文庫君鉄オビあり

【69】君と夏が、鉄塔の上



「うわっ!」

 僕はつんのめるような形で帆月の背中にぶつかってしまい、バランスを崩しそうになり、慌てて彼女の背中に抱きつく。

 帆月もまた背中越しに僕の体を掴み、片手同士を握ったまま、お互い支え合うようにして体勢を保った。

 94号鉄塔の頭頂部は水平であり、幅も三メートルはあるので、慎重に動けば三人乗れるスペースは充分にあるのだけれど、いきなり瞬間移動したかのような現象に僕の意識が付いていかない。

 それでもどうにか体勢を落ち着かせ、僕と帆月は静かに首を動かしてあたりを見回した。

 夕日に照らされてオレンジ色に染まる空と雲、その下には小さな街並みが広がっている。

 僕の足元には、鉄塔の頭頂部と、いつも僕らが集まっている公園がある。

 鳥居を潜ったのに、どうして鉄塔の天辺にいるのか─そんな疑問よりも、高さからくる恐怖の方が勝り、僕はただ帆月にしがみ付くように立っていた。

 椚彦は怖さなど微塵も感じていないようで、とことこと鉄骨を歩き、頭頂部の一番端にちょこんと座った。帆月と僕は足をゆっくりと動かして体を反転させ、椚彦に倣って頭頂部に腰を下ろす。

 公園側から僕、帆月、椚彦の順番で鉄塔の天辺に座っている。腰を落ち着けると、少しだけ余裕が出てくる。目の前に95号鉄塔があり、そこから送電線がずっと直線に繋がっている様は圧巻だった。

「すごいね」と帆月が溜息を吐く。僕は「うん」と頷いた。

 地上約五十メートルの高さから眺める街の夕暮れは確かに綺麗で、この角度から眺める鉄塔群も格別だった。台風はもうまもなく僕らの街へと到達するはずだけれど、ばら撒かれたような雲がそこかしこに浮かんでいて、本日も快晴だ。

 これは夢なのか、現実なのか。まったく判然としない状況で、ただただ幻想的な景色だけが目の前にある。

「鉄塔に登ったら駄目って、昨日言われたばかりなのに」

 帆月はくすくすと笑った。僕も「本当だ」と苦笑いを浮かべてしまう。

 僕らの真下には154キロボルトの送電線が前後に伸びていて、連なる碍子連からはジジジと放電する音が聞こえ、はたしてここに座っていて大丈夫なのかと不安が過る。

 鉄塔のそばをバイクが走り、荒川土手を老人が散歩し、マンションのベランダでは主婦が洗濯物を干しているけれど、鉄塔なんて誰もちゃんと見ることがないのか、そもそも僕らの姿が見えていないのか、こちらの存在に気が付く人はいないようだった。

「ねえ、椚彦。あなたは何を見てるの?」帆月が椚彦に尋ねる。

 椚彦はそれでも黙って水羊羹を頬張っていた。話は聞けど、答える気はないのか─と思っていると、椚彦がスッと前方を指差す。

 帆月が合わせて前を向いた。僕もその指の先に目を向ける。

「伊達くん、あれ─」帆月が呟く。

 遠くに見える、紅白に塗られた京北線102号鉄塔のさらに向こう側に、小さな黒い点がぽつんと見えた。

「あれ……何だろう?」

 帆月はおでこに手をかざし、目を凝らしている。

 黒い点は少しずつこちらに近付いているようだ。送電線の上を渡るようにして、ゆっくりとこちらに近付いて来る。

 やがて、96号鉄塔と95号鉄塔との間、高速道路の高架を越えるあたりで、ようやくその黒い点の輪郭がはっきりと見えた。

「人だ」

 帆月が呟く。

 確かに、それは人だった。

 送電線の上を、一人の人間が歩いている。

 紺色の浴衣。安っぽい兎のお面。

「あれ、この間見た─」

 帆月が問う。僕は頷き返す。

 確かに、つきのみやにいたお面の男と同じ格好だ。

 送電線を歩いてくるお面の男はゆったりと懐手をしていて、その辺の砂利道でも散歩しているかのようだった。そして男の後ろには、大きな黒い塊が付き従うように付いて来ている。

「あれ……雲?」

 帆月が首を捻る。確かに、禍々しい天気の雲にも見えるけれど、それにしてはずいぶんと低い位置を漂っている。送電線の上を舐めるように漂う雲なんて、あるだろうか。

「台風、じゃないよね」

 黒い塊は102号鉄塔の頭に差し掛かると、鉄塔の頭を飲み込み、送電線の弛みに沿って僅かに浮き沈みしながら、さらにこちらへと向かって来る。




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