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国会審議に無用の混乱を招く「国会図書館」調査員の皇位継承論(2020年06月07日)


古来、皇位は男系男子(男系主義)によって継承されてきました。しかし平成8年以後、政府・宮内庁は女性天皇のみならず、過去の歴史にない女系継承容認に一気に舵を切りました。それから20余年、いまや女性天皇容認が国民の85%を占めるともいわれます。

古来、なぜ男系主義だったのか、なぜいま女系継承容認なのか。答えを得るため、前々回までは『帝室制度史 第3巻』(帝国学士院編纂。昭和14年)を読みましたが、神勅と歴史以外に根拠を持たない『制度史』には納得のいく説明が見出せませんでした。

 【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10〉

今回は、国会図書館調査及び立法考査局の専門調査員・山田敏之さんの重厚なリポートを読むことにします。同図書館は国会議員の調査研究に奉仕することを目的のひとつとし、調査及び立法考査局は国会の活動を補佐することを職務の中核としていますから、同局の研究は二千数千年におよぶ皇室の命運を握る需要な立場にあります。

調査員の山田さんには、私が知るところ、皇室問題に関する次の4本の小論があります。

(1)現⾏制度の制定過程における退位の議論(「調査と情報」No. 958。2017. 4.18)
(2)欧州諸国の退位制度(「調査と情報」 No. 959。2017. 4.18)
(3)ヨーロッパ君主国における王位継承制度と王族の範囲―女系継承を認めてきた国の事例(「レファレンス」No.803。2017-12-20)
(4)旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の確立(「レファレンス」No. 808。2018-05-20)

いずれもタイムリーな山田さんの研究は国会審議に少なからぬ影響を与えたものと想像されますが、その中身はどのようなものなのか、ここでは男系継承主義に関する(4)のみを読んでみることにします。結論からいえば、山田さんの皇位継承史論には多くの学びがありましたが、逆にいくつかの重大な疑念が浮かんできました。この歴史研究によって影響を受けた国会審議がどこへ進んでいくのか、あるいは迷い込んでいくのか、きわめて気がかりです。

なお、原文は国立国会図書館のサイトから誰でもいつでもダウンロードすることが可能です。


▽1 明治以前は「男子」の要件はなかった?

山田さんの論考は三部構成がとられています。(1)男系男子による皇位継承制の確立、(2)永世皇族制の確立、(3)女性皇族の皇族以外の者との婚姻後の身分、の3つです。とくに重要なのは、いうまでもなく(1)の男系主義の確立に関する史的考察です。

論考ははじめに、「要旨」として、6点を掲げています。

(1)現行皇室典範において、皇位継承資格者の要件は、a皇統に属すること、b 男系であること、c嫡系嫡出であること、d男子であること、e皇族であること、である。このうち嫡系嫡出であることは、現行典範により新たに追加されたものである。

昭和22年制定の皇室典範は「第1章 皇位継承」に始まり、第1条には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めています。また第六条には「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする」、第十五条には「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」と定めています。仰せの通りです。

(2)旧皇室典範制定前の制度では、d男子であることの要件はなく、女子にも皇位継承資格があり、古代に8代6人、近世に2人の女性天皇が在位した。古代の女性天皇の即位の事情については、古代史研究者によって様々な推論がなされている。近世の女性天皇はいずれも皇子に譲位することを前提にして践祚した。

問題はここです。あとでくわしく検討したいと思います。

(3)旧典範の制定過程では、男系男子が絶えた場合には女子に継承資格を認めるという案も出された。しかし、我が国の過去の女性天皇は中継ぎ君主であり欧州諸国の女王とは異なり、欧州諸国のように女子が継承し、その女系の子が位につくと姓が変わるという理由で女系・女子の継承資格を否認し、男系男子による皇位継承制度が確立した。

山田さんは男系男子主義が明治期に確立されたという見方です。ヨーロッパ王室との比較とあわせて、本格的検証を要するように思います。

このあと(4)皇親の制度、(5)永世皇族制の採用、(6)婚姻した女性皇族の身分について、言及していますが、ここでは省略します。


▽2 「女帝の子も亦同じ」と読むべきか

山田さんが指摘するように、旧皇室典範制定前には女子にも皇位継承資格があり、実際、古代には8代6人、江戸時代には2人の女性天皇が践祚しました。4人は皇后(大后)、1人は皇太子妃、4人は生涯独身で、在位中に配偶者がいた女性天皇はいません。1人のみ即位前に皇太子になっています。

古代の女性天皇即位の事情については、以下のようなさまざまの見方があると山田さんは指摘します。
(1)中継ぎとして即位した。
(2)危機打開のために女性のカリスマ性を発揮することを期待された。
(3)人格・資質と統治能力を考慮されて群臣により推戴された。
(4)「世代内継承」の原則に基づき、かつ、天皇たるにふさわしい資質と能力を有することが確認されて、即位した。
(5)諸皇子との継承争いに実力で勝利し即位した。

「中継ぎ」説だけではないというのが新鮮な指摘ですが、結局のところ、女性天皇は歴史に存在しても、女系継承はなかったし、山田さんが指摘するように、夫のいる女性天皇が存在しなかっただけでなく、妊娠中の女性天皇、子育て中の女性天皇は存在しないのです。それはなぜなのでしょうか。そこが最大のポイントのはずですが、山田さんの論考では解説されていません。

次に山田さんは、継嗣令について言及します。古代律令の条文に女性天皇に関する注記があるというわけですが、議論がかなり混乱しています。

山田さんによると、継嗣令には「凡そ皇兄弟・皇子は、皆親王と為す。女帝の子も亦同じ。以外は並に諸王と為す。親王より五世は王の名を得ると雖(いえど)も、皇親の限に在らず。」(皇兄弟条)という規定があり、その意味は「皇兄弟及び皇子を親王とし、皇孫、皇曾孫、皇玄孫を王とし、皇玄孫の子である五世王は王を称することはできるが皇親の範囲には入らない。」というものだとされています。

山田さんは、この規定は男子と女子を区別しておらず、親王には内親王、王には女王が含まれると説明しています。そこまではいいのです。問題は次です。

ポイントが小さくなっている「女帝の子も亦同じ」(女帝子亦同)は、令本文に付された本註で、中国の唐代の令にはない日本独自の規定ですが、「女帝の子」と読むことを誤りとし、「女(ひめみこ)も帝の子、また同じ」と読むべきだとする見方には、山田さんの言及がありません。

山田さんは、本註は、父が四世王までであれば女帝の子は親王とする意味だと解釈されている。さらに女帝の子の子孫(つまり孫王以下)も女帝を起点として数え、皇親とすると解釈されている。これに対し、女帝の兄弟については、他の条文の女帝への適用と同様に本則どおりで親王とされるため、あえて註記されていないと解釈されている、などと説明していますが、私にはまったく理解不能です。

近世の女性天皇の場合も同様ですが、「女帝の子」は歴史に存在しないのです。なぜそうなのか、が重要なのではありませんか。しかし、山田さんの論考には追究がありません。「女帝の子」と読んで、疑問を感じないからでしょう。

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▽3 「万世一系の皇統」に抵触する

明治の旧皇室典範の制定過程ではどのような議論が行われたのか、山田さんは以下のように解説しています。

まず、元老院の日本国憲按です。山田さんがご指摘のように、国憲按(憲法草案)には、女子の皇位継承を認める規定などが盛り込まれましたが、「皇女とその配偶者から生まれる女系の子・孫は異姓であり、異姓の子が皇位継承した場合には万系一世の皇統とはいうことができない」として修正・削除が求められ、結局、右大臣岩倉具視や参議伊藤博文が反対し、不採用となりました。

女系継承容認は「万世一系の皇統」に抵触する、というのが反対の核心です。

以前、書いたように、一般には、皇位継承規定を柱とする「皇室典範」の立法が考えられるようになったのは明治14年の岩倉具視の「憲法綱領」以後といわれるようです。これに対して、戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦は『大日本帝国憲法制定史』(明治神宮編、1980年)で、「皇位継承」の条文作成の準備は元老院の「国憲按」に始まっていると指摘したのですが、山田さんも同じく「国憲按」からスタートしています。

一方、自由民権運動の高まりの中で、いわゆる私擬憲法が多数発表されました。皇位継承規定が置かれ、女子の継承を認めるものもありました。明治10年代には政治結社嚶鳴社の「女帝ヲ立ルノ可否」と題する社員による公開討論会が行われ、『東京横浜毎日新聞』に連載されました。

討論会では島田三郎が以下のような、注目すべき反対論を展開しています。

(1)我が国の女帝は欧州各国の女帝とは性質を異にし、摂位に類するものである。また、女帝が配偶者なく独身でいたことは天理人情に反し、今日では行うことはできない。
(2)女帝が婚姻するとした場合、配偶者、皇婿となる適当な人がいない。欧州各国のように外国の王族を皇婿として迎えることができず、かといって臣民では至尊の尊厳を損する。
(3)我が国の現状では、皇婿を立てると、女帝の上に一つの尊位を占める人があるように思われ、女帝の威徳を損する。また、皇婿が暗々裏に女帝を動かして政事に間接に干渉する弊がある。

これに対して、賛成論者は、女帝は四親等以上の皇族と婚姻可能であり、国会が承認すれば外国王室との婚姻を妨げるものはない、皇婿の政事への干渉は憲法に干渉を許さない旨の条文を設ければよく、規定を設けても干渉がある場合は、もはや皇婿の問題ではなく、憲法の実効性の問題である、などと、逐一反論をし、さらに反対論者が再反論を行っていると山田さんは解説しています。

このほか、反対論者の沼間守一は「女帝を立てないがために皇統が絶えたらどうするのかという論者に対しては、直ちに二千五百年皇統が絶えることなく、今後もあるはずがないと答えるだろう」とする一方で、「女帝が配偶者を持たれて、皇太子がお生まれになったとしても、天下の人心は皇統一系・万邦無比の皇太子と見奉らないのではないか」と論じました。

これに対し、賛成論者の肥塚龍は「男統の皇族がすでに絶えて女統の皇族のみ遺ったときに女帝を立てない憲法であるがために皇統外に人を求めて天子とするのかと問えば、論者は恐らく答えることができないだろう」と論じていると山田さんの論考では説明されています。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01〉


▽4 単に「姓」が変わるのではない

山田さんによれば、明治17(1884)年になり、ヨーロッパの憲法取調から帰国した参議伊藤博文の上奏に基づき、宮中に制度取調局が設置され、伊藤がその長官を兼任しました。同局の調査を基に、皇室制度法草案である「皇室制規」が起草されましたが、これまた女系継承を認める内容でした。

この草案に対し、井上毅(宮内省図書頭)は、嚶鳴社の討論会における島田三郎と沼間守一の弁論を引用した上で、以下のように批判しました。

(1)欧州各国の女帝の例によるならば、女帝には臣籍に降下した源の某という人を皇夫に迎えることになるだろうが、女帝とその皇夫との間に皇子があれば、皇太子として位を継ぐことになり、その皇太子は源姓になり姓を易(かえ)ることになる
(2)欧州にも女子が王位につくことを認めていない国がある
(3)起草者は将来「万一ニモ皇胤絶ユルコトアル時ノ為ニ」女系継承規定を掲載したのであろうが、「将来ノ皇胤ヲ繁栄ナラシムル」方法は女帝以外にも種々ある

こうして明治19(1886)年の「帝室典則」草案では、女系・女子の継承に関係する条文全てが削除され、男系男子のみによる継承規定となりました。しかもこの「帝室典則」は結局、廃案となり、明治20(1887)年以降、内閣総理大臣兼宮内大臣伊藤博文の命により柳原前光(賞勳局総裁)と井上毅による皇室典範案の起草作業が本格化し、枢密院の審査を経て明治22(1889)年に成立しました。

その過程のいずれの案にも女子・女系継承が規定されることはなく、女子・女系継承について議論されることもなかったと山田さんは説明しています。

山田さんは明治において女系継承が否認されたのは、「欧州諸国のように女子が継承し、その女系の子が位につくと姓が変わるという理由で女系・女子の継承資格を否認し、男系男子による皇位継承制度が確立した」というのですが、単に「姓が変わる」というより「王朝が変更される」すなわち「万世一系」の原則が崩れるということでしょう。皇室には「姓」はありません。たとえばイギリスのように、王族同士の婚姻を前提とし、女王即位の次の代は王朝が父方に変更されるというわけにはいかないのです。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる(「神社新報」平成18年12月18日号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18〉

結局のところ、山田さんの論考では、なぜ男系継承が続いてきたのか、理解できません。男系主義の本質に迫らなければ、歴史の外面を撫でまわすことに終始することになります。それどころか、古代には女系継承が認められていて、男系男子主義は近代の創作であるかのような皇位継承論は、このきわめて重要な時期に、国会審議に計り知れない無用の混乱をもたらすものとなるでしょう。

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