10年間夢見た教員を1年で辞めて転職した話

GWの終わるこの時期になると、一年前の自分を思い出します。
地元の心療内科で「仕事に行きたくない」と号泣し、抗うつ剤を処方されて病休ギリギリまで陥った当時を。

私は去年の4月に某公立小学校の教諭となり、今年の3月に辞めました。
4月に転職して落ち着いた今、当時のことを思い出しながら本記事に大まかに1年間のことをまとめようかなと思います。

今年教員になった方、教員の仕事が辛い方、明日からまた学校に行くのが嫌な方、様々な方々に読んでいただけたら幸いです。

(※本記事は決して教員という仕事を否定する意図はありませんのでご了承ください)

①教員を目指してから教員になるまで

教員になろうと思ったのは約10年前、中学1年生の頃。
当時担任だった先生に憧れて…という教員志望者にありがちな理由。
その担任と同じ大学の教育学部に入ろうと決め、そこからは10年間その夢に向かって走っていました。
そして無事目標の大学へ入学。もちろん進路は教員になること一択で、それ以外の道はほとんど考えていませんでした。

”ほとんど”と書いたのは、大学3年生の時に「やっぱ民間に行こうかな」と悩んだ時期があったからです。
というのも、大学の教授や現職の先生方とお話をしてて、「民間から教員に転職するのは簡単だが、その逆は難しい。よく考えて教員になったほうがいいよ。」とよく言われたからです。
だけど、「やらずに後悔よりも、やって後悔!」と自分に言い聞かせて教員の道を選びました。今思えば、今までずっと目指していたものを一旦諦めるという勇気が出せなかっただけなのかもしれませんが…。

教育実習も難なくこなし、教員採用試験にも合格し、晴れて大学卒業後ストレートで正規の教員として小学校で働き始めました。これが昨年4月の話です。

②教員になってから辞める決心をするまで

「教員はブラックだ!」という風潮はもちろん知っていましたし、大学でもそういった”教員の労働環境について”みたいな授業は何度か受けたことがありました。
働く前は「きつそうだけど、自分なら要領よくこなせるだろう。」と謎の自信に満ち溢れていしたが…

勤務1ヶ月で心折れました。てか何なら1週間で折れかけました。
教員の労働環境は想像以上でした。マジで。
やらずに後悔の方がまだマシなレベルでした。
登校指導があるため毎朝遅くとも5時半起床、家に帰れるのは早くとも夜9時前頃。毎日13〜14時間労働は当たり前。
初任でさっそく2年生1クラス30人以上の学級担任を持たされた私でしたが、何もかもぶつけ本番。嵐のように忙しい毎日。
放課後の職員会議もほぼ意味不明。ただ聞いてるだけ。
「分からないことあったら聞いてね」と周りの先生は言ってくれるけど、どの先生方も超忙しそうでとてもじゃないが話しかけられない。
「この仕事は何をしているんだろう」と思いながらとりあえず言われた事務仕事をこなす日々で、授業準備や掲示物作成なんてしてる時間なし。
休憩なし、残業代なし、家に帰っても疲れすぎてて寝ること以外やる気なし。
せっかくの土日も極度の疲弊でほぼ寝たきり状態。
日曜日の夜になると「また明日から辛い日々が始まる…」と鬱になるようになり、だんだん心が弱っていくのが分かりました。

働き始めてから1ヶ月も経たないうちに、久しぶりに会う友達からは「ゲッソリ痩せたね」「顔色悪いけど大丈夫?」と言われるようになってしまいました。
そりゃそうだ。毎日朝から夜までノンストップで働いてるんだもん。
仕事内容も何が分からないのか分からないから周りに頼ることもできない。
身体も精神もボロッボロ。

5月に入ると、通勤中や退勤後に理由もなく急に涙が止まらなくなってしまったり、職場に近づくと動悸や耳鳴り等が起こったりするようになってしまいました。
それでも何とかGWまで頑張りましたが、ダメでした。GW明けすぐのこと。朝起きても身体が起き上がらなくなり、たった一ヶ月で初めて学校を休んでそのまま近所の心療内科に行きました。

涙ボロボロ流しながらひたすら「辛いです」的なことを言っていた気がしますが、「薬を飲みながら、もう少し頑張ってみよう。」と言われ、何とか病休には入らずそのまま翌日復帰して再スタートしました。

その後も何度か辛くて休んでしまう日もありましたが、体が慣れたのかお薬パワーなのか、ひとまず夏休みまで生き延びることができました。

そして、夏休み中にゆっくり自分の本音と向き合い、「この仕事をこれからも続けることはできない。何なら来年また潰れてしまうかもしれない。それだったら今持ってる学級を年度末まで見守り、辞めよう。」と転職の決意をしました。

③教員を辞めてから現在


夏休みにした決心を初めて職場の人に話したのは、10月の校長面談の時でした。
正直、「もったいない」「考え直してほしい」とか言われたらどうしようかとビビってましたが、当時の校長先生は「若いうちに様々なことに挑戦するのは素晴らしいこと。私にそれを止める権利はない。ぜひ今年度末まで教員を頑張った後、新たな職場でも輝いてほしい。応援しています。」と言ってくださいました。優しすぎて、校長室でまた号泣。どんだけ泣くんだ自分、と思いながらも肩の荷がスッと下りたような気がして気が楽になりました。

そして冬休みに入ってから転職活動開始。エージェントを利用しながら自分でも転職サイトを毎日チェックし、どんどん応募しました。

結果、いくつもの書類審査や面接に落ちながらも、とある企業に「ぜひうちで力になってほしい」と声をかけていただき、内定をいただくことができました。それが今年の1月ごろのお話。

3月には学年の先生方やお世話になった他の先生方にも辞めることを伝え、子どもたちとも涙の別れをし、無事退職。

現在はとあるオフィスで、たまには在宅で、教育とは全く別業界の仕事をしています。

④転職して思うこと

以上が私の去年4月〜今年の3月のお話です。
たった一つの記事としてサラッと書きましたが、実際は辛いことも楽しいことも本っ当にいろいろなことがあった怒涛の1年間でした。

正直、たまに戻りたくなる時はあります。
「あの子たち元気かなあ」とあの日々のことを思い出すこともあります。
身近な人に転職したことを報告すると「たった1年で仕事辞めたの?」「もったいなくない?」と驚かれることも多いし、実際今の仕事は給料や安定性も教員に比べると弱いです。

けど、全く後悔はしていません。
今の仕事にもやりがいはあるし、何よりお金よりも大事な自分の命や生活が今は圧倒的に安定しているからです。

最初にも言いましたが、私は教員という仕事を否定する気はありません。
子どもたちと過ごす時間は本当に楽しかったし、彼らの成長に携われた経験は宝物です。あんなに毎日が新鮮でやりがいのある仕事はなかなかないと思います。

ただ、もし私と同じ経験をしている方がいたら、こういう道を選んだ人もいるんだよということが伝わればいいなと思って本記事を書きました。

読んでいただいてありがとうございました。


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