見出し画像

『到達不能極』に到達するまでのお話②

江戸川乱歩賞に初めて応募した第60回では2次通過したものの、その後は2年連続で1次通過どまり。今度こそという望みと、まあダメだろうなあという諦めのあいだで揺れながら第63回に投稿した後の、2017年2月下旬。
万が一受賞するにせよ、また来年挑戦するにせよ、そろそろ次の作品の構想に取りかかる必要があるというのに、僕はうまいアイデアをなかなか思いつけずにいました。(※1)
それよりも、自分ももう40代半ばだし、投稿もそろそろ潮時かもな、なんてネガティブな考えが頭をよぎったりして。
そんな中でも、会社の仕事は続けなくてはなりません。当時、僕の勤務地は渋谷区内でしたが、その日は八王子へ久しぶりの出張でした。
ちなみに出張の仕事は一日もかからないもので、しかも日程に融通がきいたため、今だから言うけどサッカーのナイトゲームを観に行けるよう、その日に設定したのです。(※2)

じつに具合のいいことに、八王子での仕事はお昼には終わってしまいました。僕がたくらんだのは、午後半休を取り、早々に川崎のスタジアムへ向かうこと。
ーーでも夜の試合までだいぶ時間があるな、どこかに寄り道しようか。
思いついたのは、立川にある国立極地研究所でした。そこにある「南極・北極科学館」という施設に、一度行ってみたいと前から思っていたのです。立川なら、ちょうど八王子から川崎へ向かう途中、おあつらえ向きです。
かくして僕は立川で途中下車し、午後半休の解放感にひたりつつ、その科学館へ向かったのでした。

博物館は、けっこう好きです。
ワクワクしながら南極の展示を見ているうちに、僕はあることを思い出しました。
遠い昔、中学生の頃。学校の図書室で借りた、一冊の文庫本。
それは、小松左京『復活の日』でした。
昨今のコロナ禍で予言の書のようにも取り上げられましたが、ウイルスで滅びゆく世界と、南極の基地に残された人々を描く壮大なSFです。僕はその話に夢中になり、何度も借りては読んだものでした。
そしてその時、いつか南極に行ってみたいなあ、なんて考えていた、当時の記憶がふいによみがえってきたのです。
ーー結局行くことはできなかったけど、書くことならできるかも。
雪上車を見学しているうちに、具体的な場面がモヤモヤと頭に浮かんできます。(※3)
吹雪の氷原を行く雪上車。その向こうに見え隠れする、何かすごい秘密。それは実は……。
あ、コレいけるんじゃないか?

その日、サッカーの試合があったこと。そのために出張を調整したこと。仕事が早く終わって、寄り道したこと。それらの条件が重なった末、最後に『復活の日』を思い出したこと。
言ってみれば、中学校の図書室で僕は30年後への伏線を仕込んでいたのかもしれません。
とにかくこうして、僕は次の乱歩賞投稿作品に取りかかることができたのでした。
なお急いで家に帰り無我夢中で書き始めた……なんてことはなくて、しっかりサッカーは観に行ったんですけど。(※4)

その後、集めた南極の資料の中に、僕はとある地点の名を見つけます。名前も、そこにまつわるエピソードも、ひどく魅力的に思える場所でした。
そしてプロットを立てて書き始めた4月には、ちょっと忙しい部署へ異動になりました。既に応募していた第63回乱歩賞は、例年と同じ1次通過どまりという結果に終わっています。
それでも、少なくとも今年はこの南極ものを書いて送ろうと、僕は心に決めていました。
潮時かどうかは、また来年決めればいい。
初稿が仕上がったのは、予定より遅れてその年の末。そこから1月末の〆切りまでに、大急ぎで改稿と推敲をしなければなりません。
ただ、タイトルだけはもう決めていました。資料にあった、あの地点の名前です。
『到達不能極』。

(またつづく)


※1 毎年乱歩賞に応募していた頃のサイクルは、1月末に投稿した後すぐに次の作品の構想を練りはじめ、春のうちに資料集めとプロット作成、夏~秋にかけて執筆、年末年始までに何度か改稿、応募直前の1月は推敲にあてる、というものでした。

※2 僕は2002年以来の、川崎フロンターレのサポーターなのです。ホームゲームはほぼ皆勤。

※3 トップ画像は、実際にその時に撮影したKD60型雪上車(KD604)です。『到達不能極』の作中に登場するものとは別。

※4 結果は引き分けでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?