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「蜜蜂と遠雷」を無理やり読まされて

本文は2017年12月21日Facebookに投稿したものです

 妻推薦の恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」を、次女が三日前の深夜にもってきた。昼間は何かと用があり寸暇と深夜を惜しみ昨夜読み終えた。妻からは私に絶対あう本だと随分前に云われていた。本屋で手に取ったこともある。なんかな、と買わなかった。直木賞と本屋大賞を受賞したことも知っていた。だが書評は読んでいない。
 読みたい本は向こうから飛び込んで来るのだけど、本屋で手に取った「蜜蜂と遠雷」は飛び込んでこなかった。表紙をめくるとピアノ曲や音楽用語等が目次になっている。ピアノコンクールの話であるらしい。
 本文を3ページ立ち読みした。飛び込んでこなかった。何か背伸びしたような情景描写が鼻についた。この文章で音楽を表現したら音楽と喧嘩してしまうでしょう。そう思った。
 妻の母の死で在大分の妻は千葉に飛び、私は代わりに岐阜から大分に来た。夜中は何かと持て余すので次女が気を利かせて持ってきた本なのだ。
読み始めた。本屋での立ち読みしたときの感想と変わるものではなかった。3ページまでは。だが夜長の時間を持て余していた。読み進めた。なんだこれは。イライラした。

 あっそうか、伏線が鏤(ちりばめ)られているのか。読む態度を改めた。そしてその舞台仕立てを楽しむことにした。
 作者のこの本の主題の一つであるピアノコンクール。その第3次予選で使われたフランツ・リストのピアノソナタロ短調について恩田陸さんは、登場人物マサルをとおして語らせている。
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 最も特徴的なのは、通常のソナタ形式ではきっちり楽章ごとに分かれて主題部と展開部が奏されるのであるが、この曲は楽章が分かれておらず、全体でひとつづきの一楽章になっているところであろう。
 ‎三十分近い大曲であり、難曲揃いのリストの曲の中でも、さまざまな技量が要求される最高級の難曲である。
 ‎その複雑かつ精緻な構造はくりかえし研究されてきたが、マサルはこの曲を聴くたびに、周到に伏線の張られた、巧みな構造の長編小説のようだと思う。
 ‎そう、これは音符で描かれた壮大な物語なのだ。
 ‎書いた側にも、読む側にも、かなりの力量が必要な。
 ‎吟遊詩人のように、この曲を丸ごと身体に入れて、舞台の上で語れるようにならなければならない。この、素晴らしい文章で描かれた、企みに満ちた物語を。
_________________引用終わり

 この描写は物語後半に入っているのだが、まさにそう思って
「マサルはこの曲を聴くたびに、周到に伏線の張られた、巧みな構造の長編小説のようだと思う。」
 この小説はコンツェルトの文字盤だと意識して読み進めていたので、ここにきて大笑いしてしまった。
 敵が、敬意をこめてそういうのですが、随分前からそうであろうと思いディテール、隠された主題、を落とさないよう、そして僕が作曲家なら、作家ならこれを展開部でどのように料理してやろうかと読んだ。
 全篇わくわくドキドキ。ね、そうきたでしょう、あっ、そうきたか。久しぶりに長編小説で楽しませてもらった。その上でこの宇宙で、この地球で、人としていかに生きていこうかと、悩める私に一筋の光を与えてくれる。
「蜜蜂」はこの作品の大事な主人公の一人、カザマジンの父親の職業であり研究対象。ジンは蜜蜂の羽音からも音楽を聴く。門下生をとらないことで有名なピアノ界の大御所がジンに出会い、父の研究のためヨーロッパを転々とする、ピアノさえ持たないジンに大御所が出向いてピアノを音楽を教えた。 ピアノ界のそのことに対する嫉妬。大御所は病死するのだが時限爆弾を仕掛けていた。ジンをピアノコンクールに送り出していたのだ。そして多くの魅力的な登場人物がその爆弾に翻弄されつつピアノコンクールは進んでゆく。
「遠雷」はそんなジンが日本のコンクールのさなか、会場を抜け出し雨に打たれながら見た光景なのだが、その遠雷が彼を、そしてそのことが他の恋すべき登場人物を、、、

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 妻はまもなく千葉から帰還する。そのときこの本を薦めてくれたことの感謝を伝えたい。そしていま無性にピアノコンツェルトを聴きたくなっている。
 読み始めに反感を覚えた冒頭からの3ページ、いま読み返せば「主題」の提示部だったんだね。すっきり納得したのでした。いまごろか!あはは。あっ、冒頭で酷評したこと、ごめんなさい。恩田さんの作戦に振り回されて翻弄された私の大いなる誤解と、理詰めで文脈を追ってしまう不器用な私の、今となっては喜ばしい敗北でありました。


ここのマガジンで、私の係わった3.11震災のことを書きはじめました。

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