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ロマンと正義  変化を否定するか、肯定するか。

ボクの地元船橋では毎年駅前の空地で夏祭りがありました。

その空き地は自転車の練習をしたり、よく遊んだりした場所でした。

今は病院になって昔の面影全くありませんが。

夏祭りは空地の真ん中に盆踊りのやぐらを組んで、屋台は結構な数が出店していました。50から60店くらいあったかな?

まあ小さな町の祭りにしては結構な賑わいのお祭りでした。

2~3日間やってた気がする。こどもは多かったよね~。

小学校5年生の頃だったかな?お祭りが始まる直前の夕方頃の時間帯にふらっと立ち寄りくじ引きの屋台に立ち寄りました。他の屋台も準備中です。

くじ引き屋台のおっさんに「1回引けますか?」とダメ元で聞いてみると、「いいよ」との返事。

当時は100円で1回引けました。くじは箸に番号を記入したもので1等から20等くらいまであったと思います。

100円を払ってくじを引きました。

なんと、1等を引き当てました!

1等の景品、は堂々と店の中心天井に掲げられているライフルモデルガンです!
目立つ、かっこいい!!ラッキーやったぜ!!

おっさんがライフルモデルガンをボクに持ってきてくれるのをワクワクしながら待ってました。
しかし...


「まだお祭り始まってないからこれね」


なんとおっさんは1等とは全然違う景品を寄こしたのでした...。

当時まだひ弱な10歳程度の男の子でしたので、おっさんの契約不履行が明らかなんだけど抗議もできず、おっさんの差し出す別のもの(なんだったか忘れちゃったよ)を受け取りました。

「屋台のど真ん中天井に堂々と掲げられたそのライフルモデルガンをボクが引き当てたのになぜ・・・。」

納得がいかないけど「おっさんが、まだお祭り始まってないからねって言うからそんなもんか」というモヤモヤした気分のまま家に帰りました。

帰宅して母親にいきさつを話すと「何それおかしいよ」と言うので「あ、やっぱりおっさんずるかったのね」と理解しました。


くじを引く前にちゃんと「お祭り始まってないから1等だけはまだ当てられないよ」と説明してあればもちろん納得です。おっさんもまさか1等を当てられるとは思っていなかったのでしょう。

そのおっさんはくそはくそだと思いますが、大人になって思い出すとちょっと微笑んでしまう昭和のロマンというかノスタルジックな出来事の一つだったなーって思います。


かなり有名なあるユーチューバーがお祭りのくじ引き屋台でくじを買い占めて1等どれだけで出るかという企画をやってましたが、結局1等が出ず、くじ引きの店主は「1等があるとは限らない」とわけわからない事を言ってまして、それに対しておかしいとまあ当然の反応をしていたわけです。ギャラリーも集まってきて「やれやれ!」とあおるあおる。

嘘をつくことはもちろんよくありませんし、ましてや商売ですからいちげんさんであっても信頼関係が大事です。ていうか屋台は殆どいちげんさんしかないね。

と、当たり前の事で絶対正しいと思うのですが、ふと思ったのはこのユーチューバーの企画によってくじ引き屋台のおっさんたちが嘘をつきづらくなったことで日本の屋台のうさん臭さがなくなってしまいました。それによりロマンがなくなりました。つまり魅力が一気に無くなっちゃいました。

日本のお祭り屋台って怪しさ満載です。

ボクはそう思っていて別に何が悪いとか全く批判する気持ちはありませんが、その怪しさがとても魅力的です。

くじ引きとかボール穴入れ景品系の屋台なんて最たるもの。

「ぜってー1等むりだろ!!」とわかっていてもやってしまう。

しらける言い方すれば景品法違反している(取引価額の20倍が景品類限度額、つまりくじ引き1回300円だとすれば6000円の景品が最高」)店が当たり前にあ
300円のくじで任天堂スイッチが1等だったり(笑)

そんなのわかっているんですよ。でもいいんです。それが日本のお祭りだから。

あんず飴とかチョコバナナとかよく考えたら原価に対して売価がめちゃくちゃ高い!!

でもそんな野暮な事言う人まあいませんよね、お祭りでは。

もちろん商売ですから、いくらに設定しようが自由です。

こどもに人気の型抜きの屋台がある。こどものころは真剣にやりましたが絶対成功しない(笑)。
これも「こども相手に渋いよね~」って大人になって思いますが、でもずっと存在し続けて欲しい。

なぜならこの怪しい、大人げない雰囲気というか日本独特のお祭りを盛り上げてくれている、魅力を構成している屋台だから絶対欠かせない。
もう絶滅寸前っぽいけどできるだけ続けてほしい。


ボクが経験した先の「1等はあげられないげおっさん」もお祭りの魅力を構成している大事な一人でした。


そう、ただの感情、思い、ロマン、ノスタルジックな感傷にすぎません。


全く非合理で正しいか正しくないかで言えば正しくないです。


このネット時代、全人類スマホ所持のすべてばれてしまう時代には変化が必然だし、それを受け入れないと生きていくには厳しいと直感的に思います。

これまでの社会常識や慣習も当然同じです。

「あの頃はよかったなあ」とか「俺はこのやり方で成長してきたからお前もそうしろ」とかロマンをいつまでも引きずる気持ちはよくわかりますが、もうそんなこと言ってられないんです。

正しい、悪いという構図ではなく、変化についていかないとヤバいってことだけはわかります。

ロマンにはすごくすごく後ろ髪ひかれますが...。

日本のお祭りに屋台がなくなる...あるいは売り方・売り物が変わってしまう...。

全然怪しくない健全なきれいなものしか残らないのがつまらない...。

という矛盾の結論で終わります。

バイなら。


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