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"What Mary Didn't Know"

メアリーは聡明な科学者であるが、何らかの事情により白黒の部屋から白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査させられている。彼女の専門は視覚に関する神経生理学である。彼女は我々が熟したトマトや空を見るときに生じる物理過程に関して得られる全ての物理情報をテニしており、また「赤い」や「青い」という言葉の使い方も知っている、などメアリーは視覚に関する物理的事実を全て知っている。
 例えば、空からの特定の波長の光の集合が網膜を刺激することを知っており、またそれによって神経中枢を通じて声帯が縮小し、肺から空気が押し出されることで「空は青い」という文が発声されるということを既に知っているのである。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろうか。彼女は何かを学ぶだろうか?

 これは思考実験のうちの一つだ。思考実験とは頭の中で想像するだけの実験である。頭の中で考えるに収まるものであるから、専門的な知識も装置も必要ない。設問としてもどんなに残酷で、極限的で奇天烈なものでも許される。ただ必要なのは、凝り固まった常識に一発くらわせられる自由な発想と想像力だけである。

 上記の問いは「メアリーの部屋」と呼ばれる思考実験の一つである。私個人の考えとしては、彼女は新しい事を学ぶだろうと考える。それは何かと言えば、知識としての赤色ではなく経験として、実際メアリー自身の目で見た赤色を学ぶのだ。実際にこの目で赤を見る前まではきっとメアリーの認識であれば「波長700mの光は赤だ」という認識だ。しかし実際に赤色を見た事で今自分が見ている色の波長は700mであり『赤』という人間が付けた名前がある。という経験に基づく確認も取ることができる。

 私が述べた「赤色を実際に見た”経験”」はクオリアというらしい。日本語でいう感覚質である。このメアリーの部屋を提示したフランク・ジャクソンによれば、その新しく学ぶだろうことこそが、赤く見えるという事のクオリアであるとされている。そうであれば赤色の知識だけであったメアリーと赤色を実際目にしたメアリーとの間には新たに学んだ、学んでいないという点で差異があるのだから、クオリアという質は存在するという事を認めなくてはならない。

 次に、メアリーが何か新しい事を学ぶとしたら、物理主義は誤っている事になる。という論法に発展する。それに対しての反駁もあり、中にはそもそも、脳形成の初期段階に置いて色覚を体験していなければこれは何色だ、という色覚を処理する神経回路が形成さないので、ずっと白黒の部屋で暮らしてきたメアリーには白黒以外の色を判別する力は無いと主張する意見もある。

 この問題に対する明確な答えは無い。様々な意見が存在し、それに対する反駁もあるし、根本的な問題としてメアリーの持っている知識とは一体どういうものなのかという点がこの思考実験における議論の焦点の一つになっていたりもする。

 こういった思考実験は数多く存在している。そのどれもが答えという答えが存在しておらず、自らの思考の中で自分なりの答えを見出すものだ。ただなんとなくといった理由ではなく、そこに明確な論拠も必要とされてくるので、論理的思考能力をのばす為にもちょっと時間があったときにでも考えて見ては如何だろうか。