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01話-Fossa Magna Museum

みちのくのエスカルゴ号車旅

1日目 2022.04.08

はじめに

 普通車で車両泊も含む長旅を楽しんでいた。条件が許せば車の横で小さなテントを張っての露営もかなりやった。テント泊が目的ならそれで充分楽しかったのだが、訪れることが目的の旅では設営と撤収にかかる時間を節約したいと思うことも多かった。

本栖湖キャンプ場で

 それの行きつくところはキャンピングカーだった。息子と普通車キャンプ旅の途上、キャンピングカーを見に行った。これ買おうと云うことになって見積もりしてもらい、契約の段になり、納車の時期を聞き挫折。少なくとも2年半は先になるらしい。それにそのとき以降に起きた China 経済の失速に加え Russia の Ukraine 侵略があり、現実にはもっと遅れることになったはずだ。昭和25年生まれの私にとってその遅延は痛い。Used car を求めた。友人がエスカルゴ号と命名してくれた。

 在所は岐阜だが息子とは関東方面2回、またソロでは関西などに数次の旅を試みた。九州にも行きたいが少し前に普通車使ったホテル旅で堪能しており、今回は東北での思い出の地などを巡りたいと思った。

 在所では桜が咲き始めた。行きたいと思っていた経路上に、それも桜祭りの一環として航空自衛隊ブルーインパルスの飛来が予定されていることも知った。それにニュースを見れば春日山城址を地元の方々が大掃除した⇩とある。これはきっと招待状だね!

https://www.joetsu.ne.jp/177526

深夜に岐阜を出て

 そんなことで妻に背中を押され 04/08 の 02時、エスカルゴ号で単身家を出た。大まかな計画はあるが、きっと出会いと好奇心と体力が旅を形づけるだろう。
 昼夜関係なく行動するような職に就いていたこともあり、細切れの睡眠や、夜のドライブなどそれほど苦には感じはしないが、見えなければ感動もない。02時の出発。それは車が整備から帰ってくる時期と、上越市高田城址に飛来するブルーインパルスとの兼ね合いで、その経路上にある要所の見学や散策に要する時間を考慮したギリギリの選択だった。もちろん今次の旅において夜間走行したのはこの日だけのはずが、最終日 04/30 も夜を走ってしまったのは後の話ではある。

2022.04.08 エスカルゴ号移動経路 274km
白馬、立間、飛騨の山々 / 富山の南部の高台から
親不知子不知
https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/196714.pdf
険峻な地形をようやく脱した先の海岸線で翡翠を探す人々

 なるべくなら通ったことのない道を使いたい。そんなことで富山県に入ったら街には向かわず右折して高台の農地を北東進する。肥沃な大地の空際線上に「白馬、立間、飛騨」の山々を望む。
 徹底しているのは道路の速度制限。30kmやなんと20kmのところまで。実際そんな制限がいるなと思うほどの道ではあった。ただ制限解除の標識がないのでトホホの心情ではあるが、のどかでよい。そんな道路の延長の街に入る手前で速度取り締まり。もちろん遵法速度だから、警官に手を振って笑顔で通過!

 四国の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)とセットで思い浮かべる、ここは日本海へ切り立つ絶壁、親不知子不知(おやしらずこしらず)。
 上杉謙信が軍の移動に、加賀藩の参勤交代に、この危険な経路が使われていた。だが民の移動では、親が子のことを、子が親のことを気にかけていたら自分が波にさらわれてしまう、この地名はそんなことからの命名だ。

 1990年の夏、2年間の沖縄勤務を終え岐阜勤務になったその秋、家族5人で黒部峡谷へ旅したときにここにも寄った。32年振りと云うことになる。その数年後からは単身赴任となり観光地などを訪れても、傍らに家族がいない寂しさはずっとつきまとった。最近それがやっと普通になり当然と思うようになった。あまりにも遅い子離れ、妻離れかと苦笑する。

初日の目標は Fossa Magna Museum

 さてこの日のメインイベントはフォッサマグナ博物館だ。
 直前のエスカルゴ号旅では水月湖の年縞博物館へいき、7万年の地球の営みを記録し、地球地学史の世界標準「時計」となった地層の実物サンプルに感動し、その時に思いを馳せたのだが、今回は日本列島を形造った地殻の変動の、生の痕跡に心を震わせる。水月湖の年縞は7万年だがここフォッサマグナは地球造形の途上、なかでも1500~2000万年前に生まれた日本造形の記念地形であり、もちろんこれは遠い未来へ続く変化過程の一瞬のすがたなのだ。私たちの生の時はその長さに比すべくもなく、もっともっと虚ろで刹那で、だからこそ今がいとほし、かけがえない。宇宙の時は更に偉大に過ぎて、私には体感できる術をもたないが、このように地球の時は、何か見えるような気がするのだ。

糸魚川市のホームページからフォッサマグナの地域と構造図

 Fossa は地溝、Magna は大きなとするラテン語だ。

 糸魚川市のホームページは、上のフォッサマグナの地域と構造図を示し次のように説明している。


 古い時代の岩石(おもに中生代・古生代、「薄い茶色」)でできた 、ほぼ南北方向の溝の中に、新しい時代の岩石(新生代、「緑色」)がつまっています。
 この溝は、上空から見下ろしてわかるような、地形的な溝ではなく、山々をつくっている地層や岩石を知ってはじめてわかる「地質学的な溝」です。この「地質学的な溝」を、ナウマン博士は「フォッサマグナ」と呼びました。
フォッサマグナの地下には、フォッサマグナの部分が落ち込んだ時にできた南北方向の断層があって、それを通ってマグマが上昇し、南北方向の火山列ができたと考えられています。⇧以上HP引用


 つまり日本列島はこの緑で色付けされたフォッサマグナの地域を境に、その東西は数億年前の古い岩石が、フォッサマグナの地域では2000万年前以降の新しい岩石で構成され、ここをボーリング調査して6000m掘ってもまだ古い岩盤に到達しないと云う。
 このヒマラヤ山脈も埋まるような深い地隙。この地隙に堆積物が溜まってできたのがフォッサマグナの今の地形なのだ。その地隙断層にその昔マグマ(マグナではありませんマグマです。マグナは大きいと云う形容詞、マグマはマントルが外核にもぐりその岩石が溶けたもの)が昇りできた南北の火山列、新潟焼山・妙高山・黒姫山・飯綱山・八ヶ岳・富士山・箱根・天城山などが顔を出している。

Fossa Magna Museum 正面に置かれている
1~数億年前の翡翠輝石岩、蛇紋岩、曹長岩、流紋岩、石英斑岩や
100万年前の凝灰角礫岩など
Fossa Magna Museum の 100m西「化石の谷」
約3億年前の「サンゴ」や「コケムシ」などの化石を採集できる

 ここを見学したのは興味があったからだが見学して更に興味がました。Museum の売店で Blue Backs 「フォッサマグナ」藤岡換太郎著を、記念に購入し(ピンチしてもテキストは拡大されず、破れるであろう紙媒体の本は久しぶり。目に気合をいれて)読み進めているところ。大変面白い。

日帰り温泉ひすいの湯で一汗流し

日帰り温泉ひすいの湯

 ひすいの湯温泉で一汗流す。自動車整備工場を思わせる温泉臭。苦手な人はそうかもしれない。おそらくは日本の地形を作り出した大事な働きをしたフォッサマグナの地層と深いつながりがあろう温泉に思いを致しつつ夕日を眺めるのでした。
 で、夕食。食堂が武漢熱禍を受けて閉鎖。移動するのも煩わしく飯盒炊爨して冷蔵庫のサラダとレトルトカレーで美味しく喫食だ。コッヘル飯はいつでも最高!
 この日の車両移動距離 274km 、歩行 4102 歩

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