ファイナンシャル・プランナー

ファイナンシャル・プランナーという言葉は今ではよく聞く
ファイナンシャル・プランナーとは
ヤフーの検索結果を貼り付ける
『人生の夢や目標をかなえるために総合的な資金計画を立て、経済的な側面から実現に導く方法を「ファイナンシャル・プランニング」といいます。ファイナンシャル・プランニングには、家計にかかわる金融、税制、不動産、住宅ローン、保険、教育資金、年金制度など幅広い知識が必要になります。これらの知識を備え、相談者の夢や目標がかなうように一緒に考え、サポートする専門家が、FP(ファイナンシャル・プランナー)です。』
何となく、分かってもらえたと思う
当時は、まだこの言葉が浸透していなかった
それに、資格もなかった
そんな頃、本部に数名の銀行独自のFP数名が誕生した
会社や個人資産家の相談に乗る
しかし、これが反響が大きく、とても数名で全国の支店担当は厳しくなった
そこで、大店の支店に一名FPを作る事になった
そう、小生がその一名となった
研修は2週間
地獄の研修、何年か前も経験した
この研修の終了証をもらわないと、活動出来ないばかりではなく、2週間も支店を空けたわけだから、何を言われるか分かったものではない
そして、無事合格
それからは、とにかく忙しくなった
「自社株の評価をして欲しい」
「事業承継の悩みを聞いて欲しい」
「節税対策を提案して欲しい」
「不動産の有効活用を提供して欲しい」など
中には「社員教員をして欲しい」「会社環境を変えて欲しい」「後継の教員・育成を手伝って欲しい」「株は何を買ったら良いのか」と何でも相談があった
たまらない
しかし、このお陰で顧客との距離は更に縮まり、資金需要が見えてきた
本来であれば、銀行員は3年程度で転勤であるが、3年過ぎても転勤は無い
また、有給休暇というものがあるが、取得させてもらえない
働き尽くめだ
この頃は、銀行の近くの個人病院によく行っていた
そこで、点滴をしてもらう
そう、疲労困憊でいつ倒れてもおかしくなかったからだ
それに、点滴中は30分程度は寝る事が出来る
バブルは続き、仕事は尽きない
夜10時以降は残業禁止が救いであった
でも、よく飲みにも行った
体が良く持ち堪えたと思った
若かったんだろうと振り返る

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