若きヴァイオリニスト垣内響太さんリサイタル「チゴワイから明日に向けて」2021.12.11

 「チゴワイから明日に向けて」と云うのはこの12月11日の、若きヴァイオリニスト垣内響太さんのご自宅音楽ホールでのリサイタルのタイトルだ。
 つい響太くんと呼んでしまう。妹の絵実梨ちゃんとともに小学生のころから英国メニューイン音楽院で学び、彼は今年卒業し大学に進学したのだが、ベルリンとウィーンの芸術大学を両方とも合格してしまう。悩んだ末にベルリンを選択した。武漢熱騒動のなか兄妹は足繁く欧州と日本を往復する。

 ベルリンを選んだのは必然だっただろう。一枚の絵がある。

 この絵は響太くんが渡英する前の年に、彼が所属する佐渡裕さんのスーパーキッズオーケストラの、その佐渡さんにだされた課題の一つだった。だから佐渡さんのサインがある。
 さらにこの絵には響太くん自身による裏書があった。

 そこには「ベルリンフィルのコンサートマスターになって、(佐渡先生と)一緒に世界中で演奏したいです」と、響太くんの夢が書かれていた。

 響太くんがベルリンに行って間もなく帰国した。何事かと思ったら、第4回宗次ホール「ツィゴイネルワイゼンヴァイオリンコンクール」に参加する由。

 そのいきさつを響太くんは今回のリサイタル公演のなかで教えてくれた。ツィゴイネルワイゼンの演奏会なので、当然ながらサンサーンスのことが常に彼の念頭にある。

 2012年9歳、最年少ヴァイオリニストとして佐渡裕さんのスーパーキッズ・オーケストラに入団を果たす。響太くんは最終的にこのオケでコンマスをやりたかった。キッズオケ10年をとおした想いでもあったのだが、コンマスは練習も含め全てに参加することが条件だ。ロンドン居住の彼には物理的にかなわないことだった。

 佐渡さんは響太くんに違う形で課題を与えた。ソリストとしてオケと関わりよき音楽を造れと。それはキッズオケ10年の花道を贈られたわけなのだが。

 響太くんが語る。
 普通はコンマスよりソリストの方がたれもが喜ぶはずなのでしょうが、僕はコンマスに憧れていたのです。
 ソリストとしての曲はツィゴイネルワイゼンで、佐渡さんの指揮でソリストをやる機会を与えられたのです。
 その演奏会はこの8月でした。そこにココ壱番屋の創始者宗次さんが聴きに来られ、氏が取り組んでおられる、昨年はコロナでできなかった「宗次ホールツィゴイネルワイゼンヴァイオリンコンクール」を、今年はやりますから是非弾きに来てくださいねと言われたんです。

 このコンクールの予選は音源審査で行われます。これはこの稿を書いている私の想像で確認していませんが、このときの佐渡さんとの演奏会のものを送ったのかな。ともかくもこれは通るだろうと響太くん。

 それでその合格者が判明するのですが、小学生のころコンクールで勝てず、言わばトラウマのライバルの名や、怖かった先輩の名が。

 だからベルリン芸術大学に通いだしてすぐに、このコンクールのため帰国するわけですが、わざわざ負けに帰るのかとテンション下がりっぱなしだったと。日本に帰れば恒例の時差ボケで昼夜反対の日々が続き、親は僕の寝ている姿しか見ていないという。

 このコンクールで伴奏してくれたのは、響太くんのピアニストのお母さん。響太くんは2019年のグリュミオ国際ヴァイオリンコンクールで優勝するなど数々の国際コンクールで好成績を残していますが、伴奏者には苦労が絶えないようです。伴奏者との相性で音楽性は変わってしまいますからね。お母さんを連れて欧州滞在もできませんからね。

 そのお母さん。コンクールは独特の雰囲気がありますと。それに飲み込まれないよう気丈に演技してそれを跳ね返すのですが、有名なピアニストが伴奏者としてやってきて同席することになり、お母さんのテンションも最高潮。

 響太くんが語ります。

 僕がこれまで受けてきた国際コンクールでは、お互い競っているという面とはまた別に、そんな人たちと話していると数秒で友達になります。世界中にそんな友達を増やすよい機会でした。

 日本のコンクールは6年ぶりでした。演奏する前、雰囲気的にだれとも喋れなくて、ピリピリしていたのでそこに居られなくて、自分の車に退避して、そこで練習やベルリンフィルの音楽を聴いたりしてリラックスしていました。

 そこに母も車に戻ってきて、僕より数倍緊張しているように見えたと。お母さんはそこで追い出された由。笑いながらお母さんが、そう合いの手を入れてくれる。

 コンクールは秒刻みのスケジュールで進行されていきます。こんなところも国際コンクールとは全然違います。プログラムが突然カットされたりと大幅な変更はよくあることで、それに比べ日本はキッチリしています。

 このコンクールで響太君は第3位でした。ご本人には不本意な結果だったでしょう。彼はこの曲についてこんなことも言ってました。ツィゴイネルワイゼンがすごい人気の曲だとは勿論わかってて、それでポピュラーな故に、凄い奏者がいろんなバリエーションの演奏を五万としていて、だから斬新なアイデアをこの曲に盛り込む暇がない分けで。そんななかで聴衆賞を頂けたことはとても嬉しく誇りで、すごく励みになりました。

 そんなエピソードを超絶技巧の演奏の合間に語ってくれるのでした。

 サラサーテは8歳で初めての演奏会、10歳でスペイン女王イサベル2世に演奏を披露し、13歳のとき学んでいたパリ音楽院ヴァイオリン科の一等賞を獲得する神童でした。作曲家として活動していくわけですが、9歳年上のサンサーンスと仲が良くなり、サンサーンスは結構多くの曲をサラサーテのために書いています。境遇が響太くんとなんだかだぶるような気がします。

 サラサーテが自らチゴワイを弾いた1904年の音源を紹介してくれた。私にはとても大味に聞こえたのだが、響太くんもこれを初めて聴いたとき、あれ僕の方が上手い?(笑)それは冗談ですが、それぞれの時代に流行した演奏のスタイルというものがあります。絵画などの芸術はオリジナルでないと価値が落ちてしまいますが、音楽は時間の芸術なので、時とともに進化していくのです。と響太くんの芸術論でフォローです。

 音楽ファンにはたまらぬエピソードの数々。さらに響太くんはチゴワイが超絶技巧と言われる由縁を、実演解剖しつつ説明してくれます。第2部の最後は響太くん本気のチゴワイ演奏を聴かせてくれました。

 8月の宗次さんの「チゴワイ・コンクール」の方ですが。響太くんの演奏が終わったとき、響太くんは伴奏のお母さんを振り返り微笑んだそうです。こんなことはとても久しぶりのことで、私も人の親ですからよく理解できるのですが、うれしくてお母さんも満面の笑みを返したそうです。そうしたらYouTube動画には私一人笑っているように見えてしまってとお母さん。いえ響太くんの微笑も十分感じられましたからご心配なく。

 来年の3月、副賞としてストラディバリウスが3年間無償貸与されるヴァイオリンコンクールが予定されていたのですが、外国からの審査員が入国できず中止の由。このストラディバリウス狙っていた響太君のテンションやいかに。

 8月の、第4回宗次ホール「ツィゴイネルワイゼンヴァイオリンコンクール」の様子は

https://www.youtube.com/watch?v=LCyg-pv8Uf4

 尚、響太くんの演奏は 2:11:01 から

 また演奏が終わり伴奏のお母さんと微笑み合うところは 2:20:11 からです。


 *この稿、性能の劣化した耳と頭で、聞こえ理解したなかでの文字起こしです。垣内響太さんや関係者の方々のことに間違いがあるとしたら、寄稿者である私の責任でありご容赦ください。


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