創作に熱中できるかどうかは原体験の有る無しの問題

こんにちは、さいです。

同人というものが一般的に認知され始め、趣味で創作をする人が増えてきたように思います。そのためか、Twitter でも創作者論みたいな論を結構聞くようになりました。

その中でも、「作品作りの動機づけができない」「作業のやる気が出ない」「ついついスマホに手が伸びる」といった悩みをよく聞くように思います。

これらは「才能があれば克服できる」「才能があればそもそもそうならない」みたいな才能の話に帰結することが多くて、それはまったく深掘りにならないというか誰のためにもならない論だなーって思ってます。才能って便利なワードで「原因は才能です!」って言われたら、「ああー才能かーじゃあ才能足りないから仕方ないなー」ってなっちゃうので。

本記事では、才能とか天才とかそういう先天的なことを抜きにして、創作におけるやる気や動機付けをちょっと書こうかなと思います。

想定読者

創作しているけど、いまいち継続できない・頑張りきれてない人

創作のやる気や動機付けに課題を感じている人


結論

先に本記事で述べたい結論について書きます。

1. 創作は大変だしやらなくていいことなので、やらなくなりがち
2. 人が物事に熱量高く打ち込めるのは、原体験が要因である場合が多い
3. 強烈な原体験は人をまるで執着に近い行動をさせる
4. 強烈な原体験は失敗体験から得られるので、失敗を獲得しにいこう

強い動機付けの根底には原体験がある

「上達の方法はわかっているが、継続的なアクションが起こせない」「作品作りの動機づけができない」「作業のやる気が出ない」これらの課題の原因は、動機付けおよびモチベーションをどう上げるかの話に帰結すると思います。

動機付けのための細かいハックは結構語られてきた感がありまして、SNSを辞めるだとか、まず簡単な作業から取り掛かるだとか、あるわけです。ただこれらはあくまで細かいハックなので、これらハックをどう頑張っても、1日20時間ずっと創作作業に取り組むことを数年渡って継続するだとか、人生のあらゆるライフステージや、人として当たり前の幸福すら創作のために犠牲にするとか、そういう濃い動機づけにはつながらないわけです。

そうした濃い動機付けには、原体験が必要になってきます。

そもそも創作というのは、薄い動機づけとか、娯楽として取り組むことは難しかったりします。なぜなら人は創作しなくても生きていけるし、楽しく幸福に生きられるからです。世の中には楽しいことがたくさんあって、映画は面白いしゲームは面白いし、何もせずダラダラするのも楽です。一方創作は、一日に何時間も机に向かってなにかを書いたり描いたり、パソコンに向かってキーボードをカタカタする必要があって、それで頭の中の思い通りの成果物にならなくてうまくいかなかったり試行錯誤して悩む必要があったりと、そもそも楽しくないわけです。実は人間は、わざわざ創作なんてしんどいことをやる必要はないのです。必要のないことはやらなくなる、これは当たり前。

原体験とは

ググると以下の意味で出てきます。

>人の生き方や考え方に大きな影響を与える幼少期の体験。
>その人の思想が固まる前の経験で、以後の思想形成に大きな影響を与えたもの。

本記事では、人の思想形成に大きな影響を与えた過去の出来事を「原体験」と呼ぶことにします。

自分を強くドライブさせられる人は、このような強い原体験を持っていると私は思っています。

例えば自分の見聞きした範囲だと、起業家や経営者は強い原体験エピソードを持っていることが多いです。SHOWROOM社長 前田裕二氏は幼少期に両親を亡くしてお金にとても困った時期があるし、ソフトバンク孫正義氏は、会社設立直後、難病によって3年半の闘病生活を余儀なくされたりと、強烈な原体験を持っています。こうした有名な方々に限らず、起業家や経営者は強烈な原体験を持っていることが多いです。

起業や経営というのは面倒くさいことだらけだし、とても大変でかつ人生の大きな時間を自分の会社に投資することになります。それを実行できるのは強い原体験から導かれた情熱で自分を仕事にドライブできているからというわけです。

そういうことを知っているからか、彼らと同様の情熱の注ぎ方を創作に向けているクリエイターの人たちも、私はそういう視点から見るのですが、やはり執着に近い異常とも言える時間と能力を注いでいるクリエイターの根底には原体験と言えるエピソードがあるわけです。

そもそも安全すら満たされない体験

では、原体験がどうして創作への動機付けに繋がるのか、私のエピソードを元に説明しようと思います。

前提として、私はゲームを作っているプログラマーなので、ゲームを創作していて、その作業のためにプログラミングをしています。

私の場合、創作の原動力は、自分の好きなもので共感したくて、その手段がゲームを作るしかないからということです。好きなものを好きって言いたい!って感じですね。

ん?好きなもの好きって言えないの?っていわれると、そうなんです!となります。昔からエッジの効いた趣味嗜好をしてて、好きなものの話で、人とワイワイできた記憶がなかったりします。そんな感じなので、幼少の頃から以下の体験をしてたりします。

・オタクなので、幼少期のころから学校ではクラスのみんなと馴染めなかった
・エッジの効いた趣味嗜好をしているので、オタクの集まりでも馴染めなかった
・コミュニケーションが得意でないので、言語で好きなものを伝えて、伝わった感覚が得られない

そんな感じで、人と好きなものを共感できたことがあまりないので結構深刻な孤独感をいつも抱えています。好きなものというと、所詮趣味でしょと思うかもしれませんが、趣味以外のことでも、いちいちこのようになるのです。

人は社会的な生き物なので、そうした孤独感を抱えたまま生きるには、大きく不安を感じるわけです。そもそも生存していけるかという恐れ、いつ人から危害を加えられるのではという不安、何も考えずに楽しく生きられる人への嫉妬、普通でないことの劣等感 etc...。

原体験から、そうしたマイナスの感情を抱えていて、それを払拭できるのが、自分にとってのモノづくり、そしてプログラミングなわけです。

この辺があって、モノづくりについては以下のレベルで取り組むことができる

・プログラミングに16時間でも20時間でも打ち込める
・息を吸うようにインプットできる
・一時期半年くらい、生活に必要最低限な時間以外、全部ゲーム制作と仕事で埋めてた時期があった

↑当時実践してたゲキヤバアクション。ナレッジシェアくらいのツイートのつもりでしたが、今見返すとこんなことしてたら死にそう。

逆にいうと、自分の中ではこれくらいしないと、そもそも安全に生きたいという欲求すら満たされないわけです。そりゃスマホのソシャゲやってる場合じゃないですよね。やりますよねという。

(現代の日本の福祉だとそこまでしなくても安全に生きられるでしょうという話はあると思うのですが、ここでは自分の主観の話をしてます)


原体験を得るには?


それでは原体験を獲得するにはどうすればいいでしょうか。今から原体験になるような体験をしにいくのは一つの手です。しかしこの方法はやる気を起こすための原体験をしにいくやる気が起きないみたいな堂々巡りになりがちです。服を買いに行く服がないみたいな話ですね。

もうひとつの方法として、過去の体験を思い出して深掘りすることで、それを原体験として認識する方法があります。どういうことかというと、人は過ぎ去ったことをあまり深く認識していなかったり、あるいは簡単な捉え方をしがちだったりします。過去の辛かったこと、苦労したこと、不愉快に思ったことを思い出し、それを原体験として認識することで、現在の自分の作業への動機づけに結びつけることを行うわけです。

まとめ

時間もあってスキルもあるのに、創作の原動力が枯渇している人は、自分の原体験を新しく掘り出して、既知の原体験と向き合って、それを自分の今やろうとすることに結びつけよう。原体験から発せられる強い衝動は、人を強く駆り立て、物事に向かわせます。


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