【選手名鑑Vol.10 後藤駿太】ーFOリーダーを担う彼が、自身の原点であるフェイスオフについて語ること。その先にある未来とはー
「部員のモチベーションの源泉になりたい」
自粛期間のいつかのzoomミーティングで、後藤はこう言っていた。
現在ではチーム内に留まらず、ラクロス界全体にも影響を与える後藤。学連委員長や副将として度々脚光を浴びてきた彼だったが、彼の原点は今までも、そしてこれからもフェイスオフ(FO)というポジションにある。今回は、FOとしての後藤の素顔に迫る。
ラクロスの試合はこのフェイスオフ(FO)をもって開始される。審判の笛を合図にフィールドの中央で2人がボールを激しく奪い合い、会場にいる全員が彼らの勝負の行方に注目する。
田村統馬との出会い
後藤がラクロス部に入部した1年目の夏、立教は関東二部から一部リーグに昇格した。部全体が一気に祝賀ムードになった一方で、彼は周囲とは異なる感情を抱いていた。
”今のままの立教FOでは、一部の試合で確実に穴になる”
その年の関東決勝(早稲田vs慶應義塾)の試合を間近で見た後藤は、一部校のFOのレベルの高さに圧倒された。それと同時に立教とのレベルの差に愕然とした。
その頃の立教には貪欲にFOを突き詰めた選手の前例が無く、一部校相手に勝てないのは明白だった。そんな危機感が彼を行動に移させた。
当時の大学FOは、法政・早稲田・慶應が圧倒的に強く、その中でも秀でていたのが田村統馬(法政→現スティーラーズ)だと考えた後藤は、意を決して彼に連絡を取り直接教えを請うた。
「立教で最強のFO組織を作りたいです。」
彼の熱意が伝わり、川口駅のカフェで3時間もの間FOについて教わった。世界レベルのFOからの話は1年の後藤には何もかもが新鮮で、刺激的だった。現在も続く田村との関係は、この時、この場所から始まったのだった。立教のFOが日本トップクラスのフェイスオファーである田村に教わる環境が、徐々に整い始めた。
左:田村統馬、右:後藤
FO不要論
だが2年次のリーグ戦にて、今でも鮮明に覚えている屈辱的な出来事が起きた。当時1枚目、2枚目として試合に出場していた後藤の先輩にあたるFO2人が、相手校の成蹊大学に徹底的に抑えられ、これまでに無いほど惨敗。
その後FO2人は控えに戻され、代わりにLMF柳井(20卒主将)がロングスティックを用いて急遽ロングフェイスを行うこととなった。そんな柳井の勝率は90%。
これまで専門として全練習時間を費やしてきたFOが太刀打ち出来なかった相手に、非専門の柳井が勝ち続けた。
これ以来、部内では
「フェイスオファーなんて、必要ない」
そんな風潮が流れ始めた。
後藤は共に練習を積んできたFOが負け続けている状況をただ呆然と見つめる事しか出来なかった。そしてFOというポジションが軽視される状況が悔しくて堪らなかった。
その年の最終戦である早稲田戦で、後藤は一度だけ試合に出場。初めてのリーグ戦の舞台だった。
先に述べた屈辱的な経験と、この時たった一度でも一部の舞台に立ったことが、後の彼の意識を大きく変えたことは言うまでもない。
”他大学の強いFOを立教に呼んで練習する、また自分たちも他大学に赴いて練習する” その環境を整えたのも後藤だった。
強くなるためには立教内だけで練習していてはいけない。他大学の実力のある選手と練習を繰り返し上手くなる。その人たちから学び、吸収する。
今では当たり前となりつつあるこのFOの武者修行も、地道な努力によって確立していった。
左:早稲田大学のFO 小林義直
他大学の選手と練習を重ねていたある日、ふと早稲田大学の嶋田育巳人に「お前、3年での目標とかあるの?」と聞かれた。
後藤(当時2年)は特に考え込むこともなく
「一応、来年は2枚目としてリーグ戦頑張ろうと思っています。」
すると嶋田は、
「チームの2枚目を目指している奴なんかが、他大の1枚目に勝てるわけない。2枚目を目指してやってる以上は、結果なんて出るはずがない。」
この言葉でようやく目が覚めた。
それまでの後藤には、練習環境の整備や、FOの意識改革の面で立教FOを引っ張ってきた自負があった。
だがどこかそれで満足している自分がいた。
4年になったら1枚目を背負う、3年では先輩の次の2枚目でリーグ戦に出る。
それを疑いもしなかった自分を恥じた。
これを機に技術面でも必ず立教を牽引する存在になると心に決めた。2年の11月。この時から後藤は立教の1枚目を見据えて努力を重ねた。
翌年(3年次)のリーグ戦。
初戦は前年と同じくアミノバイタルフィールドで行われた。それは即ち、後藤が2年時に見た先輩の屈辱的な姿、悪夢の会場。さらに試合時間も昨年同様で夕方に行われたこともあり、情景が重なった。
この会場で昨年、チームからFOというポジションが無くなりかけた。
後藤は相手を圧倒して、今度は相手のロングフェイス(LMFが緊急でFOを行うこと)を引き出してやろうという想いを胸に挑んだ。
結果、勝率は100%。相手のロングフェイスを引き出すことにも成功した。
この試合で立教のFOが一部リーグの試合で通用するということを示し、昨年の先輩の屈辱を晴らした。
後藤のその気概は周囲の部員をも魅了した。
LMF柳井は
「お前の努力や苦労、どうやってここまで上手くなったかを知っているからこそ、お前のFOの勝ちには心震えるものがあった」
と声をかけたという。
チームから必要ないと言われ、消えかけたFOというポジションが蘇った瞬間だった。確実に地位を取り戻し、勝利に必要なポジションへと生まれ変わらせた。
「死ぬ気でやれ」の体現
「FOの実力で自分が学生1だなんて思ってはいないけれど、試合になったら誰にも負けない自信がある」
そう語る現在の彼の自信の裏には、学連委員長・副将・FOリーダーと多様な役職を担うからこその責任があるという。様々な想いを背負っているから人一倍”負けられない”と話した。
武蔵戦を通して、後藤はFOというポジションの魅力と可能性に改めて気がついた。
「FOはどれだけチームが勝っていようが負けていようが、たった10秒で人の心を動かすことの出来るポジション」だと話す。だからこそ一瞬に懸ける想いは誰よりも強い。
FOの醍醐味は、フェイスが始まるその瞬間、会場にいる全員がFOに注目すること。その瞬間が最高に堪らないしそこで活躍したい、と話した。
9月下旬に行われた武蔵戦。自身のFOについては、人生ベストパフォーマンスだったと振り返った。
後藤は、田村からずっと「死ぬ気でやれ」と教えられてきたが、武蔵戦はその意味を自分なりに初めて理解し体現できた試合だった。
チームは連続失点を許し、それに伴い必然的にFOの機会も多くなった。とにかくあの時は消えかかってたチームの闘志を再燃させたいという強い想いでやっていた。とにかく絶対に負けられない、絶対に点に繋げたい、そういう想いでやった。
それが「死ぬ気でやれ」という意味なのだと後藤は自分なりに解釈した。
自分が副将である意味
恐らく後藤は、立教の幹部史上初の「全カテゴリーを経験してきた人物」。学年試合のサマーではBチーム、ウィンターではAチーム、二年生でBチーム、三年からAチーム。セインツにおける全カテゴリーの所属を経験した上で、副将に選ばれた。
後藤は副将を担う際、この点を最も大切にしていると話す。
そんな自分だからこそ、現時点で順調にいっていない人でも頑張れる組織を作りたい。そして「頑張っている奴が報われる組織」を作ろうとした。
「頑張っている奴って結構損する機会が多いと思う。人に要求すると、あいつなんであんな嫌なこと言ってくるのと言われたり、なんであんな頑張ってるのと白い目で見られることもある。でもそれはおかしいし、頑張っている奴が周りの目を気にして頑張れなくなることもおかしい。
俺は上手い奴だけが認められる組織ではなくて、頑張っている奴が認められる組織を作りたい。」
そう語る姿には、自分の立ち位置を気にせず、なりたい姿を追い求め続けた彼の4年間への自信が伺えた。
そしてだからこそ、その背中を見せ続けたいのだと言う。Aチームであるとか副将などの役職・カテゴリーの話ではなく、
見せたいのは、追求するその「姿勢」だ。
学連委員長について
最後に、学連委員長への想いを語ってもらった。
「学連の委員長は、正直誰もやらなくて良い役職かもしれないし、自分がやる必要も全くなかった。」
なぜなら、それぞれのチームは自分のチームの勝利だけを目標に活動しているからだ。極論を言えば、自分たちが勝てさえすれば良い。立教だけが勝てば良いのなら、ラクロス界全体の学連の委員長になる必要は無い。
でも彼には自分が委員長を担うことにより、自分たちが「ラクロス界全体」のことまで考えなくてはならなくなる、そんな状況を生み出す必要があった。
彼はFOというポジションを経て、他大学の人から刺激をもらい、ラクロス技術を学んだ。彼のラクロス人生は、他大学との交流なしには語れない。
日本のFOというポジションが海外に引けを取らないほど発達している理由について、「武者修行など自チームに留まらず練習することで、自分を理解し、更に対戦相手への理解も深まって磨かれていく。そうやって日本全体のFOレベルが向上している」と話した。
これと同様に、自チームの勝利だけを見ても、日本ラクロス界の学生全体としてのレベルは上がっていかないし、ラクロスというスポーツの壁は超えられない。
ラグビーや野球、サッカーのように競技の枠を超えて世界中の人が熱狂する、そのレベルまでラクロスを人気にしたいなら、俺らはラクロスという競技の枠を超えなければいけない。
そうなった時、”学連委員長”が自分のやるべきことだと思ったという。
委員会での様子
だから今年は勝ち負けと同じくらい人と人との繋がりを大切にした。
それを掲げる後藤だからこそ、立教のラクロス部でラクロスを通じて人に影響を与えたい。それを心がけて常にプレーする。
中央戦に向けての思い
明日に控える中央戦。
「予想していたより1000倍厳しい状況にチームがおかれている。コロナ禍で、当初掲げたビジョンのチームになれているかは正直わからない。
でも12点差で勝つという奇跡を起こさなければいけない。」
そんな彼が部員に今伝えたいのは、
ただ信じてほしい、ということ。
一人一人を勝因にすること、ラクロスを通じて周りの人に感動を与えることを体現したい。
そして
「 ”その先にあるヤバイ景色を見たい”
っていう思いでこの1ヶ月ワクワクしながら練習してきました。」
立教に留まることなく、自らの手で人脈と環境を創り出してきた後藤。自他共に認める目立ちたがり屋の彼だが、ただ闇雲に役職についたのではなく、その先にある未来を見据え、そしてそれを生み出すために必要だからこそ、これらの役職を担ったようだ。
人より一歩も二歩も先に見えている景色、そしてそれを達成するための実行力が彼にはある。
変化には必ず痛みが伴う。
150名を超える大組織に、様々な意見があるのは当然だ。
だが今年セインツが大きな変革を遂げることが出来たのは、後藤の存在無しにはあり得ない。
後はこれを決して美談で終わらせず、結果で示さなければならない。
明日、必ず彼らはやってくれる。
私たちはそう、信じている。
記事執筆:飯沢桜子
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