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地頭方と平方領々家【上尾市】

早速ですが今回は、歴史の好きな方はもちろん、まったく興味のない方でも少しは気になっているであろう

上尾の

あの

信号機

地頭方と平方領々家

この2本の信号機について考えてみたいと思います

地頭という文字から荘園由来であることは分かりますが、埼玉県には荘園に関する史料がほとんど残されていないため、それ以上のことは想像する他ありません。つまり全編に渡り

妄想になってしまいますが

こねくり回さずシンプルに進めていきますので、どうぞ最後までお付き合い下さいませっ

地頭と言うと承久の乱の後に配置された新補地頭が思い浮かびますが、上尾の地頭は、それ以前より存在していたのではないかと考えました。根拠は

平方という地名です

地頭方が地頭の所領なのであれば、平方は

平家の所領

ええ、シンプルにいきますよw

いわゆる

平家没官領

というやつですね。平治の乱の後、埼玉県は平清盛の四男、平知盛の知行国となり、平家の思うままに中央の貴族や大寺院等に分配されました

平方にあった荘園も、平家の息はかかっているけれど荘園領主(荘園の名目的な持ち主、以後領家と呼びます)は別の方であったと思います

なぜかというと、荒川の対岸に河越荘と呼ばれる荘園があるのですが、ここが1160年、京都の新日吉神宮に寄進されているんですね

上尾も川越と同じような形であったと考えました

それでは、平方領は誰の荘園だったのか

平方の鎮守、橘神社

橘神社の由緒書きにはこうありました

社名はかつてこの辺りを橘の里と称していたことにちなむものである

答えが出ちゃいましたね

橘の里とは、いわゆる源平藤橘のひとつ

橘家の荘園であったことの証左

この件についてはこれ以上考えないことにします。シンプルに行くと言ったら行くんですw

平家が滅亡すると、すぐ翌年の1186年。先ほどの河越荘が領家である新日吉神宮に対し、なななんと

年貢対捍の意思を突きつけます!

ねんぐたいかん、と読みます。 対捍とは「逆らい拒む」という意味です。川越の言い分はきっとこんな感じだったのでしょう

新日吉社領といっても平家の所領みたいなもの。平家が滅んだ今、年貢を納める理由がどこにあんだ?

それを聞いた平方領

おい聞いたかよ、河越は年貢を納めねえつもりらしいぞ

マジかよ! じゃあうちも突っぱねるべ

けれどこうなれば

ちょっと待て。平家は滅んでも橘家は健在だ、年貢はちゃんと払え

当然こうなりますよね

実際、新日吉神宮も後白河院の院宣という強い形で「年貢払え」と言ってきています

領家である橘家は平方領の不法を問注所に訴え出ました

(YouTubeはここで脇道に逸れます)

問注所は領家の訴えを一部認め、未進分の支払いを平方領の地頭に命じますが、今年は不作だっただの、領家が横暴だの権威がないだの、あれやこれや文句ばかりで話がなかなか進みません

こうなると残る方法はただ一つ、領地の切り分けです

領家は土地の切り渡しを要求し、土地そのものも、土地から取れる作物も全て自分の管理下に置く

一円支配

を目指します

しかしこれも上手くいきません

この水路は譲れねえとか、そこには先祖の墓があるとか、土地がやせてて不公平だとか、地頭が難くせを付けてきます

もし話し合いで示談が出来た場合、それを

和与中分

と言います。しかし問注所には雲霞の如く控訴が持ち込まれます。その一つ一つを双方が納得するまで聞いてあげることなど、とてもではありませんが出来ません

話し合いで示談できなかった場合は

下地中分

地図そのものに線を引き領地を半分こにさせました

もちろん下地中分がいつも半分こだったとは限りません。領家の三分の二、三分の一などもあったでしょうし、荘園には預所や下司など様々な権利が入り組みます。そこまで考えているとキリがないので止めときますが

地図を見る限り、どうも半分こじゃなさそうですね

東側のラインは浅間川を境にしていますが、南側の直線には水路はおろか道の痕跡すら確認出来ません

下地中分、四分割!

こんな感じだったかと思うと笑っちゃいますよね

上尾市には平方領領家・地頭方だけでなく、中世を感じさせる地名が他にも数か所見られます

そのまま「いっちょうめ」と読みますが、実はコレ、一丁目、二丁目、三丁目のいっちょうめではありません

壱丁目は、いっちょうめん

一町の面積の土地の年貢を免除する、いわゆる免田であったことを意味しています

もし一丁目という意味なら、壱丁目1-1-1ってちょっとおかしいですよね

似たような地名は鴻巣市に三町免と八丁面。深谷市に上敷免、三郷市に番匠免などがあります

領家の別の言い方である本郷もちょこちょこ見かけますし、さいたま市になってしまいますが指扇領辻、指扇領の中の辻村という意味ですね、というのもかなりグッとくる地名ですよね

そして

中分

まさに下地中分のソレですね

領家・地頭という地名は、埼玉県内だけでなく全国のあちこちにあるのですが、中分という地名はなんと上尾にしかありません。この地名が残ったからこそ

鎌倉時代に起源があると思われる地名が集中している全国的にも珍しい例だ、とか

上尾の中分がそれで貴重な名前だ、などなど

上尾の平方エリアは、日本のどこよりも中世を感じることの出来る場所として、中世ファン、そして地名ファンのハートを掴んで離さないという訳なんですね。まさか私だけってことはないですよねw

最後に、平方領領家は

平方・りょーりょー家

と読んでしまうとなんだか楽しい気分になってしまうのですが

平方領・領家

点を打つところ間違えがちですよね

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