生命とか情報とか

生物の起源は有機体が集まって自発的に動くものができたことに始まるという記述を読んだことがある。なぜ、ただの物質の塊だったものが動くようになり、それが持続していったのかがとても気になる。その意思のようなものが今日まで受け継がれていることに驚きを隠せない。その点から最近よく思考を巡らせているので、自分の考えを整理するついでに少し書こうかと思う。

生物が動く理由

大きな目的としては繁殖、移動があると考えられる。移動も生命維持が目的であり、その後は子孫を残すことが生命としての最終目標に考えられるため、繁殖行動に一本化してもいいだろう。自らが動いてか、もしくは自然現象や他の生物によって動かしてもらって、子孫を残す時に少しでも生存範囲を拡大しようとする。その方が環境変化があった時に種として存続しやすいからと聞いた覚えがある。しかし、そもそもなぜ子孫を残すのか。子孫を残すことで得られる恩恵はなにか。おおよそ情報(遺伝子、DNA)を後世に残すことだろう。僕は自らの情報のかけらを持った新たな個体が残り続けていくことが繁殖だと考えている。

情報を残す=生きること?

繁殖を果たしたら力尽きる生物もいるくらいだから、生物の目的あるいは本質は情報を残すことと考えてもよいかもしれない。ならば逆はどうなのだろう。情報を残すことが生物であることではないか。たとえば、AIが自己複製を可能にし、半自動的にバックアップを取るようになったらそのAIは「生きている」と表現してもよいのではないか。電力供給とハードがあれば更新しながら残り続ける存在として「生物」と形容できるのではないか。ただし、意識の有無などは置いておく、他の生物に意識や感情があるかなどは正確には分かっていないのだから。

まとめ

生命維持も繁殖も遺伝子に刻まれた本能だと思えるし、情報によって支配されてると考えたくなる。ならば、「生きている」という状態を数式で記述してプログラムすることも可能になるんじゃなかろうか、まるでヒトゲノムの解析のように。ロボットやAIが意思をもって生物同様に人間とかかわるようなSFの世界が現実になる、そんな可能性を感じながら更なる思索に耽りたい。

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