」に就任。
同年2月、皇室制度に関する有識者ヒアリング開始。
同年5月、黒田清子元内親王が臨時神宮祭主に就任。

 皇室のご活動を維持するための「女性宮家」創設の是非が世間で議論されているとき、7年前の17年秋に一般国民とのご結婚により皇籍を離脱された元皇族が、天皇のお社である伊勢神宮の重い役職につかれました。

 黒田清子元内親王に限らず、元皇族が社会的に活動している事例は少なくありません。「皇室のご活動」を維持するために、「女性宮家」を創設する必要はないのです。

 そもそも、「皇室のご活動」とは何でしょうか?

 渡邉前侍従長は、皇室のご活動が皇室と国民の信頼関係の基礎だとお考えのようですが、前回も申し上げたように、「行動する」のが日本の天皇ではありません。天皇とは公正かつ無私なる祈りの存在です。まして陛下以外の皇族のお役目は、ご活動ではありません。

 皇室の歴史と伝統とは異なる「皇室のご活動」の維持を目的として、歴史にない「女性宮家」を創設することは、125代続いてきた天皇・皇室の歴史を破ることになります。

 陛下の側近は、皇室の歴史と伝統を守ろうとせずに、なぜ逆のことをするのでしょうか? もともと125代の天皇の制度維持には関心がなく、逆にもっぱら、1・5代象徴天皇制度の維持に関心があるからでしょうか? つまり、近代の天皇の歴史を清算、克服できていないということでしょうか?

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