2021年06月24日 新型コロナごときに対応力を試されている。

僕の会社では6月に入り、新型コロナの影響により3回目の時短営業となっている。

16時終業でいつもよりも定時が1時間半早い。

時短により日によっては子どもよりも早く帰れたり、共働きのカミさんよりは確実に早く帰れるので夕飯を作ったりできる。

たったの1時間半だけどいつもより早く帰れることでできる事が相当増えた感じだ。

プライベートでは心の余裕が増加したように思えるので、明るいうちに帰宅できるのは精神衛生上よいなあと僕個人は嬉しい気持ちもある。

飲食業界や旅行関連、イベント、エンターテイメント関連の方々は僕の状況とは全く逆で、売り上げが減っているのにも関わらず行政の要請にきちんと応えているために、営業時間を短くして苦しい経営を続けていることと思う。

そんな仕事を失うか否か、毎日必死、崖っぷち、命がけという状況の方々から言わせればふざけんなって言われそうな、現在の僕のことをこれからしゃべろうと思います。

勤務時間が短くなった事自体は素直に嬉しいのだが、仕事量は減っていなくて、むしろ若干増えているので無茶苦茶忙しくなった。
時間を圧縮していつもと同じ量の仕事をすることは正直相当大変なのだなと改めて理解する。

僕の担当にはパートさんがおり、僕と彼を合わせて1週間で延べ12時間分の労働力を補わないと仕事が回らない計算になる。

上司もそこらへんのことは理解しており、組織として他の人にも手伝うよう指示してくれており、幸いにも、どうにか何とかなっている。

しかしながらヘルプする人が3人いるのだが、この3人がそれぞれヘルプの仕事量が異なり、またヘルプに関してのスタイル、意識、思考が異なりバランスがとても悪い。この3人のうちの1人にヘルプが集中しているのだ。この人をAさんとする。

「俺はこんなに手伝っているのに、あいらつは全然やらねえ」

とAさんは憤る。

僕は何とも言いようがなく、会社全体としての仕事とは言え自分の担当の仕事をヘルプしてもらっている都合上偉そうには言えるはずもなく、

「ああそうだよねえ。ホントありがとう。後は俺やっとくからAさんは自分の仕事やってよ。Aさんばっかり負担増えて申し訳ないよ」

とさすがに労わずにはいられない。

時短営業による副作用が表れている。

僕の担当の仕事量は変わらないので時短営業によって見かけ上忙しくなったが、それとは別に会社全体の仕事量は減っている。

このヘルプの3人に限っては仕事量が確実に減っているのだが、ヘルプというコロナ時短営業中に限って発生するオマケが、恐らくコロナ前の通常時に既にくすぶっていた小さな火に油を注ぎ勢いを増して燃えているのだ。

不満の種がすくすく育ち実になったってか。


あーいかんなこれ。気持ちが殺伐としている。



ん、まてよ?これはコロナの仕業か?あるいはシンプルに会社組織がしょうもないアホなだけなのか?

これはとても面白い現象だね。

環境が変わるとそれに人は合わせちゃう。今まで難なくこなしてきたことが環境が変わることで意識や意味付けを人は変えてしまう。無意識に。

それを適応能力と言うのかもしれないが、やっかいなのは自分と比較するものが近くにあると優越感、公平感、劣等感を必要以上に感じる。

今まで特に問題視していなかったことが、状況の変化により問題がより鮮明になり、あくまでも比較として不公平度が大きくなっただけで、自分の現在地は変わっていないのに周りの景色が変わったことで自分の立ち位置が変化したように見え、トラブル感、劣等感、あるいは優越感が生まれる。

こういうメカニズムでよろしいかな。

これらの無駄なトラブルや憤りを避けるには絶対値としての自分の立ち位置を把握しておかなければならない。

他人は全く関係ない。

あるいは絶対的価値観を自分の中で確立しておく。

新型コロナが原因で生まれたトラブルではなく、勝手に誤解してトラブルを生み出したと結論する。

僕の会社のしょうもない例に限ったことですがね。

でもこれは大いに教訓になった。人生の目的や価値観に対しての取り組み方や捉え方がいかにあるべきかという事にも通じる出来事であったよ。

時代とともに環境は変わる。世間の価値観も変わる。正義も変わる。

ある程度はその変化についていけないと生きていくことが難しくなるかもしれない。

でも本質的なところで自分は自分であり、他人に一切干渉されない。どんなことに価値を見出し、どんな時が幸せかを知っている。

他人と比較しないで自分を正確に理解していることが変化に対応する方法でもあるのだね。

変化にたいして拒否反応とか不公平感を表明することってある意味ウォーミングアップだな。未知の領域に触れたときにどうしたらよいかオロオロするんだけど、いっぱい拒否感体感することで体を慣らす作業なんだな。
周りの人と不平不満を言い合って共感し、そうだよね許せないよねと言いながらの新しい変化に慣れて日常化に成功する。

しばらくしてまた元に戻ろうとするとまた拒否反応を表現する(笑)。

そうかなるほど。生きている内は変化の連続なんだから素直に真正面から受け入れていたらダメージが大きい人もいるから、文句を言ってお茶を濁し、周りの人と共感共有することで耐えしのぐ方法もありだなと思う。

なるほどねえ。

たしかに!!人類は

侵略される→抵抗する→支配される→受け入れる→融合する

という歴史をたどっているのだからそういった反応は極々当たりまえ、自然なんだね。



バイなら。

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