文庫君鉄オビあり

【81】君と夏が、鉄塔の上



 その集団は誰もが浴衣姿で、自転車の接近に気が付いたのか、一斉に振り返った。どの顔にも兎のお面がへばりついていて、僕は思わず息を呑む。

 取り囲まれ、道を塞がれてしまうかと思いきや、自転車の進む勢いが強かったおかげか、お面の男たちは気圧されるように左右へと分かれ、僕と椚彦を乗せた自転車はその間を一気に突き進んだ。

 お面の男たちの姿もまばらになってきたその中に、横並びに歩いている二人の人影が見えた。

 右側を歩いているのは浴衣姿の男。首筋に覗く白い肌が暗闇に浮かんでいる。

 その隣に、俯き加減に歩いている黒髪の少女の姿。

「帆月ッ!」

 僕は叫んだ。

「帆月いぃぃぃぃ!」

 自転車を漕ぎながら、何度も、何度も名前を呼ぶ。

 帆月が振り返った。

 これから向かう先に期待を抱いているのかと思いきや、気落ちしたように下げられた両眉がピクンと跳ね上がり、その目が大きく開かれた。

「……伊達……くん?」

 欄干の淡い光に照らされた帆月の薄桜色の唇が、ぽっかりと半月形に開けられる。

「帆月!」

 僕はもう夢中で自転車を漕いだ。

 力なく自らの体を抱いている彼女の立ち姿は、いかにも頼りなく、早く捕まえなければ今にもその先の暗闇へと消えてしまいそうだった。

 もうすぐ帆月の元へ辿り着く─と、そこで、急にペダルに重みが掛かる。

 何事かと後ろを振り返ると、先ほど追い抜いたはずのお面の男が自転車の荷台に手を掛けていて、強い力で引っ張っていた。

「うわあ!」

 自転車は急激に加速を失い、バランスを崩した僕と椚彦は橋の上へと放り出された。

 帆月はすぐそこにいる。

 僕は自転車を乗り捨て、椚彦を背負い直し、追い掛けてくるお面の男たちから逃げるように走り出した。

 帆月は一瞬だけこちらに歩み寄ろうとしたが、しかし途端に体を強張らせる。

 やはり向こう側へ行きたいのか。それとも、今更後には引けないと思っているのか。

 そんなこと、僕には関係がない。

 自分勝手であることは重々承知している。

 それでも─僕は帆月を連れて帰るんだ。

 帆月と共にいられる時間は、ほんの僅かなのかも知れない。それでも僕は帆月と一緒にいたいのだ。

 僕は走った。ただひたすらに足を前へ出した。

 けれど、どうにも上手く走れない。いきなり両脚が震え出し、膝がガクガクと揺れる。

 あまりに酷使し過ぎたためか、それとも空を飛んだ恐怖心や帆月に出会えた安堵感に今更ながら襲われたためか、足を前に繰り出そうとすればするほど空回り、もつれ、前のめりに転んでしまう。

「痛っ」僕は悲鳴を上げた。背中で馬乗りになっている椚彦がケタケタと笑っている。

 目の前には帆月の細い足があり、顔を上げると、きょとんとした帆月と目が合った。

 追いかけて来ていた男たちは、僕と帆月の周りをぐるりと取り囲んでいく。

 けれど、飛び掛かってくるようなことはなく、誰もが何かを嫌がるように、少し前に出ては戻る、といった仕草を繰り返していた。

 周囲をうかがいながら、僕は立ち上がり、ようやく帆月と対面する。

「……どうやってここに来たの?」

 帆月が小さな声で言った。

「あれ」と僕は背後に倒れている自転車を指差す。

 流麗なフォルムを保っていた帆月の自転車は今や見る影もなく、荒川に自らを放り投げていった物たちと区別が付かない程に草臥れてしまっている。

「ごめん、壊しちゃった」

「あの自転車……」

「うん、飛んできた」

「本当に?」

「うん。飛べたよ。ちゃんと飛んだ」

 すると帆月は「そっか……」と感慨深げに呟いた。



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