文庫君鉄オビあり

【78】君と夏が、鉄塔の上



 ヤナハラミツルが持っていた鍵を使い、工事用のエレベーターで屋上に上がった。

 屋上には手すりがなく、予想以上に強い風が吹いていて、気を抜くと飛ばされてしまいそうだ。

「すごい風だあ!」ヤナハラミツルが叫んだ。

「楽しそうだな」比奈山は呆れている。「お前、こいつが今からやろうとしてることに対して、何も思わないのか?」


「人力飛行機で空を飛ぶんでしょ。川方向なら追い風だし、きっと結構飛ぶよ」

 ヤナハラミツルは、危機感が欠如しているというか、むしろ楽しんでしまう人種らしい。この状況だとそれはむしろ心強かった。

「鳥居は? あるのか?」

 比奈山が問う。僕は腰を屈めて屋上を歩き、端から身を乗り出した。

 送電線の真ん中あたりに、確かに鳥居は存在していた。このマンションの横に立っている京北線88号鉄塔からその鳥居までの間にも、ぼんやりとした道がまだ残されている。

 僕が頷くと、「まだ、閉じたわけじゃないんだな」と比奈山も小さく、何度も頷いた。

 屋上から鳥居までは、およそ二百メートルほど離れているけれど、そこまで飛ぶ必要はない。横を走る送電線の道の上に乗ればいいだけだ。

 それに、送電線は中央に行くにつれてたわんでいるため、最終的な高さはマンションの半分くらいしかない。

 飛べば、たどり着けるはずだ。飛びさえすれば。

「急いで組み立てよう」

「よし、分かった」

 比奈山が、今度は大きく頷き、僕らは自転車を組み立て始めた。簡易的な作りになっており、僕らでも簡単に組み立てることが出来そうだ。

 初めは訝しんでいたヤナハラミツルだったけれど、こういった工作が得意らしく、嬉々として手伝ってくれた。

 エレベーターホールから持ってきた鉄板を屋上の端の出っ張りに並べ、車輪がスムーズに乗りあがるように設置する。

 その時、チラと階下が視界に入ってしまった。さっき僕らが入ってきた、敷地を囲う背の高いフェンスが、まるでミニチュアみたいに小さい。

 学校の屋上から落っこちた帆月は、打撲や骨折で済んだけれど、ここから落下したならば怪我どころじゃ済まないだろう。

 風が吹いたわけでもないのに、地表へと吸い込まれそうになり、僕は思わず後ずさった。しっかりと屋上に足が着いていることを確かめつつ、大きく息を吸い込む。

「本気なんだな?」比奈山が僕を睨む。

「他に思いつかないし」

「飛んだことないんだろ、これ」

 比奈山が自転車のサドルを、ばし、と叩いた。

「でも、帆月は飛ぶって言ってたから」

 僕がそう言うと、比奈山は「はあ」と溜息を吐く。

「お前、よっぽど好きなんだな」

「えっ?」

「いや、まあ、何とかしたいのは俺も同じだけど」

 羽の生えた自転車を屋上の端に移動させて、僕はサドルに跨った。サドルはふかふかで座り心地がよく、僕の言葉でお腹を抱えていた帆月の顔が浮かぶ。

 椚彦は僕の背中で、これから何が起こるのかと楽しそうにしていた。

「本当に飛ぶのか? 俺が替わってもいい」

 比奈山が真剣な顔で聞いてくる。

「飛ぶよ。僕が飛ぶ」

 僕はそう言って、ペダルに足を掛けた。ずいぶんとカタカタ鳴るペダルだな、と思ったけれど、それを鳴らしていたのは僕の足で、膝が小刻みに震えているからだった。

「大丈夫か」

 後ろからそう声を掛けられたけれど、恐怖を堪えることに必死で返事が出来ない。もし駄目だったら─という不安が、心の中であっという間に膨らんで、僕の目や口や鼻から今にも溢れそうだった。

「やっぱり、やめた方がいいんじゃない?」

「黙ってろ。そうすれば、あとであの時の真相を教えてやる」

 比奈山とヤナハラミツルは、そんなやり取りをしている。

 僕はギュッと目を瞑った。大きく深呼吸をする。

 ふと、祭りの日に帆月が言った言葉を思い出した。

 ─大丈夫。伊達くんが取り残されても、私が助けてあげるから。

 帆月の満面の笑みが浮かぶ。

 大丈夫だ。僕が連れ戻してやる。




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