文庫君鉄オビあり

【71】君と夏が、鉄塔の上



「もし落っこちそうになったら支えてね」

 帆月は念を押した。僕はとにかく大きく頷き、自分の手に力を入れる。

 彼女はそれでも少しのためらいを見せたが、やがて意を決するように足を下げると、送電線の間、光る道にその足を着けた。そのまま落下するでもなく、跳ね上がるでもなく、帆月の体はしっかりと空中に立っている。

「行けそう」

 送電線の間にぼんやりと浮かぶ道の上に両足を乗せ、帆月は僕を引っ張る。

 僕は及び腰になりながらもよろよろと鉄塔を降り、送電線の間に出来た道にそっと足を着けた。足場は予想以上に固く、両足を付けても問題なさそうだ。

「大丈夫……そうだね。よし、行こう」

 帆月は僕の手を引き、送電線の間を早足で歩き出す。

 足元を見ると、公園にやって来る比奈山の姿があった。比奈山は公園の入り口にある僕らの自転車を見て、園内をしきりに見渡している。

「比奈山だ。比奈山!」

「本当だ。比奈山くん!」

 僕と帆月は声を張り上げたけれど、どうやら比奈山には届かないようだ。

 よく見れば比奈山の髪の毛は強い風に煽られていて、周りにある木々も枝を擦り合わせてざわめいている。

 台風がそこまで近付いているのだ。けれど、送電線は少しも揺れることはなく、僕自身もまったく風を感じなかった。

「聞こえないみたい」

 帆月はその後も何度か叫んだけれど、比奈山は気付くことなくベンチに腰掛けて腕組みをしている。

「とにかく、行こう。比奈山くんには後で説明すればいいよ」

 見れば、お面の男は大分先に進んでいて、背の高い93号鉄塔に差し掛かっていた。

 帆月が僕の手を引っぱる。後ろからは94号鉄塔に迫る大きな冷蔵庫の姿があった。その背後には古ぼけたビルや家などの姿もある。送電線の上を歩けるような大きさではないはずだけれど、しかし確かにそれらは送電線の上にあり、静々とこちらに向かって来ていた。

 僕は帆月に従って、兎のお面の男を追った。

 なんだか、不思議の国のアリスみたいだ。現実感が失われて、どこか浮き足立っている気がする。


 93号鉄塔へ向かう道は、ゆるやかな上り坂だったけれど、距離が二百五十メートルくらい離れている。僕は帆月に牽引され、ひいひいと息を切らせながら坂を駆け登る。眼下には古い三角帽子の鉄塔が夕暮れの中ぽつんと立っていて、長く細い影を伸ばしていた。

 ようやく坂を登りきり、真新しい93号鉄塔の頭頂部を、帆月の手を借りながら乗り越え、やっとのことでお面の男に追いついた。

 振り返ると、物の列は次々に94号鉄塔を越え始めている。椚彦が座る頭頂部をぴょんと飛び越し、何事もなかったかのように歩き出す。

「これから何が起こるの?」

 帆月は軽く息を切らせながら男に尋ねる。

 男は歩を進めながらチラと僕らを一瞥し、再び前を向いた。

「あの、後から歩いて来るのは何なの?」

 帆月が矢継ぎ早に質問を投げ掛ける。

 お面の男は一言も発しなかったけれど、ふと立ち止まり、振り返ると、僕らの後方からやって来る物たちを指差し、それから、その指先を前方を流れている川へ向けた。そしてその白い手で、ゆっくりと川下の方を指し示す。

「川に向かってるの……?」

 帆月が問う。男は答えず、再び歩き出した。



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