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14話-天童城が見つめてきたこと

みちのくのエスカルゴ号車旅

7日目 2022.04.14 その2

帝国陸軍歩兵第32連隊と慶長出羽合戦最上軍兵士

義光公馬上像横の歩兵第32連隊の記念碑

 山形霞城を後にするまえに帝国陸軍歩兵第32連隊にふれておきたい。
 最上義光公の馬上像横に、32連隊の記念碑がある。同連隊は秋田で編成された。
 日露戦、黒溝台の激戦では2個大隊を壊滅させながら耐えた(連隊3千名のうち生還は1千名)。帰国した連隊は山形霞城に衛戍(えいじゅ、恒久的な駐屯のこと)することになる。大東亜戦では沖縄に配備され、第32軍牛島満中将隷下で奮戦した。
 沖縄本島南端、糸満摩文仁の美しい海へ切り立った絶壁壕で牛島司令官は割腹自決。それ以前から通信命令系統はほぼ途絶しており、このような環境では隷下部隊はそれぞれの判断で行動せざるを得なくなる。多くの部隊は事実上部隊行動を維持できず崩壊してゆく。そんな環境下に第32連隊は8月15日を過ぎても部隊としての指揮系統を維持し遊撃戦を継続し、日本敗戦の経緯を知り部隊編成のまま整然と、連隊旗を捧焼(8/28)、武装解除(8/29)し投降した。残存兵力300名。日露戦では 1/3 が生き残ったが、沖縄戦は 1/10 だった。慶長出羽合戦最上軍兵士の姿とだぶって見えた。

青赤反転 天童城址からの展望

 霞城をあとにして北に14kmの天童城址へ。
 この地に立てば霞城が一転「赤色」に見えてしまう。赤青反転だ。赤青のことが不明の向きは、前13話-霞城最上義光と慶長出羽合戦(⇦リンク)をどうぞ。

天童城は曲輪が重畳する強固な山城で山頂に井戸跡があった
舞鶴山(天童城址)をとおして山形盆地の南部を望む
霞城(前話で青表記に作図したまま放置)まで14km
立谷川が平地の南北を分断しているのがわかる
天童城址山頂から上の俯瞰図と同方向を望む
霞城は三本直立する右の松の遠方方向
天童城北端の曲輪跡から北方を望む 山形空港(神町飛行場)が目の前に

天童城が見つめてきたこと

 この地域には南北朝の時代(14世紀)に南朝方の北畠天童丸が入ったとされる。そこでは斯波(最上)氏南朝方と闘い落城。その後に山形城2代城主の子が里見氏の養子となり天童氏を称し天童城に入る(永和元年、1375年)。天童氏はそこで勢力を拡大しやがて同族の山形城最上氏と対立。北畠氏とは血族ではないが、ここに根を張ると山形城と対決しなければならなくなるのだろうか。
 その天童氏10代の天正5年(1577年)、慶長出羽合戦の23年前だが、山形城の最上義光が天童を攻めた。天童城は堅固な山城であり義光を撃退している。さらにその7年後、義光は再び天童城を攻める。この時は城内の寝返りもあり落城することとなった。以降ここは廃城となった。

天童藩最後の家老吉田大八

 天童公園に立つ銅像の武将は、時をずっと進めた戊辰の役当時の、天童藩の家老吉田大八だ。時の天童藩主は織田信美(のぶかず、信長の次男信雄の子孫)で病床にあり嫡男は幼い。このとき天童藩は新政府から「奥州鎮撫総督府先導使」を命ぜられ、家老吉田大八は新政府と奥州列藩の間に立ち奔走。この時期奥州は幕府方であり大八は捕らえられ、天童藩存続のため藩主は家老に切腹を「賜った」ことに。
 天童藩家老吉田大八の切腹は明治元年(1868年)6月18日である。その前後の情勢は下図のとおり。そして会津若松城の落城(開城と呼び習うらしい)は9月22日だった。天童藩は戊辰の役の後、天童県となり藩主は子爵として栄達した。天童県はのちに山形県に吸収された。

奥州越列藩同盟を巡る情勢の変化⇦リンクサイトから

将棋駒のまち天童と藤井聡太さん

天童公園

 駆け足で舞鶴山を散策した。山頂は天童城の主郭であり今は愛宕神社があり訪れる人は少ないようだ。その山頂を人の頭だとすると、これを北向きに立たせ両手を前方に突き出させたとき、右手が東郭、左手が中央郭となる。
 いまその中央郭は天童公園となって市民の憩いの場であるようだ。その公園の入り口に大きな将棋の駒が置かれている。ここに来るまで知らなかったが「将棋駒のまち天童」とある。

えっ、これは巨大な将棋盤?人間将棋でも開催されるの?

 既にふれたが織田信長次男の信雄(のぶかつ)を祖とするなら10代信美(のぶかつ)が、幕藩体制下の初代藩主として天童に入った。この地も当然ながら藩財政貧窮し、藩の取り組みとして藩士にも駒つくりを奨励したことが始まりらしい。全国シェア率90%以上だとか。

 この公園では桜祭りを準備する人々に出くわした。えっ、これは巨大な将棋盤?人間将棋でも開催されるの?将棋のことにはアンテナを貼っておらずトレンドもしらない門外漢だが、はたしてそのとおりだった。
 この先の道中で妻からその顛末(と云うほどのものではないが)を聞いた。3年振りの人間将棋であり藤井聡太さんが招かれたと。私が訪れた3日後の晴天下に行われている。

PressYamashinニュースから(⇦同社ニュース動画へのリンク)

みちのくのエスカルゴ号車旅目次ページへのリンク

https://note.com/saintex/m/m68537e104164

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