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これからの花澤香菜の話をしよう~アーティスト活動の来し方行く末にオタクのお気持ちを添えて

初めて花澤香菜の実在を肉眼で確認したのは昨年の2月、彼女の誕生日に行われたバースデイライブでのことである。30歳の節目を迎える彼女がステージで語った「30代の目標」はシンプルなものであった。

中国語を話せるようになりたい!

満席の東京ドームシティホールを笑顔で照らしながら、力強く決意を語ってくれた。それに応える拍手が暖かく会場を包む。多幸感が充満する空間に彼女はいる。しかしそのまなざしはまだ見ぬ未来を向いていた。その視線の先にあるものが何なのか、知る由もなかったし、未だ知ることはない。ただ次のステージへと歩みを進めていく彼女の新たなスタート地点がこの日この時であったことを、今はただしみじみと思い出すばかりだ。

甚だしい周回遅れの末に、アーティスト・花澤香菜に魅せられてしまった1オタクの色眼鏡を通し、花澤香菜のこれまで、そしてこれからの花澤香菜の話をしよう。結婚という人生の慶事がさらなるご活躍に実を結ぶことを願いつつ。

踊りだすミュージック

花澤香菜のアーティストデビューは2012年。当時すでに声優として八面六臂の活躍を見せていた彼女の歌声は『恋愛サーキュレーション』に代表されるキャラクターソングによって広く認知され、聴く者の鼓膜をやさしく1/fで揺らした。高い知名度と透き通った蠱惑的な歌声、強い武器を携えて挑む必然のアーティストデビューであった。意地悪な諸兄の記憶に残る「マダダーレモー」などとうに昔の話だ。

楽曲のクオリティを担保するのはROUND TABLEの北川勝利。花澤香菜の”天使の歌声”(当時の面映いキャッチコピー)を主役として活かしつつ、それを飲み込まない絶妙の塩梅で都会的なサウンドを背後に響かせる。中毒性の高いボーカルと耐用年数の長いサウンドを併せ持った上質な楽曲群は、同時期にデビューした竹達彩奈とともに声優アーティストの界隈に新しい風を送り込んだ。シングル・アルバムのリリースは継続的に行われ、渋谷系ポップス(『Claire』『25』)ジャズ(『Blue Avenue』)ブリティッシュ・ロック(『Opportunity』)など、コンセプチュアルな名盤を次々と世に放った。

アーティスト・花澤香菜のそんな音楽性に惹かれてしまったのはここ1、2年のことである。それは8年の歴史のうちのわずかな期間であり、体験することの叶わなかった6年分の花澤香菜が確かに存在する。そのことが後追いの身に小さく刺さり続けた。

ざらざらしたこの胸の砂は他の誰につかめるのだろう

高い作品強度にも支えられ、花澤香菜のアーティスト活動はライブにおいても順調に推移する。2013年の東京・大阪でのワンマンライブを皮切りに年々会場規模を広げ、2015年にはごく数名の声優アーティストしか成し得なかった日本武道館公演を成功させた。新譜を発売するごとに行われるリリースイベントは回数も規模も膨れ上がった。女性限定ライブを毎年開催したり、アコースティック編成で地方の小規模な会場を周ったり、海を越えて中国で数千人を動員するなどの活躍を見せた。ステージに一人で立つ機会も増えた、楽曲を提供してくれたアーティストのカバー曲を披露するようにもなった、歌うことで精一杯だった曲に振り付けを加える余裕もできた。緊張感を掻き消すように笑顔全開で歌う花澤香菜も、曲間で不安げにバンマスに視線を送る花澤香菜も、もはや過去のライブ映像の中にしかいない。昨年はじめて目撃した等身大の彼女は、そんな過程を経て完成形と化した30歳の花澤香菜であり、「音楽活動も行う声優」ではなく「声優・歌手」という肩書を確かに背負う存在となっていた。彼女の一挙手一投足に成長の物語を見出し消費する段階は、この節目を持って一つの区切りを迎えたように思われた。

目を閉じて浮かび上がる残像

アーティストとしてひとつずつ階段を昇っていく彼女の横顔を見ることはなかったし、その喜びを享受することもなかった。自分の知らない花澤香菜の6年間は永遠に体験することのできない過去としてのみ存在しており、後追いとして調べた知識を頭に入れることで精一杯の抵抗とする。↑に書いたような彼女の経歴も何一つ実感を伴わない情報の羅列でしかなく、そこに一切の思い出は介在しない。知りそびれた歴史の欠片はその一つ一つが煌々と光を湛え、開いたばかりの目に痛い。要は「なぜもっと早く花澤香菜に気付けなかったのか!」である。

まだ見たことない世界を駆け巡る

数年前より中国のリスナーへ向けた活動が目立つようになった。言うまでもなく、バースデイライブでの「中国語を話せるようになりたい!」は現地での活動を念頭に置いたものである。何がきっかけだったのか、中国における花澤香菜の人気は年々高まっており、それに呼応するように中国市場に参入したかたちである。当初は現地の番組へのスポット的な出演に留まっていたが、ライブツアーの一環として中国公演が組み込まれるまでにそう時間はかからなかった。

象徴的だったのは日中での会場規模の違いだ。日本では2015年の武道館公演以降、ホール規模のライブを東名阪+αで実施するパッケージでほぼ固定されている。対する中国・上海公演のメルセデス・ベンツアリーナは18,000人収容の大会場で、これはツアーの国内会場の収容人数すべてを足した数よりも大きい。もちろん全ての席が開放されたわけではないだろうが、この規模感の違いは衝撃的だった。ブルーレイの特典映像に収録されている現地の様子を観ても、動員数の差(そして悲しいことに、熱量の差)は如実である。いつの間にか、というにはあまりにも急速に中国の花澤香菜需要が高まっており、気がついた時にはもう市場規模が日中で逆転していたのである。彼女自身が中国での活動を強く望んでいる節もあり、受け入れられる下地が出来上がったことで、満を持して活動の場を新天地に求めたということであろう。

夢の続きを見に行こうよ

バースデイライブは1曲目『マイ・ソング』のそんな一節で幕を開けた。デビューからの年月のどこかで、彼女は夢を叶えたのだろうか。叶えた上で”続き”を求める彼女の歩みは、さながら黒髪の乙女(@夜は短し歩けよ乙女)のように軽々と境界線を越えていく。どこまで行ってくれてもいい、彼女の新しい挑戦を純粋に応援したい。そうだ、これからを追えば良いのだ。"夢の続き"を探すその道中に寄り添いたい。そう思って音源やライブ活動を追いかけ始めたのがここ1年ほどのことだ。しかし今度は別の方角から暗雲が立ち込める。

くるくるくる廻る季節の隅っこで ねえ 追いつけない心だけうずくまっている

現在国内では”Acoustic Live Tour 2020 「かなめぐり2」”を展開している(延期中)。公表されてはいないがおそらく中国での公演予定もあったのだろう、その代替企画と思しきオンラインライブの配信が中国の動画サイトを介して行われた。公式Weiboを通して告知が行われたが、その後日本のファンによる”お声”を受けた公式Twitterが日本からの視聴方法を直前に案内にすることとなる。そもそも日本国内向けに告知される予定はなかったのである。日本の活動と中国の活動は明確に切り分けられて双方にお出しされるし、中国向けの活動のすべてを追いかけることは残念ながらできそうにない。言われてみれば当たり前の事実にようやく思い至る。そもそも向こうの活動を余すところなく把握できるかという点で怪しい。何より寂しいのは、それらすべては海の向こうのリスナーに向けられたものであるという事実である。オンラインライブではデビュー曲『星空☆ディスティネーション』が中国語で披露された。現地の人気曲のカバーが覚えたての中国語で歌唱された。これまで何度も繰り返されてきたであろう自己紹介は流暢な発音だった。花澤香菜の歌声が届く先に自分がいない、という想定外の状況が生じてしまった。

大丈夫なときなんて一瞬もないって 気付いてしまわないように

なぜもっと早くアーティスト・花澤香菜の魅力に気付くことができなかったのかという後悔、それまでの活動をリアルタイムで享受できなかったことに対する寂しさ。これからを追いかければいいという気持ちに暗雲を呼び込む中国情勢への悲観。過去の花澤香菜に続き未来の花澤香菜をも知りそびれてしまうのではないか。頻繁にライブに通うようになった今でもそんな懸念が心にたゆたう。

たくさんの記憶を あなたにもらったのよ

とはいえ活動の軸足が彼の地に移ろうとも、アーティスト活動が続く限り国内のライブやリリースが途絶えることはないだろう。彼女の歌声が耳を震わせてくれるうちは、現在進行形の活動を可能な限り前線で追い続ける。今現在の彼女のために心のUOを折る。目の前にいる彼女のために心のサイリウムを高々と掲げる。その光が彼女の行く末を照らす灯火の一つになってくれたら、そんなエゴも全部抱えて、見られなかったこれまでの花澤香菜の分も、見えなくなってしまうかもしれないこれからの花澤香菜の分も、すべての偏愛を今ここにいる花澤香菜に費やしたい。昔のライブグッズを収集し始めたり、音楽関係のインタビューが載る雑誌を漁り始めたり、うっかり写真集を買ってしまったりもしたが、そういう当たり前の追いかけ方を一日でも長く続けることができれば、それ以上の喜びもない。

響くよBlessing Bell

そんなオタクのお気持ちを余所に吉報は突如舞い込んだ。花澤香菜さん&小野賢章さん、ご結婚おめでとうございます。こんなおめでたい日にこんなおめんどくさい文章を打鍵してしまうことへの申し訳無さと言ったらない。いつかご結婚される日がくるのだろうという気はしていたし、自分はあくまでアーティスト・花澤香菜のファンなので気持ちを拗らせることもないだろうと高を括っていたが、まぁ自分でもびっくりするほど動揺してしまった。感情はそんな器用に切り分けられるものでもないし、言葉に持ち出せる感情は部分でしかない。今日ほどそれを思い知る日もないだろう。

それはさておき、やはり「アーティスト活動はいつまで続くのか?」に思いを馳せてしまう。ライフスタイルの変化が活動に及ぼす影響はプラスにもマイナスにも傾き得る。願わくば末永く歌声を響かせてくれる花澤香菜であってほしい。ただし無理のない範囲で、という注釈付きで。

色んなことに気づくには遅くはないから

そう歌ってくれた日の記憶を持って、いつか来るその日まで、あなたの歌に気持ちよくなる気持ち悪いオタクの端くれでいよう。今はただただ「かなめぐり2」の再開が待ち遠しく、歌声を聴かせてくれる日を楽しみにしています。そしてその時は心の底からおめでとうを言わせてください。


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