文庫君鉄オビあり

【68】君と夏が、鉄塔の上



 どこへ向かうのかと尋ねると、「こっちこっち」と手招きをする。

 彼女の後に付いて向かった先は、公園の側にある椚彦の社だった。

 帆月は赤く塗られた社の前、二匹の狐の間に水羊羹を置く。

「お供え?」

「うん。スプーンある?」

 僕は持ってきたプラスチックのスプーンを二本、帆月に渡した。その一本を供えた羊羹の上に乗せ、それから自分の水羊羹の蓋を開封する。

「ここで食べるの?」

「見せ付けてやるのよ」

 帆月は悪戯っ子っぽく微笑むと、スプーンで一口、水羊羹を頬張った。

「ちょっと温いね」

 けれど、美味しそうに水羊羹を口に運ぶ彼女を見ながら、僕も蓋を剥がし、それから口に放り込む。

 確かに羊羹は温かった。何かしら保冷する手立てを取っておくべきだったと後悔する。

「水羊羹って夏のイメージがあるけど、冬に食べるところもあるんだって。元はお節料理だったらしいから、冬のお菓子だったのかな?」

 帆月はそんな豆情報を話しながら、ひょいひょいと水羊羹を口に運んでいく。その問いに答えることも出来ないので、僕はふんふんと頷くしかない。

「お節料理と言えばさ─」

 今度はまた別の雑学を口にしようとした彼女が、そこで不意に言葉を止めた。

 彼女は口を大きく開けたまま、スプーンを水羊羹の容器に置くと、視線を一点に集中しながら、片方の手で探るように僕の手を掴んだ。急に手を握られビックリしてしまい、あやうく水羊羹を落っことしそうになる。

「ち、ちょっと、何」

 ドキドキしながらも、文句を言おうと帆月を睨んだその時─、

 僕と、彼女の目の前に、小さな影が現れた。

 鉄塔の子供が、僕らのすぐ近くに立っていたのだ。

 その子は、帆月が供えた水羊羹を手に持ち、興味津々とばかりにそれを見つめている。真ん丸の大きな瞳と、ちょこんと生えた眉、小さくすぼんだ唇は確かに子供らしさがあるのだけれど、彼がこの世ならざる存在だと知っているからか、真っ白な肌からはほとんど生気が感じられない。

 僕らは一言も声を発せなかった。臆病な動物を見つけた時のように、ただ静かにその動向を見守っていた。

 その子供は僕らの方をチラと見ると、水羊羹の容器をくるくるとひっくり返し、やがてゆっくりと蓋を開けた。それから、不器用に持ったスプーンで羊羹を掬うと、一口、頬張る。

 美味しいのか美味しくないのか、彼は無表情のまま黙々と水羊羹を食べ続けた。

「……椚彦?」帆月が呟くように言った。

 鉄塔の子供─椚彦は水羊羹を食べながら、こくんと頷く。

 帆月はゴクリと唾を飲み、それから意を決したように「ねえ!」と口を開く。

「椚彦は何なの? 神様なの? 何をしてるの?」

 帆月が物すごい早口で質問をぶつけた。しかし、椚彦はそれらに一切答えず、代わりにスッと彼女の眼前に手を差し出す。

 帆月は水羊羹の容器を地面に置くと、吸い込まれるようにその手を握った。僕も彼女に倣い、慌てて水羊羹を地面に置く。そして、椚彦が帆月の手を引き、僕は帆月に手を引かれ、背の低い鳥居を潜った。

 鳥居を潜り抜けた途端、パッと視界が開ける。

「えっ?」

 僕らの目の前にあったのは、茶色のマンションの屋上と、その向こうにある広大な荒川の土手─。

 鳥居を潜り抜けた先は、京北線94号鉄塔の天辺だった。



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