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小川洋子さんの「博士の愛した数式」

 飛行機設計の巨匠、土井武夫さんと、山名正夫さんのことを紹介した。

 山名さんの著書「飛行機設計論」の序のなかで芸術家北川民次画伯にも触れておられる。
 そうやって山名さんは美術や音楽などの芸術の美に数学的理論的に完成された美との同意性を強く感じておられた。

 人は性能の良いものに直感的に美を感じる。
 逆に美しい絵画や音楽から数学的安定を見出すこともできる。

 等々と。そこで私は小川洋子さんの「博士の愛した数式」新潮社を再読したくなった。4年前のことだ。
 引っ越し族であったので、既にその本はない。で4年前に記憶で書き始めたのだが、
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『作中、シングルマザーの若い家政婦が、手伝いに派遣された家の「博士」は一日ほどの記憶しか保てない記憶障害をもつ。その博士から家政婦が気づかされた最も美しいものの記憶として、作者小川さんはオイラーの公式を選んだ。小川さんはこの公式に出会ったとき、この作品を書けると直感したそうだ。

 オイラーの公式。
  e^(iπ)+1=0
 e は自然対数の底、i は虚数、π は円周率だ。
 混沌とした e や i や π が、たった1を足すだけで偉大な完全無欠の「0」となる。』

 とここまで書いて、それを描写する小川さんの、本物の文章に会いたくなった。そこで岐阜の「みんなの森図書館」にでかけ、彼女の本を手に取ってみた。

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 ここは「博士の愛した数式」だからこそ、それは美しい文章でなければならないし、小川さんはそうした。
 以下にその部分を抜き書きする。文中の「私」は若い家政婦だ。
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 私は本の重みで痺れてきた手を休め、ページをめくり直し、十八世紀最大の数学者だというレオンハルト・オイラーについて思いを馳せた。彼について私は何も知らないが、この公式一つを手にしただけで、彼の体温に触れたような気がする。オイラーは不自然極まりない概念を用い、一つの公式を編み出した。無関係にしか見えない数の間に、自然な結び付きを発見した。
 π と  i  を掛け合わせた数で e を累乗し、1 を足すと 0 になる。
 私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙から π が e の元に舞い下り、恥ずかしがり屋の  i  と握手する。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が 1 つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが 0 に抱き留められる。
 オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。そこに込められた美しさに打たれながら、私は用紙を定期入れに仕舞った。
 図書館の階段を降りる時、ふと振り返ってみたが、相変わらず数学のコーナーには人影はなく、そんなにも美しいものたちが隠れていることなど誰にも知られないままに、しんとしていた。____抜粋終わり

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