何かを「やろう」としないって、楽!
私たちは思っている以上に
「何かをやろう」「何かになろう」としている。
ただ、感じる
このシンプルなことすらも頭で複雑にこねくり回して
むしろ反射的に癖のように今ここに対面することから逃げ出してしまう。
だって
もっと〇〇したら、満たされるはずだ
それが当たり前だと刷り込んでいるのだから。
でも本当はその逆で。
究極まで「何かをしようとしない」「どこかに行かなくてもいい」
感覚レベルでそうなった時にまさに「自然体」を実感する。
楽なんだ。
気が抜けたほにょーって感じとは違う、楽。
ここにいるということを実感していて
目の前にいる人と対面していて、だけど、確かにここにくつろいでいる。
勝手に深まっていく。
あぁ。この感覚が欲しかったんだよなぁ。
「一致感」「深く感じる」
こういった言葉を聞くと今とは違う何かものすごい感覚がやってくるはずだと、ついつい自分から追っかけたくなるけれど
たぶん、自分が思っている何十倍も「え、こんなに何もしなくていいの」という感覚でいるときほど
自然にそれらの感覚が元々あったことを思い出す。
今ここにくつろぐ感覚を思い出して
くつろぎながら、ただここに対面して、ただやるだけ。
「やろう」とすること と ただやる の違い。
そうなった時に、なるところになり、出会うべきものに出会う。
自分が自然になったときに、自然な流れになるんだろうな。
もちろん「自然体」になろうとする必要もない(笑)
思えば理想の家に出会えた流れもまさにそんな感じでした。
そんな風に感じた今週は濃いひととき。
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