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父の杖

父の一周忌も過ぎ、少しずつ家の片づけをしている。一時帰国する度に両親の残したものと向き合う時間を過ごしている。このペースでは時間はかかるだろうが、できる範囲で進めていくしかない。母の時も片づけを始めたときに、「それも捨てちゃうの?」と父が寂しそうな顔をみせるので、手を緩めほどほどにした片づけ。昨年、父が旅立ち、本格的に片づけを進めることになった。

大きなものからと思いきや、それがまたそう簡単には問屋が卸さない。若い頃に囲碁が趣味だった父の碁盤と碁石。これは幸い行き先が決まり、今春、ぜひにという某大学の囲碁部にもらっていただいた。この時代に囲碁部を選ぶ学生に使ってもらえるとは、碁盤も父も喜んでいることだろう。

次は介護ベッドだった。いまなら介護ベッドもレンタルなのだろうが、母は何かと先々のことまで考えて動く人だった。20年ほど前だろうか、まだ元気だった頃に電動ベッドを用意していた。レンタルの記録はないから購入したのだろう。ということで2台のベッドが両親の寝室に残った。半年ほど探した結果、ある施設が引き取って下さる運びになった。かなり重いベッドだったが、有難いことに男性スタッフ4人がバン2台で搬出してくださった。

昨日までベッド2台が並んでいた部屋が急にがらんとなった。見回すと、父の使っていた杖が床に転がっていた。ベットの下に置いてあったのかもしれない。杖には名前と、高齢者支援センターの番号などのストラップ3本が絡んでいた。急に目の前に現れて過去の日々がにわかに蘇った。

杖に巻かれていたストラップ

父はなにかとスーパーに買い物に行くのが好きで、なかでも梨やバナナ、焼き芋、お饅頭など好物を選ぶのが楽しみだった。晩年はそれが唯一の外出の喜びだったかもしれない。杖をもって嬉々として出かけて行っていたっけ。杖とともにゆっくり歩けばいいものを、杖があとからついてくるような歩き方をすることもあった。果せるかな、街中で転倒したことも数知れず。最初のうちは二階で仕事をしている私に告げずにそっと出かけるので、転倒後に運ばれた病院から電話がかかり何度、慌てて迎えにいったことか。不幸中の幸いで、目の上のたんこぶで済んだものを、その度に家族に叱られていた。そんな父も自分で少しずつ老いを感じている様子でもあった。

先頭に立って父に注意していた私だったが、このストラップが目に入ると、ふと熱いものがこみあげてきた。現役の頃は森林や山歩きをしており健脚だった父。最後までできるだけ自分の脚で歩きたかったのだろう。老いを自覚しながらもなお、自分の脚で動くことで生きていることを実感したかったのかもしれない。お財布を出して買い物をすることで、社会と接していることを確認していたのかもしれない。杖とお財布は外出のお供だった。その杖についていたストラップは、ときに杖から下がり落ち地面に触れたり、きっと雨風にも晒されたのだろう、かなり擦れていた。人形ストラップに至っては100円ショップで買った代物かもしれない。でもそんな父の思いを想像すると、サッと処分する気にはなれなかった。

こういうちょっとした日常品から父のことを思い出し、心にずしんとくることが今でもある。やることはやったよね、と兄弟姉妹と話していたものの、それでもなお、もっとできたこともあるかもしれない、あれを父にしてあげれたかもしれない、と後悔とは違う思いに襲われるときが、いまでもある。