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『到達不能極』に到達するまでのお話③

そうして2018年1月末、僕は南極を舞台にした冒険ミステリー『到達不能極』を第64回江戸川乱歩賞に投じました。
それまでの多くの投稿と同じように、会社へ行きがけにレターパックをポストに入れた記憶があります。
〆切りギリギリに郵便局の時間外窓口へ駆け込んだら、封筒の「応募原稿在中」の文字を見た係の方が、その日の消印を押したところを見せて「はい、たしかにお預かりしました」なんて微笑んでくれたことも昔あったのだけど、そういうちょっといい感じのエピソードはこの時はなかったと思います。

投稿後は、また次の作品の構想に入りました。これで最後にする、なんて考えたこともあったのだけど、結局は諦めきれていなかったわけです。
2月、3月と会社の仕事は忙しく、その合間にプロットを練る日々が続きました。
やがて新年度を迎え、4月も後半にさしかかります。僕は、今年もダメかな、という気持ちになっていました。というのも、例年の乱歩賞は4月下旬に発売される「小説現代」5月号で1次・2次・3次予選通過作品がまとめて発表されるのですが、3次を通過した人、つまり最終選考に進む人には発表前に連絡が来るという情報をネットで見ていたからです。
いま連絡がないってことはそういうことなんだろうな、と半ば諦めつつ、「小説現代」の発売日に書店へ向かいました。せめて2次通過くらいしてたらいいな、とページをめくります。(※1)
おっ、『到達不能極 齋藤詠月』。あるじゃん。(※2)
2次通過を意味する太字で印刷されています。ようやく、4年前に到達した地点まで戻ってこられたわけです。
まあ、上出来と思うべきだよな……ん?
よくみると、この年は発表の仕方が例年と異なっていました。今回は、1次・2次通過作のみの発表で、3次通過作は来月号で発表とのこと。
……今年はスケジュールが違って、3次予選はまだおこなわれていないのかもしれない。ということは、まだチャンスはある? それとも3次はもう終わっていて、単に発表されていないだけ?
すべてがわかるまでの1ヵ月を悶々と過ごすことを覚悟した僕でしたが、意外に早く、次の展開は訪れました。

3次の選考会は4月26日に開かれるという情報をネットで見つけたのです。真偽は不明ですが、信じたいものを信じてしまうのが人情。その日は会社で、しょっちゅうトイレに立ってはスマホの着信を確認していました。
電話がかかってくるのを妄想しては、考えてもしょうがない、と否定することを繰り返します。
作品の出来を思い返してあれでは無理だと絶望したり、いや何かしら良いところがあったのだからこそ2次通過したのだ、と思い直したりもして。
でも結局その日、電話はかかってきませんでした。そもそも今日が選考会という情報は間違いだったのかもしれない、と思いつつ、でもそううまくは行かないよな、と諦めて眠りについた次の日。

ダメージを引きずりつつも出勤し、なんとか午前中の仕事をこなした僕は、二人の同僚と昼食に出ました。薄曇りの新宿西口、ランチに繰り出したサラリーマンの群れに溶け込み、同僚のおすすめという貝料理の店に入ります。(※3)
美味しいカキフライ定食にモヤモヤが少しだけ薄らいで会社に戻ったところで、ふとスマホを見ると、登録されていない電話番号から着信履歴がありました。留守電も入っています。
落ち着け、期待しすぎてもがっかりするだけだからな、と自らを牽制しつつ、留守電を聞く前に自席のパソコンでかかってきた番号を検索しました。
ーー講談社。
検索結果に息を呑んだ僕は、なるべく動揺をみせないようにして、そっとオフィスを抜け出しました。昼休み中で人が少なかったからよかったけど、会社の秘密を持ち出すヤバい社員みたいだったかもしれません。
人通りの少ない、業務用エレベーターの近くで、壁に向かって留守電を聞きます。
録音されていたのは、『講談社の○○です。江戸川乱歩賞についてです』という、短いひと言。
僕は急いでかけ直しました。まだ昼休み中かな、と思って切ろうとしたところで、コールはつながりました。
最終に残りました、と言われた後の会話は、正直よく覚えていません。二重投稿がないことと、今後のスケジュールや提出書類などの確認だったと思います。
とにかく僕は、ついに最終選考に進むことができたのです。(※4)

(まだつづく)


※1 立ち読みで済ませず、ちゃんと買いましたよ。

※2 お話①でも書きましたが、当時のペンネームは「齋藤詠月」でした。

※3 お話②の頃の勤務地は渋谷区内でしたが、異動して新宿へ通うようになっていました。

※4 その後、カキフライを食べたらよい知らせが来るのでは、なんて思うようになってしまいました。今のところそんなことはありません。


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